タンザニアの英雄、フィルバート・バイ氏インタビュー(3/4)
2002年8月8日
場所:フィルバート・バイ学校
1. 世界記録までの道のり
2. 世界新記録達成の瞬間
3. タンザニアに野球が普及しなかった理由
4. フィルバート・バイ学校
3.タンザニアで野球が普及しなかった理由
Q24. バイさんは、今でも陸上の選手を目指す若者たちの憧れの的だと聞いていますが、若者たちとのつながりはありますか?
バイ: 今でも全国の若者から手紙が届きます。手紙が来ると、私はできるだけ、トレーニング法や、プログラムを書いてあげています。陸上は、ただ走るだけではなく、サイエンス的に裏づけされたトレーニングをすることが大切ですからね。
Q25. たとえば、簡単なことではどういったことでしょうか。
バイ: 一番簡単で重要なのは、ハードなトレーニングをたっぷりやった後は、しっかり休養を取ること。走りすぎの上に、筋肉と精神の休養が足りないまま、トレーニングをするのが一番逆効果です。すべての子供たちにそういったトレーニングや体のしくみを教えてやりたいですけど、体は一つしかないので、なかなかそうもいきません。だから、子供たちの手紙には、できるだけ返事を書くようにしています。
Q26. お忙しい中、いちいち手紙に応えるのは大変ではないですか?
バイ: 私の手紙で、タンザニアで陸上をめざす子供たちが育っていくなら、それは私の喜びですよ。それに、こうやって子供たちと手紙でやりとりしているのは、私だけではありません。このザンビ氏だってずっと昔から続けていることです。タンザニアのコーチ陣なら当たり前のことですよ。
Q27. ザンビさんは、アメリカでスポーツコーチ学を学ばれ、タンザニアでたくさんの選手たちを育てておられますが、コーチの眼からすると、短距離向き、長距離向き、その他の競技向きといったことを、どうやって見極めるのですか?
ザンビ: いろいろな観点から総合的に判断するものですが、例えば、爆発的なキック力がある者は、短距離向き。何気なく走っているときのステップが小さい選手は、長距離向き。体型なら、やせていて体重の負担が少ない選手はマラソン向き。
性格からいけば、物静かで一人で考えることができる選手は、レースの組み立てが重要なマラソン等の長距離ランナーとして適しているといった具合ですね。
Q28. 性格とマラソンのつながりについて、もう少し説明していただけますか?
ザンビ: そうですね。マラソンでいえば、27km時点で疲れが出始めます。しかし、37km時点でまた力が湧いてくる。そこから41kmまでの距離は、どこで勝負に出るかを自分の体と相談しながら走る、最も重要なポイントです。41kmからは、最終ゴールを目指して走るのみですからね。
そういった長いレースの中で常にペース配分とともに、水分補給も考え、自己の走りと体調を客観的に分析しながら走らねばならない。
これは、普段から自分と向き合って、考えながら過ごせる人ではなくては、とてもできないことですよ。
Q29. そういえば、イカンガーさんも、とても物静かで冷静な方でした。それに、今年のコモンウェルス大会でマラソンに出場し、金メダルを取ったフランシス・ナアリ選手(*便り50)も、本当に寡黙な方でしたね。
ところで、冷静さと頭のよさを求められる長距離とのことですが、短距離走者は、少々おっちょこちょいでも大丈夫なのですか?
ザンビ: 少々頭が悪くても、爆発的なキック力さえあれば、短距離走者として使えます。スタートと同時に、思い切り走ればいいのですからね(笑)。
Q30. ところで、ザンビさんは、現役当時、どの種目だったのですか?
ザンビ: 私は、頭が悪くてもできる100mのスプリンターでした(笑)。
バイ: ザンビ氏は、現役当時、100mのタンザニア記録を持っていたんですよ。それに、頭が悪いなんてとんでもない。彼はずっと学校の先生をしながら陸上コーチをしていて、その後は、ダル・エス・サラーム大学で、スポーツ学を教えていたんですよ。
ザンビ: 100mの記録を持っていたのは、何十年も前のことですけどね。
Q31. そうだったんですか。それでは、ザンビさんは、本当にタンザニアの陸上界の草分け的存在なのですね。
ザンビ: タンザニアの陸上界のことなら、タンザニア独立前のタンガニーカ時代から関わっていますよ。
Q32. ザンビさんは、アメリカ留学から帰って、タンザニアのスポーツ界には、何が必要だと思いましたか?
ザンビ: 私がアメリカに留学するまでは、スポーツを理論的に考えたり、科学的にとらえたりする考えは、タンザニアでは全くありませんでした。それに、タンザニア人がやっていたのは、陸上でただ走るだけ。他のスポーツはサッカーぐらいしか知らないという状態でした。
だから、私は、アメリカから帰って、科学的に裏打ちされたトレーニング方法を知ったコーチの養成と同時に、子供のうちからいろいろなスポーツを経験させることが大切だと思い、自分の教えていた学校で、アメリカのスポーツである野球を取り入れてみました。
Q33. タンザニアで野球? それは初耳ですね。子供たちの反応はいかがでしたか?
ザンビ: いやあ。新しいスポーツを教えるのがこんなに大変だとは思いませんでしたよ。まず、私がピッチャーとして、球を投げるから、バッターは球をよく見て、思い切りバットを振って球を飛ばせと指示したんです。
そうしたら、その子は、バットを思い切り振ったのはいいのですが、スイングした拍子に、バットまで手放してしまったので、そのバットが私に向って飛んできて、なんと、私の口に直撃したのです。
Q34. えっバットが口に直撃?
ザンビ: あの強烈な痛みは今でも忘れられないですね。その後しばらく失神していたのだと思います。そして、血だらけになってうめきながら起き上がったときには、子供たちは全員とんずらしていて、誰一人「先生、大丈夫?」と声をかける子がいなかったのには、本当にがっかりしましたよ。
そして、口の中の血を吐いたら、折れた前歯が4本も出てきたときは、もう二度と野球を教えるのはやめようと思いましたよ。
Q35. 子供たちはどうして逃げてしまったんでしょうか?
ザンビ: きっと私が死んだと思ったのでしょう。
Q36. それにしても、もし、そのとき、バットがザンビさんの口を直撃していなければ、今ごろはタンザニアでも、日本のように、野球がさかんになっていたかもしれないですね。
ザンビ: いやいや、やはり新しいスポーツを定着させるのは並大抵なことではないですよ。テレビででも、見ていたりすれば、やったことはなくても、どういうスポーツなのかイメージできますが、タンザニアの子供たちは、野球なんてみたことも、聞いたこともないですからね。
とにかくそれ以来、私は、自分のやってきた陸上をしっかり教えていこうと思ったのです。
1. 世界記録までの道のり
2. 世界新記録達成の瞬間
3. タンザニアに野球が普及しなかった理由
4. フィルバート・バイ学校