タンザニアの英雄、フィルバート・バイ氏インタビュー(4/4)
2002年8月8日
場所:フィルバート・バイ学校
1. 世界記録までの道のり
2. 世界新記録達成の瞬間
3. タンザニアに野球が普及しなかった理由
4. フィルバート・バイ学校
4. フィルバート・バイ学校
Q37. 今、子供たちの教育についてお話が出ましたが、バイさんが主宰されているフィルバート・バイ小中学校設立に至るまでの経緯を教えてください。
バイ: 私は、現役を引退した後も、陸上コーチや相談役は続けていましたが、やはり、将来のタンザニアスポーツ界を担う子供たちに、小さい頃からいろいろなスポーツを経験させ、その子に合ったスポーツを見つけ、才能を伸ばし、育てていくことが大切だと、外国のスポーツ界を見ていて感じていました。
残念ながら、現在のタンザニアの公立学校カリキュラムでは、スポーツが、あまりにも疎かにされています。それを補うために、スポーツを教育カリキュラムに総合的に取り入れて、子供たちの才能を見つけ、伸ばしていく学校を作りたいと長年考えてきました。私の考えに賛同してくれる人たちの協力を得て、やっと昨年開校することができました。
ザンビ:私の苦い経験から言っても、学校教育の中で、多くのスポーツを取り入れていくのが理想だと思います。日本ではもちろん、アメリカでもどこでも当たり前にされていることですけどね。
Q38. フィルバート・バイ学校を、これからどうのように発展させていきたいですか?
バイ: 現在、陸上、バスケット、サッカーはできるようになっています。今後はもっと室内競技の設備を整えること、そして、将来的には、タンザニアで一番設備的に遅れているプールを整え、水泳も子供たちに教えていきたいです。
Q39. そういえば、タンザニアでの水泳は全く聞きませんが、どういう状況なのですか?
バイ: 水泳はほとんど普及していないですね。なにしろタンザニア国内には、国際規定に達した競技用のプールが一つもないというのが現状ですから。
Q40. えっ? 国内で、競技用のプールが一つもないんですか?
バイ: そうです。だから、国際大会の参加はもちろんできません。なぜなら、タイムが基準に達するかどうかを正しく計測できるプールがないからです。
Q41. そうだったんですか・・・。
バイ: 日本の人からは想像できないでしょうけれど。それがタンザニアのスポーツ界の現状です。だからまず、自分たちでできる改善から始めていかねばという切実な思いの表れが、このフィルバート・バイ学校の設立だったのです。
そして、タンザニア陸上界の弱点である短距離走に力を入れるためにも、ジム設備を整え、将来は、シニアチームもジュニアチームも交替で使えるようなジム設備完備のスポーツの合宿所施設としても、この学校が使えればいいと思っています。
Q42. タンザニアのスポーツ状況をお聞きすればするほど、バイさんが始められた総合スポーツをカリキュラムに取り入れた学校というのは、本当に大きな意味がありますね。実際の活動としては、どんなことをされているのですか?
バイ: 校内の競技大会を頻繁に開くこと、そして、ダル・エス・サラームの学校との対抗試合をしたり、ザンジバルの小中学校生徒を招いて、小さいながらも陸上大会を開いたり、ザンジバルに子供たちを連れて行って、スポーツを通して交流しています。もちろん、スポーツ馬鹿ではなにもならないですから、文武両立を一番に考えていますよ。
Q43. ところで、お二人は、日本についてどう思いますか?
バイ: 私は、日本のどんな学校にも、総合的にスポーツができる環境が整っていることがすごいことだと思います。自分が学校を運営する立場に立って見ると、切実にそれを思いますね。日本の子供たちは、本当に恵まれていると思います。
Q44. ザンビさんはいかがですか?
ザンビ: 私はいろいろな国に行きましたが、日本はお世辞ではなく大好きです。私は外国に行くと、その国の普段着の姿を見るために、必ず市場に行くのですが、日本の市場が一番楽しかったですね。
Q45. 日本のどういうところが好きなのですか?
ザンビ: 私は、アメリカで5年間住んでいましたし、イギリスにも行きました。そこでは、それなりに親しく話す人もいました。
でも、白人は、我々が彼らにとって役に立つ黒人であれば親切にし、笑いかけるけれど、役に立たない黒人であれば、けしてフレンドリーにはなりません。だから、陸上関係者としているときは、受け入れられましたが、プライベートで過ごしているときには、あまり親切にはされませんでした。
でも、日本の人たちは、陸上関係者としているときは、イカンガーの国から来た人だということで、応援してくれましたし、一人で市場に行っても、くったくなく接してくれました。日本にいて、誰かが近寄ってくるときは、白人の国にいるときとは違って、その人の裏表を考えることなく、単純に人々の親切を喜べるので、楽でした。だから、私は日本が好きなんですよ。
Q46. 日本食はいかがですか?
バイ: チャーハンがおいしかったですね。
ザンビ: 日本茶が大好きで、どこにいっても日本茶を飲んでいました。
Q47. 何か日本に特別な思いではありますか?
ザンビ: 私には忘れられない思い出がありますよ。例の野球事件で4本の歯を失って以来、ずっと歯抜け顔で過ごしていたのですが、私が日本に遠征に行ったとき、親切な人が、差し歯を作ってくれました。嬉しかったですね。
でも、何年かして、カリアコ市場でバナナを食べたときに、バナナにくっついて、せっかく日本で作ってもらった歯がとれてしまったんです。残念でしたね、あの時は。
Q48. それは、本当に特別な思い出ですね(笑)。最後に、日本の陸上界についてご意見をください。
バイ: そうですね。私から見ていると、日本の陸上界は、マラソンを代表とする長距離走以外に、大きな希望を持っていないように見えるのですが、才能や力を自分たちでやる前から決めてしまわないで、短距離走や中距離走にもどんどん挑戦すべきだと思いますね。
タンザニアでは、短距離になかなか力が入れられません。なぜなら、短距離の選手を本格的に育成するためには、爆発的なキック力を身につけるためのジムトレーニングなど、設備もそれなりに必要になってくるからです。しかし、中距離、長距離にジムトレーニングは必要ないので、タンザニアのように設備の乏しい国では、必然的に中距離、長距離選手が多くなるのです。
そう言った意味でも、日本なら、どんなトレーニング施設も整っているはずですから、まんべnなく力を入れていけば、長距離以外にもいい選手が育っていくと思います。
子供たちの体型や走りを見て、競技を振り分けていくことはもちろん重要ですが、子供たちが、自分の力を早くから見切ってしまわないで、将来に希望を持って練習できるようなアドバイスをすることが大切だと思います。自信と希望が、人を育て、眠っている才能を引き出す鍵だと思うので。
ムナワル: 今日は、お二人とも、貴重なお話をたくさん聞かせてくださり、ありがとうございました。
インタビューを終えて
バイ氏は、以前から何度もお会いしていたのですが、いつも質素な服装で、普通に過ごしているし、自分からはけして過去の記録や自慢話などしないので、ごく普通のおじさんだとばかり思っていました。ザンビ氏のことも、気のいい歯抜けのおじさんとしか思っていなかったのですが、実は二人とも、タンザニアスポーツ界の重鎮で、バイ氏は、タンザニア人なら誰もが知っているヒーローでした。
お二人にあらためてお話を伺うと、すばらしいタンザニアスポーツ界の歴史が出てくる、出てくる。
それにしても、体育の授業で、跳び箱、マット運動から始まって、サッカー、バスケット、水泳・・・何種目ものスポーツに触れられるのは、当たり前のことだと思っていましたが、実はとても恵まれていることなんだなあと、今回のインタビューを通じてしみじみ思いました。
現在の公立学校のカリキュラムでは足りない、総合スポーツ教育の部分を、何とか自分たちの手で補おうという、タンザニア・スポーツ関係者の気持ちの表れが、フィルバート・バイ学校として実現し、これを一つのモデルケースとして、将来のタンザニア教育につなげていくための、いろいろな取り組みが始められたばかりです。
校内は、今もまだ、設備を整えている途中で、工事中の場所があちこちに見えました。そんな中、元気いっぱいの子供たちと先生方の声が響き渡っており、将来、フィルバート・バイ学校の生徒たちが、世界の舞台で活躍し、タンザニアのスポーツ界を担っていくんだなと思うと、わくわくしてきました。
あるときは、普通のおじさん、あるときは、厳しい目の技術審査委員長、あるときは、1500mを全力で駆け抜け、世界にタンザニアを知らしめた男。そして、その人の名は、タンザニアのヒーロー、フィルバート・バイ!
「フィルバート・バイ」という名前には、タンザニアの子供たちの夢が詰まっています。日本の皆さんも、ぜひ「フィルバート・バイ」の名前を覚えてくださいね。
1. 世界記録までの道のり
2. 世界新記録達成の瞬間
3. タンザニアに野球が普及しなかった理由
4. フィルバート・バイ学校