イカンガーコーチへのインタビュー(3/3)
**********イカンガー、日本を語る**********
Q34.日本についてどう思いますか?
イカンガー: 日本は、ハイテクノロジーの国でありながら、独自の文化を現代まで継承し、重んじているところが素晴らしいと思います。例えば、日本には古来から現代まで変わらない日本独自の着物がありますね。私たちタンザニアにも、たしかにカンガ(布)を巻きつける民族衣装があるにはありますが、日本の着物のように古来からのものではありません。
日本では、近代的な家の中に、今でも洋間と畳の部屋が共存し、ベッドを使う人もあれば、今も蒲団を敷いて寝ている人がいる。私も蒲団で寝たことがありますが、蒲団で寝るのは、背中が伸びて気持ちいいものですね。着物、畳、蒲団等々・・・こういった古来からの文化が存続している一方で、世界のトップをいくハイテクノロジーの国であるという、この両方が揃っているところがすごいと思います。
こういった文化の継承が続く限り、日本人は日本人としてのアイデンティティを失うことなく、日本人としての意識と誇りを持ちながらいられることでしょう。そこが日本の素晴らしさだと思います。
Q35.日本の食べ物はいかがですか?
イカンガー: 好きなものは赤坂東急ホテルのそばで食べた「みそラーメン」、はしを使うのとズズッとすするのが難しいですが、みそラーメンの味は大好きです。あとチャーハンやギョーザもおいしかったです。
Q36.苦手な食べ物は?
イカンガー: 刺身と緑茶です。緑茶はどこにいっても出されるので、閉口しました。タンザニアでは、砂糖抜きのお茶は考えられないですからね。
Q37.日本の地名で覚えているところはどこですか?
イカンガー: 東京、福岡、神戸、大阪、広島、静岡、永田町、新宿、赤坂、秋葉原、新潟、長崎、静岡、六日町。
Q38.日本で驚いたことは何ですか?
イカンガー: 新宿のビルの多さと高さにびっくりしました。そしてホテルニューオータニで、コーヒーとパンで4,000円もしたのには、もう本当に驚きました。秋葉原に並ぶ電化製品の多さにもびっくりしました。でも、もっと驚いたのは、半年後にもう一度行って、前来た時にめぼしをつけていたテレビを買おうと思ったら、「あれは型が古くなったのでもう置いてありません」と言われたことです。半年前のものがOld Modelと呼ばれるとは思ってもみませんでした。
Q39.印象に残っている場所は?
イカンガー: 広島の原爆ドームです。原爆ドームを見学しながら、たった1つの原爆によって街中の人が亡くなったんだなあと思ったら、とても心が重くなりました。その時、たくさんの見学者がまわりにいましたが、なんだかさびしくて悲しい気持ちになりました。日本にはこういう悲しい経験もあるのですね。
Q40.日本というと、どんな風景を思い出しますか?
イカンガー: 新潟県の六日町の、周囲がぐるりと山々に囲まれた風景です。六日町では、生まれて初めてスキー場に連れて行ってもらいました。タンザニアでは、キリマンジャロで雪を見たことはありましたが、ここでは、雪が6mも積もると聞いてすごく驚きました。足を痛めるのが怖かったので、スキーはしませんでしたが、ワイヤーで吊って上ったり下りたりする車(ロープーウェイ)で、山の上まで登ってまた下りてきました。雪一色になった山はとても美しかったです。
Q41.日本人について、どう思いますか?
イカンガー: 日本の人々はとても親切な国民だと思います。私はどこに行っても、本当に皆さんによくしてもらいました。英語ができない人が多いので、ちょっとコミュニケーションを取るのが難しかったですが、若い世代は、英語が通じるようになっていますね。また、英語ができないお年よりの方々も、皆「ガンバッテ」と励ましてくれたことは、今でも忘れられません。
また、日本のマラソン大会では、選手たちは常にハイレベルなレース内容を求められますが、一般の観衆が、そのレベルの高さを見極めることができることができるというのがすごいと思います。
Q42.日本のマラソン選手については、どういう印象をお持ちですか?
イカンガー: 日本の選手は皆、日本国内の試合ではものすごい力を発揮するのに、外国での試合になるとなかなか実力が出せないのがとても不思議ですね。他の国の選手に比べると日本の選手は、日本食を外国まで運んだりするといったことをはじめとして、環境の変化に対してとても神経質だと感じます。外国に行けばどうしたって、自分の国にいる時と同じような環境は望めませんから、環境の変化に対する精神的な強さを持たないと、本来の力を出し切ることはできないと思います。
Q43.日本の人々へメッセージをお願いします。
イカンガー: 私が日本へ行った時、たくさん応援してくださってありがとうございました。これからも、私の母国タンザニアという国を覚えていてください。
そして、またタンザニアの選手が日本へ行ったら、ぜひ応援してください。スポーツ選手としてだけではなく、ある者は学生として日本へ学びに行くことでしょう。そんな時、タンザニアから来た人々を、私の時と同じように温かく応援してやってください。よろしくお願いします。
今日は貴重なお話をたくさん聞かせてくださり、ありがとうございました。これからも後進育成のためにがんばってください。
**********インタビューを終えて**********
イカンガーさんは、小柄な体とやや高めの声で、物静かな話し方をする人でした。この人のどこにマラソンという苛酷なスポーツで、何度も頂点を極めることができたのかと驚くほど穏やかな雰囲気。
でも、インタビューを進めるにつれて、「私は先頭グループについて走っていこうと考えたことはありません。私は人の後ろを走るのは嫌いですから」「私にとってマラソンは1位を狙えるタイムで走らなければ意味がありません。もちろん今でもフルに走ることはできますが、けっして競技用の走りではありません。だから引退を決めたのです」と言ってのけるところは、やはりマラソンに徹した人という印象を受けました。
そして、今でも自分がそれぞれの大会で出した記録を秒まで覚えいることに合わせて、「私のライバルは、人ではなく、タイムでした」という言葉を聞いた時、マラソンランナーとしての強い意志に触れた気がしました。
また、同席していたタニカ社のダル・エス・サラーム支社代表キコティ氏が、このインタビューの最中に「世界のあちこちで、そんなにいい成績ばかり残しているのに、どうしてオリンピックではメダルが取れなかったんだい?」と聞くと、イカンガーさんはさらりと一言「それはオリンピックだったからさ」と答えました。オリンピックでメダルを期待されながらどうしてもメダルに届かなかった選手たちは、皆一様に彼と同じ答えを胸に抱いているのではないかなと思うと同時に、オリンピックでメダルを取るというのは、本当に本当に難しいことなんだなあとあらためて思いました。
ところで、イカンガー夫人、カトリーナさんも元陸上選手。イカンガー夫妻の出会いは陸上競技会だそうです。夫妻揃って日本に招かれて、外国で初めて夫のレースを見た時、「たくさんの人から声援を受けながら走る夫の姿を見て、彼の素晴らしさを再認識しました。そして、夫をとても誇りに思いました」と言っていました。ちなみに、夫人が日本で美味しかったものは、ご飯と鍋料理だそうです。
タンザニアでは、現在でも男の子ならサッカー、女の子ならネットボールといったスポーツ以外の存在すら知らずに大人になる子供たちがほとんどです。イカンガーさんの夢、タンザニアに体育学校ができて、いろいろなスポーツを教えられる教師が育ち、タンザニアのスポーツ界が発展していくことを、私も心から願わずにはいられません。イカンガーさんの真面目な話し方と態度には、人をそんな気持ちにさせるものがありました。
「イカンガー陸上クラブ」が活動している国立競技場は、ダル・エス・サラームの郊外、街の中心地から車で15分ほどのところです。どなたでも「カリブ サーナ」(Very welcome)とのことですので、タンザニアに来られることがあったら、ぜひ応援しに行ってくださいね。
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