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タンザニア便り

便り89.マダガスカル国際柔道大会2006

便り90モーリシャス国際柔道大会2006



便り89.マダガスカル国際柔道大会2006(2006.3.31)

出発に向けて

不思議な島マダガスカル

試合結果

マダガスカル柔道



ジャンボ!Spring has come!で、日本は、美しい春2006が始まっていることと思いますが、皆さん、お元気ですか?
ザンジバルは雨季に入っていますが、まだ降りが甘く、水不足から解放されるところまでいきませんが、恵みの雨によって、からからだった大地に草が生え、がりがりにやせてしまった牛たちが、おいしそうに草を食む姿が見られます。

さて、今日は、柔道の話題です。
タンザニア柔道チームは、2月24日〜25日に行われたマダガスカル国際柔道大会と、3月4日に行われたモーリシャス国際柔道大会に続けて参加しました。
まずは、マダガスカル国際柔道大会の模様をお伝えします。

遠征出発に向けて
タンザニア柔道チームは、2月13日〜19日までザンジバルにて本土チームとの合同合宿で調整し、2月21日に国旗の授与式(写真上)を経て2月22日にザンジバルを出発。

ナイロビ経由で、2月23日マダガスカル入りし、25日マダガスカル国際柔道大会に出場。その後、マダガスカルでの国際トレーニングキャンプに参加。3月1日、モーリシャス入りし、3月4日にモーリシャス国際柔道大会出場という日程でした。

まずは、今回始めて参加したマダガスカル国際柔道大会の模様から。

不思議な島マダガスカル
マダガスカルは、世界第4位の大きさを持つ島(日本の1,6倍)。地図で見れば、タンザニアとインド洋を隔てて、すぐ右斜め下にあるのですが、タンザニアから直行便がなく、ナイロビ経由に。
そのため、ザンジバルから北上してケニアに飛んでナイロビで一泊してから、再び南下してキリマンジャロ(写真左:この時期は、頂上に雪がほとんどなかったです)やザンジバルを飛び越え、東に向かってやっとマダガスカルに到着という非能率的な(?)経路でした。

マダガスカルの公用語は、マダガスカル語とフランス語。
国民は、マレー系、インドネシア系が多く、身長の低いアジア系の人々が、牛を使って農作業をしている水田風景、赤レンガの古い家々といった、アジア的風景の中で、朝からいたるところで、フランスパンが売られ、巷に飛び交っているのはフランス語・・・というアジア、アフリカ、フランス混合の不思議な雰囲気の国でした。

マダガスカルの首都のアンタナナリボで一番驚いたのは、路上生活者が非常に多かったことです。
道路の隅になにやら物を置いて売っている人たちがたくさんいるなあと思っていたのですが、何も商品はなく、ただ座っているだけの人もいて、その中の多くは、そのまま道路で寝起きしている人たちでした。

ビニル袋に子供の着替えを入れていて、道路でおしめをかえたり、子供の着替えをさせたりしている女性があちこちにいるので、不思議だなと思っていたのですが、その人たちにとって、道路が住まいだとわかったのは、マダガスカルについて3日目でした。

髪の長いアジア系の子供たちが物乞いをし、小さな兄弟姉妹で寄り添いながら、寒い道路の隅で毛布もかけずに眠る姿は、アジア系の少ないタンザニアに住む私には見慣れない光景だったので、なんだか胸に迫るものがありました。

アリ・ジュマもハマディ・シャーメも、そんな子供たちの姿に、自分の子供たちの姿を重ね合わせたようで、
「今まで遠征に出て、タンザニアより貧しいと思った国はなかったけれど、ここマダガスカルの生活は、タンザニアよりも大変だ」と胸を痛めていました。





マダガスカル国際柔道大会試合結果
さて、話を柔道大会に戻しましょう。
マダガスカルの首都アンタタナリボで開かれた国際柔道大会で、タンザニアチームの先陣を切ったのは、73kg級ハマディ・シャーメ。(写真:向かって左)

ハマディが前に出ていくと、相手は低い背負い投げをかけ、ひざをついてしゃがみこんだところで、いったん動きを止めるので、ハマディは審判から「待て」がかかるものと力を抜いたとたん、そのままの体勢で背中で押され肩をついて有効をとられる。その後もポイントを取り返そうと同じように前へ出ると、再び低い背負い投げ。この展開が続き、そのまま優勢負け。

続く第2試合も、1試合目と全く同じ展開となり、一本背負いをかけられ、「待て」がかかるのを待っているところを、さらにその腕を巻き込まれて、背中で押され、倒れ掛かったところを、腕だけで押さえ込まれて敗退。
73kg級は、参加人数6人だったため、5位。

続いて60kg級のアリ・ジュマ。(写真向かって右端)
相手はマダガスカル。軽量級独特のスピードで、組んだ瞬間に低い背負い投げを仕掛ける背負い投げのオンパレード。4分ぐらいまでなんとかふせいだものの、そのころには酸欠で立っているのもやっとという状態になり、最後は力尽きて技ありを二つ取られ、合わせ一本負け。

続く敗者復活戦。相手はマダガスカルの10代の若手。
アリは1回戦での疲れがほとんど抜けていないまま、試合開始。相手が同じような攻撃を何度も何度も仕掛けてき、有効や効果といった小さいポイントを何度か奪われるも、なんとか意地を見せる。疲労色著しく、もはやこれまでかと思われたころ、何とか逆転の谷落しで一本勝ち。
最後まで勝負をあきらめなかったことがこの一勝に結びつきました。

続く敗者復活2回戦。相手はモーリシャス。
アリは、ほとんど体に力が残っていないまま、相手と組み合い、強引に大腰をかけにいったところ、逆に谷落しで返され、一本負け。7位。

この大会が開催されたマダガスカルの首都アンタナナリボは、標高が2000m近く、気候は真夏のザンジバルから比べると寒く感じるほど。

標高が高いために、当然空気も薄く、この大会に参加したすべての外国人選手は試合開始後1分もすると、皆息が上がってしまい、逆にマダガスカル勢は、この環境に慣れているので、圧倒的な強さを発揮し、結果的に、重量級以外のメダルは、ほとんどマダガスカル勢の独占となりました。


マダガスカルの柔道
その後、隣国モーリシャスや、アフリカ大陸内のフランス語圏の有望選手が選抜されたアフリカ連合チームも参加して、合同トレーニングキャンプが行われ、タンザニアのアリとハマディも参加。

マダガスカルのラザカソア・アンディアクト監督に(写真左)によると、ここマダガスカルで柔道が始まったのは1947年
それ以来、日本とフランスによる技術指導や設備援助が続いており、今では柔道がすっかり根付いているそうです。国内には道場が20以上もあり、10歳以下で柔道を始める子がほとんどとのこと。

マダガスカル国内での大会はもとより、その他、同じくフランス圏のインド洋の国々との交流が密にあり、大会や合宿などをおこなっているそうです。
また、マダガスカルはアフリカとはいえ、マレー系、インドネシアなどアジア系の人が多いせいか、全体的に小柄なので、60kg、66kg、73kgに強い選手が集中しており、選手層も厚く、意気のいい若手がたくさん育っていました。

タンザニアチームの2選手も、やっと標高の高いアンタタナリボの気候にもなれ、マダガスカル勢の背負い投げのタイミングもつかめ、次のターゲット、モーリシャス国柔道大会への気合が高まっていた合宿最終日、午前の練習を終えて、ホテルで休んでいたハマディが、でんかんのような発作を連続しておこすというアクシデントに見舞われました。

すぐに病院へ運ぼうとしたのですが、ハマディ自身は、「ある人からブラックマジック(黒魔術)をかけられたせいだ」と思い込んでおり、病院に行くことをかたくなに拒否。

アリが何とかコーランを読んで悪魔祓いをして、ハマディを落ち着かせるという有様で、数日後に控えたモーリシャス国際柔道大会に向けて、タンザニアチームには暗雲が立ち込めてしまいました。
・・・・・
ということで、今日は、マダガスカル国際柔道大会の模様を綴ってみました。
この続きは、次回の「モーリシャス国際柔道大会2006」でお伝えします。
次回の便りまで、お元気で。
GOOD LUCK!!


                      2006年3月31日 by島岡 由美子




便り90 モーリシャス国際柔道大会2006(2006.4.1)

「インド洋の貴婦人」モーリシャスへ

大型サイクロンがモーリシャスを直撃

モーリシャス国際大会試合結果

結果分析と今後の課題

遠征を終えて思ったこと



ジャンボ!お元気ですか?
今回は、便り89「マダガスカル柔道大会」に引き続き、3月上旬に行われたモーリシャス柔道大会のことをお知らせします。
マダガスカル、モーリシャスと2カ国続けて回る遠征だったので、便り89から読んでいただければ幸いです。

「インド洋の貴婦人」モーリシャスへ
3月1日、ハマディの体調に不安を抱えながらも、マダガスカルからモーリシャスに移動。
(マダガスカルからモーリシャスへは2時間40分のフライトです)

モーリシャス国際柔道大会は、2003年に同じメンバー(60kg級アリ・ジュマ、73kg級ハマディ・シャーメ)で初参加して以来、今回で3度目の参加。
マダガスカル国際柔道大会では、二人とも自分の柔道ができずに終わってしまったので、気候や雰囲気がわかっているモーリシャスではがんばるぞという思いで海を渡りました。

ところで、ここモーリシャスは、インド洋の西方、アフリカ東端のマダガスカル島からさらに約900キロも東
南回帰線近くに位置し、大きさは東京都ほど。1300万年ほど前、海底噴火の隆起によってできたと考えられている火山島。

街に立つビルの合間からは、必ず緑多きなだらかな山が見え、ほんの少しでも郊外に出れば、ひたすらサトウキビ畑が広がり、海岸沿いは、青い空と海が広がる欧米人向けのリゾート地。
その地理的条件や経済的発展、そして美しい自然から、「インド洋の貴婦人」と呼ばれる美しい島。

ビルが林立するのは首都のポートルイスのみで、あとは、わさわさと風に吹かれるサトウキビ畑となだらかな山々がどこからも眺められる、そんな感じの島です。

このなだらかな山と、広がる緑多き風景は、私の心の中にある「ムーミン谷」のイメージと重なることから、前回遠征時より、サトウキビ畑の向こうに見える山を「モーリシャスのおさびし山」とひそかに命名しています。

大型サイクロンがモーリシャスを直撃
さて、今年も例年のようにモーリシャスには美しい青空が広がり、モーリシャスの道場(写真左)で汗を流し、調整も順調に行きそうだと思いきや、突如大型サイクロン(熱帯低気圧:台風)がモーリシャスを直撃し、それから丸5日間ものすごい暴風雨が吹き荒れました。サイクロンには日本の台風と同じように段階があって、ある大きさにまで大きくなると、サイクロン警報が出され、一切の公共機関がとまり、外出禁止令が出されるとのことで、3月4日、5日に予定されている大会開催自体がぎりぎりまで危ぶまれました。

結局、外出禁止令が発動されていないうちに、3月4日一日ですべての階級を終わらせてしまうことで、大会を決行するという結論が大会初日4日の朝出され、体重調整などが整いきらない5日出場予定の階級の選手たちも、4日の朝急遽体重測定をすることになり、体重オーバーがあっても全員合格と言う特別処置の元、ばたばたしながら大雨の中バスで会場入り。

会場に向かうまでの道路はがらがらで、あちこちになぎ倒された木が横たわっていたり、普段は水量が少なく美しい水がゆるやかに流れている川の水量が増え、濁流となって今にもあふれんばかりになって流れていたりする様を見て、サイクロンのすごさを思い知らされました。

そんな外的条件はさておいても、今度こそは自分たちの柔道をしっかりとやろうと誓い合ってモーリシャス入りしたタンザニアチームでしたが、ハマディの状態がやっと落ち着いたと思っていたら、試合当日、会場入りする直前になって、今度はアリ・ジュマにマラリアが発病したらしく、高熱と節々の痛みを訴えてきて、愕然とさせられました。

しかし、もう試合当日なので、そのまま出場か棄権負けするかしかありません。
アリ自身も「やれるところまでやる」と言っているので、そのまま全員で試合会場に向かいました。

この大型サイクロンのため、来賓はもちろん、観客もほとんどいない、がらがらの会場で試合がおこなわれました。


モーリシャス国際柔道大会試合結果


モーリシャス国際柔道大会で先陣を切ったのはハマディ
相手は、結果的に3位に入ったモーリシャスの選手で、ハマディはしっかり自分のペースで試合を進め、お互い組み手争いが厳しく、なかなか十分に組めず、組んでもお互いに決定的な技が決まらず、全くの互角。

そのうちに、なぜかしらハマディだけに「指導」が与えられたものの、次にハマディが双手刈りで有効ポイントを奪取。その後も、ハマディが攻め、相手は守りに徹するという形が続いていたのにも関わらず、3回に渡って両者に指導が与えられ、結果的には指導を4つとられたハマディの反則負け。
納得のいかない試合結果となってしまいました。

続くハマディの敗者復活1回戦。
初めから自分の柔道を自分のペースでするようにという指示どおり、自分のペースで冷静に試合を進め、時間をかけて有効2つをとり、残り時間が後14秒。
「あせらずそのまま時間まで流せ」という島岡代表の指示にもかかわらず、強引に相手の足をとりにいき、ひっくり返して技ありポイントをとったのはよかったのですが、その瞬間に自分で自分のわき腹を痛めてしまい、試合続行不可能となり負傷負け。
残り時間は、わずか3秒だったという、なんとも悔しい負け方をしてしまいました。

残るは60kg級アリ・ジュマの試合
アリは、マラリアによる高熱でガタガタ震えている始末。
それでも、棄権はせず、畳に上がりましたが、もちろんそんな状態で勝てるほど国際大会は甘くなく、技をかけようとしたところを切り替えれて、あっさり一本負け。
相手選手がベスト4に上がれなかったため、敗者復活はなし。

島岡代表の元、アリ・ジュマとハマディ・シャーメのコンビで、国際大会に出場し始めたのが2003年のモーリシャス国際柔道大会でした。
それから、日々の練習とともに各地の大会も経験し、今回こそは、このモーリシャス大会で、必ず何某かの結果を出そうと、士気高くザンジバルを旅立ったタンザニアチームでしたが、なんとも残念な試合結果となってしまいました。


結果分析と今後の課題

ザンジバル柔道連盟会長であり、タンザニアナショナルコーチを兼任する島岡強代表によると、
「我々柔道チームが、他国より劣っている部分は、マダガスカル60年モーリシャス40年の柔道の歴史があるのに対して、我々はまだ13年、従って他の国は10歳未満から柔道を始め、20歳ぐらいにはすでに10年以上のキャリアを積んで一人前になっているのに対し、我々は20数歳から柔道を始め、30数歳でやっと10年のキャリア。
ガキのころから柔道をやっている彼らと違い、どうしても柔道が体に染み付いているというわけにはいかず、相手の若さに翻弄されてしまう。

もう一つは、他国は、各階級とも代表のほかに5、6人はほぼ同レベルの選手がいて、絶えず競い合っているのに対し、我々はハマディやアリの階級に競い合うほどの選手がほとんどおらず、いきおい自分よりはるかにレベルの低い相手との練習になってしまうので、厳しい戦いに勝ち抜いていくだけの力がつきにくいといったところ。

しかし、今回の2つの国際大会を通して、いろいろな面で学ぶところがたくさんあったので、課題をしっかりと見据えて、今後に生かしていきたいと思っている。

特に、チーム全体の底上げというのは大変難しい課題だが、これからは、タンザニア本土とザンジバルの合同合宿に加え、近隣国ザンビアを招いての交流戦や合同合宿をしながら共同で柔道の底上げをしていくことを考えている」
とのことでした。


遠征を終えて思ったこと
そのサイクロンは大会後も猛威をふるい、私たちも宿舎での缶詰状態が続いていましたが、病人続きのタンザニアチームにとっては、帰国まで静養に努めることができ、かえってよかったです。

とにもかくにも、3月6日にモーリシャスを発ち、アンタタナリボ(マダガスカル)ーナイロビを経由して、8日になんとか全員無事にザンジバルに帰ってくることができました。

今回も、タンザニアチームとして、目に見える結果を出すことはできませんでしたが、マネージャーとして同行した私としては、ハマディがブラックマジック、アリがマラリアと、次々に病気になりながらも、全員揃って帰ってこられたことに大変感謝しています。

それにしても、マダガスカルで、ハマディがてんかんのような発作を繰り返したときは、本当に生きて一緒に帰れるだろうかと思ってしまいました。

しかも、ハマディ本人が、ある人から呪いをかけられたせいだと思い込んでおり、病院に行っても治らないと断固として言い張るので、アリがコーラン(イスラム教の聖典)の一節を唱え、悪魔祓いをして落ち着かせようということになり、マダガスカルの街で、コーランを探しまくりました。

しかし、マダガスカルは伝統宗教&キリスト教徒が圧倒的に多く、イスラム教徒は7%ということで、コーランは大きな本屋さんにも売っていなかったので、仕方なく、片っ端から店に入り、
「あなたはイスラム教徒ですか?」と聞いて、
事情を話し、コーランを貸してもらうよう頼みこみました。

結局、電化製品を売っているお店のインド人店主からコーランをかりて、ホテルに持ち帰り、アリが一節を唱えて聞かせ、やっとハマディを落ち着かせることができたという一幕もあったことをお伝えしておきましょう。

本当に、人間には、いつ、何が起こるかわからないものですね。
そして、そういうとき、祈るとか、信じるという気持ちが、強く人間の体に作用するものだとあらためて感じたマダガスカル&モーリシャス遠征でした。

皆さんも、どうぞお体には十分気をつけてくださいね。
それでは、今日はこのへんで。
GOOD LUCK!!

      2006年4月1日       島岡 由美子拝

 アリとハマディの国際大会デビュー戦、モーリシャス国際柔道大会2003の模様は、→こちらから、
 モーリシャス国際柔道大会2004の模様は、→こちらからご覧になれます。






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