タンザニア便り '00年12月+'01年1月

No.20 「ラマダーン風景」(2000.12.11)
No.21「ラマダーン、明けましておめでとう」(2001.1.11)


No.20「ラマダーン風景」(2000.12.11)

ジャンボ!お元気ですか?

タンザニアは雨季の最中ですが、長びいた乾期のせいで、水&電気不足の真っ只中です。節電のため、ダル・エス・サラームでは一日おきに18時間、ザンジバルでは毎日8時間の計画停電が始まりました。期間は「ダムに水が溜まるまで」タンザニアの電力は水力発電に頼っています。つまり水力発電ダムがある地域に雨が降らないことには停電が続くので、いくら自分の住む地域で雨が降っても一概には喜べないというわけです。

そんな中、11月28日からラマダーン(イスラム教の断食月)が始まりました。ラマダーンはイスラム暦の第9月、イスラム歴は閏月を置かない太陰暦に沿って行われるので、毎年日にちが少しずつずれます。去年は12月10日から1月8日までだったため、お正月もラマダン一色のままでしたが、2001年のお正月はちょうどラマダーン明けのお祭 りの最中になるので、にぎやかに迎えられそうです。

イスラム教徒の多いザンジバルでは、ラマダーン開始当日から、島中のローカルレストランが一斉に閉まり、ザンジバル名物の露天の果物ジュース、ムシカキ(牛肉の串焼き)、フルーツの切り売りなど、庶民の食べ物もすべて姿を消してしまします。

また、ザンジバルではラマダーン中、「旅行者といえども、ラマダーン中は外で食べず、飲食はすべてホテル内でするように」という通達が出されます。ザンジバル人に至っては、「たとえ旅行者相手でも、ソーダの栓を抜いて売ってはいけない。ココナッツジュースも然り。守らないものは処罰する」となるのですから、ラマダーンの時期を知らずにやってくる旅行者はかわいそうです。

高級ホテル内のレストランしか開いていないので、大衆食堂でザンジバルの人々と隣り合わせになっておいしいピラウ(肉やじゃがいもなどを香辛料と炊き込んだご飯)やビリヤニ(トマトや玉葱をたっぷり使って肉を煮込んだルウと色粉入りの米を炊き合わせた料理)を味わえないばかりでなく、炎天下を歩き回り、汗だくになってやっとソーダを見つけても、詮を開けてくれないので、その場で飲むこともできません。

真っ青な海を見ながら、市場で買ったフルーツをかじろうものなら、目ざとく見つけた子供達がわさわさ寄ってきて、「見てみろ、見てみろ、こいつはラマダーン中なのに、何か食ってるぞー」という唄を歌って囃し立て、その人が場所を移動しても、そこらの空き缶や棒っきれを叩きながら楽隊のように後ろをついてきます。スワヒリ語のわからない旅行 者は、自分が何を言われているのかわからず、一緒になって手を叩いてはしゃいでいるのですが、事情のわかっているものからすると、非常に気の毒です。

断食というと、1日中飲まず食わずと思われがちですが、ラマダーンの断食は「日の出から日の入りまでの一切の飲食を禁ずる。」というものなので、人々は、日の入りの合図を待って食事を始めます。ザンジバルでは、今ならだいたい夕方の6時40分頃が日の入り時間なのですが、その時間から約30分は外を歩く人の陰もなくなり、車の音も聞こえず、街中がしーんと静まり返ります。皆家でその日初めての食事をとっているからです。

ザンジバル中の大衆食堂は丸1カ月間閉まってしまうので、普段は外食派のチョンガー達も、ラマダーン中の1カ月は実家や親戚や友達の家で食べるしかありません。だから彼らは、ラマダーン中の食事の確保のため、2、3週間前から、自分がお世話になるであろ う家に足繁く通って、急に水汲みを手伝ったりして自分の存在をアピールし、ラマダーン中いつ自分が来ても大丈夫な家を数件キープしておくというわけです。

ラマダーン中の食事の確保は、男性にとって非常に大きいウェイトをしめており、ラマダーン直前にばたばたと結婚し、ラマダーンが終わったらさっさと離婚するなんていうしょうもない輩もいるほどです。私も今回のラマダーンに入る2週間前に友人の結婚式に招かれましたが、新郎の方は、「これでラマダーン中の飯に困らないな」としきりに冷かさ れていました。

普段、ザンジバルの主食は米ですが、ラマダーン中にはほとんど米を食べません。この期間中はキャッサバ芋、ヤム芋、じゃが芋、さつま芋、マジンビ(さと芋に似た芋)、といった芋のココナッツ煮が中心となります。その中でも庶民がもっとも必要としているのは、何といっても一番安いキャッサバ芋なのですが、今年は水不足の影響でキャッサバ芋の出来が悪く、例年に比べて3倍の値段に吊り上っています。

そんなわけで、ザンジバルの市場では、少しでも多くのキャッサバイモを家族に持ち帰ろうと、一山ごとになっているキャッサバ芋を、真剣に見比べているおじさん(イスラム教徒の慣習で、普段の買い物は男性の役目なので、ザンジバルの市場はほとんど買い物カゴを持ったおじさん達です)の姿が目立ちます。

ということで、今回はザンジバルのラマダーン風景をお伝えしました。ラマダーン体験をしてみたい方は、一度日の出から日の入りまでの飲食をストップしてみてください。ただし、それを真夏の暑い日にやることを想像してみてくださいね。 GOOD LUCK!!

BY MUNAWAR


便り22 「ラマダーン、明けましておめでとう」(2001.1.11)
ジャンボ!
新年明けましておめでとうございます。
ザンジバルも無事年末にラマダーン(イスラム教の断食月)が明け、4日間のお祭りと共に、にぎやかな雰囲気で21世紀を迎えることができました。
さて、タンザニア便り20で、ラマダーンについてお話しましたが、きょうは、ラマダーン明けのお祭りの様子をお伝えしましょう。
日本では、お正月はもちろんのこと、キリスト教徒の宗教的行事であるはずのクリスマスまでも、国民的一大行事となっていて、12月に入るやいなや国中が盛り上がりますが、イスラム教徒が90%以上を占めるザンジバルでは、元旦もクリスマスも全く無関係、どちらもごく普通の日として過ぎていきます。とはいうものの、日本人の私達にとって、やはり元旦は一年の始まりとしてのけじめの日、我が家を訪れる人には「明けましておめでとう。」と挨拶しますが、太陰暦を使ったイスラム暦で生活している人にとってはカレンダー上の1月1日には何の意味もなく、「正月?何それ」という感じの人が大半です。
アラブ諸地方のイスラム暦と、スワヒリ語化されたイスラム暦とは少々違いがあります。アラブ諸国のイスラム暦ではラマダーンは9月にあたり、新年はラマダーンから3ヵ月後になるのですが、スワヒリ語化された月の名前でいくと、ラマダーンが12月にあたるので、東アフリカ地方のイスラム教徒にとっての新年は、ラマダーン明けとなり、4日間盛大に祝われます。
ラマダーン明けのお祭りは、日本のお正月にとてもよく似ています。朝一番で、夜明けと共に祈りをすませると、家でくつろぎ、その後は、とっておきの服に着替えて、家族連れで親戚や友人等の家を訪問しあいます。また、どの家でも、家族や訪問客に備えて、数日前から大掃除をし、女性達はビスケットやケーキ、マンダジ等日持ちのするお菓子を山ほど焼いてこの日に備えています。
日本でもお正月には、たとえ家族同士であってもあらたまって、「明けましておめでとうございます。」と挨拶するように、ザンジバルでもラマダーン明けの日には、「ジャンボ!」でも「サラームアレイコム」でもなく、あらたまった特別の挨拶があり、それを交わしてからでないと、普段の会話に入ることができません。この日は、「バラカトゥリィーディ」に対して「ミナルファィディーナ」と応えるのが決まり文句(アラビア語)なのですが、この挨拶は、ラマダーン明けの祭りとメッカ巡礼後の祭りの年に2回しか使わないので、私は何年経ってもこの言葉が覚えられず、いまだに祭りの前日になると、隣の人に「明日の挨拶、何でしたっけ?」とこっそり聞きにいっています。
家人は、訪問客とラマダーン明けの挨拶を交わし終わると、必ず甘菓子とコーヒーでおもてなしをし、昼時になれば、各家でたくさん炊き込んだピラウやビリヤニといったご馳走が振る舞います。挨拶回りは、1軒だけでなく、何軒も回るのが普通です。大人は自分のお腹の調子を考えて食べることができますが、子供は初めの1、2軒のお菓子だけで既にお腹がいっぱいになり、えてして昼のピラウは「もういらなーい」ということになるようです。お祭りは4日間続くので、それを見越して、「お祭りの1日目はどうせ子供達はなんだかんだでお菓子ばかり食べて、ろくにご飯を食べないから、ピラウは炊かないで、2日目から炊くようにしている」という家もあります。ちなみに、我が家はもう何年も、お祭り1日目は友人宅から届けられるピラウをごちそうになり、2日目は米2キロ分のピラウを炊いて人を迎えるというのが恒例になっています。
お年玉と同じように、子供達にお金を渡す習慣もあり、子供達はお腹がいっぱいになっても、お年玉欲しさに挨拶回りについていくというのは、日本の子もザンジバルの子も同じようです。ただし、昨今の日本のように高額ではなく、釣銭程度の小銭です。だから、このお祭り期間中、子供達のポケットは、小銭でじゃらじゃら膨らんで重たそうです。このときはどの子も一番おめかしをして外出するのですが、親が服を選ぶ基準は、「この子がどれだけ可愛く見えるか。」でも、着せられる側の子供達の願いはただ1つ、「なるべくポケットの大きい服が着たい。」ということのようです。
おめかしして親に連れられてくる子供達は、大人に混じってかしこまって甘菓子やコーヒーでもてなされ、最後に家人からお年玉を渡されるまでおとなしくしているのが常ですが、中には露骨にお年玉集めに回るじゃりんこ集団もいて、ドアを開けると、全く見知らぬ子供達が5,6人で一斉に手を出すという光景だけはいまだに慣れません。「子供だけで知らない家にお金をせびりに来るのは、親のしつけが悪い」と、ザンジバルの人は口を揃え、顔見知りではない子は追い返されるのが普通ですが、それでも中には誰にでもお金を渡す人もいるので、このお祭り期間中は、近所どころか何時間もかけて町まで歩いてきて、片っ端から知らない家のドアを叩いて回るつわものグループもいるほどです。
この期間中、ザンジバルでは夕方から夜中まで、各地に大掛かりな夜店が出て、祭りは最高潮に達します。夜店の内容は、ジュース、ムシカキ(牛肉の串焼き)、果物、わたがし、といった食べ物を初め、輪投げ、的当て、カードといったゲームや、筵で覆っただけの野外ディスコやマジックショー、各地方の伝統舞踊の小屋や芝居小屋も出て、一時代昔の日本の村祭りのようです。
芝居小屋では、毎年「悪魔」が人間に乗り移り、それを呪術師が退治するというお決まりのどたばたコメディーが上演されているのですが、毎年その悪魔がどこ出身の悪魔かが話題になります。2年前は「コモロ出身の悪魔」で、去年は「ペンバ島から来た悪魔」、今年は「モンバサから悪魔来たる!」というふれ込みでした。でも、悪魔のお面やペイントが変るぐらいで内容はマンネリもいいとこなのですが、なぜか毎年芝居小屋は満員です。やっぱりお祭りというのは、毎年決まりきったことを同じようにするというところに意義があるのでしょうか?
ということで、新年初めのタンザニア便りは、ラマダーン明けのお祭りについて書いてみました。
ところで、あなたのお正月はいかがでしたか?
2001年が、あなたにとって素晴らしい1年になりますよう、ザンジバルの真っ青な空の下より心から祈っています。
GOOD LUCK!!
BY MUNAWAR
NO.1「ジャンボ!」(2000.4.15)
NO.2「タンザニアのゴールデンウィークは大雨期の真っ最中」(2000.5.10)
NO.3「ジャンボ、ベイビー! (こんにちは、赤ちゃん)」(2000.5.18)
NO.4「カンガ(布)は語る」(2000.5.25)
NO.5 「日本はぼた餅、タンザニアはタコとサメ!」(2000.6.12)
NO.6「リズム感のルーツは子守唄にあり」(2000.6.28)
NO.7「日本は七夕、タンザニアはサバサバ!」(2000.7.11)
NO.8「アフリカフェの故郷ブコバ」(2000.7.16)
NO.9「アフリカフェの生みの親、TANICA社」(2000.7.16)
NO.10「コーヒーに最適な土地、ブコバ」(2000.7.18)
NO.11「ブコバでは、無農薬が当たり前」(2000.7.18)
NO.12「恐怖のこうもり男」(2000.7.18)
NO.13「小規模だからこそできる有機農業」(2000.9.11)
NO.14「オリンピックって何?」(2000.9.27)
NO.15 タンザニア式炭焼きケーキ(2000.10.8)
NO.16 自然と人間のハーモニー(2000.10.19)
NO.17「アロマティックライフの勧め」 (2000.11.1)
NO.18「アフリカフェ・アロマの秘密」(2000.11.11)
NO.19 「続アロマティックライフの勧め」(2000.11.21)
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