1. イカンガーのライバルは誰?(1/3)
2.
イカンガーコーチのアドバイス(2/3)
3.
イカンガー、日本を語る(3/3)
**********イカンガーのライバルは誰?**********
Q1.まずは、お名前と生年月日、血液型を教えてください。
イカンガー: 名前は ジュマ・ラマダン・イカンガーです。でも、どこでも「イカンガー」と呼ばれています。年は「40プラス」と書いておいてください。
Q2.どうしてですか?
イカンガー: 自分でもはっきりした年齢がわからないのです。誕生日を親が覚えていないものですから。血液型はO型のポジティブ。これははっきりしていますよ(笑)
Q3.身長と体重を教えてください。
イカンガー:163cm、体重は57kgです。現役時代のベスト体重は55kgです。
Q4.マラソンは、走り終えると体重が数kg減るほど激しいスポーツだと聞いていますが、イカンガーさんはいかがでしたか?
イカンガー: 55kgでスタートして、フルマラソンを走り終わると、49kgから50kgに減っていました。
Q5.出身地はどこですか?
イカンガー: ドドマのコンドア地方、ケンガレ地区です。
Q6.イカンガーさんは、何族ですか?
イカンガー: ムランギ族です。
Q7.ムランギ族の特徴を教えてください。
イカンガー: そうですね。私たちムランギ族は、農耕や牧畜の民族で、大変働き者として知られています。
Q8.イカンガーさんの好物は何ですか?
イカンガー: ウガリが一番の好物です。私の故郷では、とうもろこしのウガリだけではなく、ムタマ(粟)のウガリがあるのですが、それもおいしいんですよ。それにババティ湖からとれる小魚を合わせて食べれば、ほかに何もいらないですね。また、ウガリはバランス食でもあるので、レースの前も、食事はウガリでOKです。
Q9.外国の大会に行く時は、ウガリを持っていかれたのですか?
イカンガー: いえ、食べ物は何も持っていかず、どこの国へ行っても、その国の料理を食べていました。日本の選手は外国にまで日本食を持っていくようですが、食べ物まで持ち運ぶのは大変だと思います。
Q10.ご家族について教えてください。
イカンガー: 私と妻と18歳になる双子の娘、14歳の息子の5人家族です。
Q11.現在の仕事はなんですか?
イカンガー: 私はタンザニア軍隊の軍人で、地位は大佐です。また、タンザニア軍隊の中のスポーツ部門の局長、また、タンザニア・アマチュア陸上協会の書記長をしています。
Q12.小さい頃から走るのが得意だったのですか?
イカンガー: そうですね。小さい頃から足が速かったので、学校の陸上大会ではいつも上位でした。家に帰って「今日はまた1番だったよ」と報告すると、昔軍隊で、やはりスプリンターだった父親がいつも「今日は何の競技で一番だったんだ?」と聞き、100m走なら100m、3,000m競技の時は3,000m、一緒に走ろうと言って、よく、父親と一緒に、2人だけのレースをしました。中学になって、初めて私が父親に勝つまで、このレースは続きました。陸上大会の結果を父親に報告して、父親と一緒に走るのが、子供の頃一番楽しいことでした。
また、私が子供の頃は、とにかく学校が遠くて、山道を往復何時間もかけて通わねばならず、遅刻しないように毎日走っていったり、家の手伝いで牛や山羊を追うのが日常でしたから、今振り返れば子供の頃から毎日マラソンをしていたようなものですね。また、友達と、木と木の間に縄を張って、その上を跳び越してみたり・・・それは結局ハイジャンプですよね。今の子供たちは、私たちの世代に比べて、遊び自体がおとなしくなってしまっているようですが、もっと体を使って動き回る遊びをしたほうがいいと思います。
Q13.マラソンを始めたきっかけは?
イカンガー: 高校を終えて、1977年にタンザニア軍隊に入隊してすぐ、軍人教育を受けるためエジプトに5年間留学したのですが、その間5,000m、10,000m、クロスカントリーなどの競技に参加し、エジプト内での軍内陸上大会でも上位の成績を収めてタンザニアに帰国しました。
1982年9月にオーストラリアで開かれるコモンウェルス国際大会に出場する代表選手を決める際、タンザニア陸上協会から「5,000mと10,000mには、すでに国際大会でいい結果を出している選手がいるから、この際、君はマラソンでやってみないか」と言われました。
私が中学生だった頃、ある陸上大会で、アメリカからキリスト教とスポーツ普及のために派遣されていた修道女のメリーという女性から「あなたはマラソンに向いているわよ」と言われたことがあったのですが、その言葉は、ずっと記憶の隅で眠っていました。しかし、協会からマラソン出場の意向を聞かれた時、このシスター・メリーの言葉が思い出され、マラソンで出場することをその場で決めました。
Q14.では、オーストラリアでのコモンウェルス大会が国際大会でのデビュー戦となったわけですね。
イカンガー: そうです。幸いにも私はこのデビュー戦を2位で飾ることができました。タイムは2時間9分30秒。1位のロバート・カステラ選手は、2時間9分18秒でしたから、12秒差でした。
Q15.日本に初めて行ったのはいつですか?
イカンガー: コモンウェルス大会での成績が認められ、最初に招待選手として参加したのが1983年2月に行われた「東京国際マラソン」です。
Q16.結果はいかがでしたか?
イカンガー: 5位で、タイムは2時間10分・・・うーん、秒がはっきり思い出だせません。
Q17.2月の日本は寒かったでしょう。
イカンガー: 本当に寒かったです。日本の冬は寒いとは聞いていましたが、「寒い」ということがあんなに大変なこととは想像もしていませんでした。東京に着いて、寒さで手がかじかんで、じんじんしてきた時は、本当に驚き、不安になりました。
Q18.日本での初めてのマラソンでは、寒さのほかにどんな思い出がありますか?
イカンガー: とにかく沿道の声援がすごいのに驚きました。日本ではマラソンのコース中にびっしりと人がいて、ものすごい声援があり、初めはこれがとても気になって、圧迫感がありました。でも、後から、これが日本の人々の応援だと知り、これほど熱狂的にマラソンランナーを応援するほど日本の人々はマラソンに関心があるということがわかり、2回目の来日からは気にならずに走れるようになりました。
Q19.その後の活躍ぶりを教えてください。
イカンガー: 1983年12月福岡国際マラソンでは2位でした。タイムは2時間8分55秒。1位の瀬古選手とは2秒差でした。
1984年東京国際マラソン1位 2時間10分ジャストでした。1986年東京国際マラソンも1位、タイムは2時間8分10秒で、この時はコースレコードを出しました。1988年の東京国際マラソンも1位でした。その他、スプリングサーキットなど冬以外の大会にも出場しています。
Q20.日本以外でのレースについて教えてください。
イカンガー: 1984年ロサンゼルスオリンピック6位、1987年北京国際マラソン、2時間8分26秒で1位。1988年ソウルオリンピック6位、1988年北京国際マラソン2位、タイムは2時間8分36秒。1988年、1989年、1990年ボストンマラソンに出場、1回2位になりました。1989年ニューヨークシティマラソンでは2時間8分1秒のタイムでした。
Q21.イカンガーさんは現役時代、国際大会に数多く出場しておられますね。今ざっとお聞きしただけでも大変過密なスケジュールに感じますが、こういったスケジュールはご自分で決められたのですか?
イカンガー: 現役時代は、招待されれば、どの大会にも参加しました。タンザニアにいる時は、週に300kmは走りこんでおり、いつどんな大会に出てもいいタイムで走る自信はありましたからね。
Q22.一番印象に残っているレースは?
イカンガー: 1983年の福岡国際マラソンで、瀬古選手に最後の一歩で抜かれて2位になったレースです。このレースでは、私が初めから最後までトップだったのですが、最後の最後、一歩どころか、本当に同時ゴールインといった態で2位になってしまったのですから、今思い出しても悔しいですね。そして残念だから、ついつい今でもこのレースのことを思い出します。
Q23.一番走りにくかったコースはどこですか?
イカンガー:ニューヨークシティーマラソンのコースが一番走りにくかったです。マラソンは、大会前にコースの内容を表記した地図をもらい、それを見てまずはコースをイメージしていくので、この大会に出場する前から、確かにアップダウンがきつかったり、ターンが多いなとは予想していました。
しかし、私はキリマンジャロ地方の山々の道を走りこんできているという自負があり、特にアップダウンには自信があったのですが、この大会のコースの中のセントラルパーク付近は、ターンが多く、しかも間隔や角度が一定していないので、とても大変でした。このターンのお陰で背中を痛めてしまったほどです。でも、結局、一番苦しんだこの大会で、2時間8分1秒という、私の生涯の自己最高タイムを出すことができました。
Q24.イカンガーさんというと、弾丸のように駆け抜ける最終の見事なダッシュが印象に残っていますが、レースに出る前からスパートをどこでかけるかといった作戦は立てていたのですか?
イカンガー: そうですね。その日の体調によって、今日は残り5km時点でスパートをかけようとかいうことは考えていました。でも、私は、最初は先頭集団に合わせて走るという作戦は立てたことがありません。私はとにかく人の後ろを走るのは嫌いなのです。だから、私は常に、自分が一番前で走ることを意識していました。
Q25.イカンガーさんのライバルは誰ですか?
イカンガー: 私にとってのライバルは、人ではなく、タイムです。人は、その日のコンディションによって速く走る日もあれば遅く走る日もあります。でも、ある特定の選手にターゲットを合わせてレースを運んでいては、もしその人に勝っても、タイムが伸びないことがあります。だから、私は常にライバルは人ではなく、タイムだと思って走ってきました。前の大会よりもっといいタイムで走りきること、私が目標にしてきたのはその一点であり、誰に勝つことよりも、自己のベストタイムがライバルでした
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