TINGATINGA ART ティンガティンガ・アート Last Update 2021.1.21. |
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ティンガティンガ・アートは、1960年代末、タンザニアで発祥した絵画スタイル。 ティンガティンガという名称は、創始者の名前 Edward Saidi Tingatinga(1932-1972)に由来します。 サバンナの動物や豊かな自然、人々の暮らしを、現地ティンガティンガ芸術村(工房)で 活躍するアーティストたちが、たった6色のペンキを使って、色鮮やかにのびのびと描き出す、 アフリカを代表する現代アートです。
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アフリカ製品輸入元 (株)バラカ 〒542-0012 大阪市中央区谷町9-5-15 中田ビル4F TEL:06−6763−1155 FAX:06−6763−1145 お問い合わせは、こちらへ 当サイトの画像および文章を、無断で複写、転載することをお断りします Copyrights (C) Baraka Co;Ltd. All rights reserved. |
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Exhibition 自社主催ティンガティンガ原画展 ティンガティンガ原画展と アフリカンファッション雑貨 |
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(株)バラカは、各地で、ティンガティンガ展や楽しいアフリカ関連イベントを開催しています。 機会がありましたら、ぜひ遊びにお越しください。
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Invitation アーティストの日本招聘 日本=タンザニアの交流 |
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ティンガティンガ・アートのご紹介では、2010年より現地タンザニア ティンガティンガ芸術村(工房)から アーティストを招聘し、展示会場内で公開制作を披露、アートと共にタンザニアの魅力を伝えています。 これまでに計32回、12名の画家を日本に招へいしてきました。 また来日時には学校訪問、絵の寄贈、ワークショップなどの文化交流を定期的に開催しています。 2011年の東日本大震災発生直後に画家たちから「今こそ日本に恩返しを!」と声が上がり、 発生以来収益の一部を義捐金に使わせて頂いております。 |
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Contribution ティンガティンガ村への画材支援 |
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(株)バラカは、毎年開催している自社主催ティンガティンガ原画展、 日本各地の百貨店等で開催するティンガティンガ原画展の収益の一部から、 2008年第1回名古屋展から毎年恒例として、現地ティンガティンガ村のアーティストへ、画材支援を続けています。 日本から持ち帰った絵筆や刷毛筆は、とても描きやすいと評判で、 「今年も、この筆を楽しみにしていたんだ!」とアーティスト達は大喜び。 バラカのティンガティンガ展に出品したアーティストが中心なのはもちろんですが、 出品しなかった人にも行き渡るよう、多く用意しています。 画材支援だけではなく、彼らのリクエストの応えて発電機などの贈呈や、工房修繕にも協力しています。 |
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Donation ティンガティンガ・アートの寄贈 |
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ティンガティンガ原画展開催時に招へいした画家と共に、各地の学校訪問、絵画寄贈、ワークショップ開催、 また公共施設への絵画寄贈など、積極的に文化交流を続けています。 |
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天王寺動物園の100歳の誕生日にティンガティンガ・アートを寄贈しました |
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大阪市営交通110周年記念ティンガティンガ・アート寄贈と感謝状拝受 |
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The founder of TINGATINGAART 創始者ティンガティンガ |
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The style of TINGATINGAART ティンガティンガの作風と精神 |
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TINGATINGA Village ティンガティンガ村 |
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参考文献 ・TINGATINGA−The Popular Paintings from Tanzania written by Yves Goscinny ・TINGATINGA in Kiswahili and English - Tingatinga Cooperative Society |
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アフリカ製品輸入販売元 (株)バラカ 大阪市中央区谷町9丁目5番15号 中田ビル4階 TEL:06-6763-1155 FAX:06-6763-1145 ご意見、ご感想、お問い合わせは、こちらよりお寄せ下さい |
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OUR SHOP ★直営店ティンガティンガ・アートギャラリー&アフリカ布・雑貨店 |
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★直営店バラカのギャラリー&アフリカ布・雑貨店 常時ティンガティンガ・アート原画 1,000点が揃っています。 タンザニアから届いた、バラカのアフリカングッズも、全品勢ぞろい。 アフリカ色にあふれた楽しい空間 バラカのギャラリーで、 タンザニアのティンガティンガ村体験してみませんか? ▼営業時間 : <平日・土> 10:00 - 18:00 (日祝休) ▼休廊日 : 日祝休 土曜日が祝日の場合は開廊します(年末年始は除く) ※時期により休廊の場合がありますので 事前にご確認ください ★営業日のお知らせ ギャラリー&ショップの住所、電話番号は、(株)バラカと同じ ★アクセスマップは こちら |
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Online SHOP アフリカフェ@バラカのセレクトショップ |
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パソコンからも、携帯からも、→ http://africafe.shop-pro.jp/ |
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BOOKS |
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2017年11月刊行 「アフリカの民話集 しあわせのなる木」 島岡由美子 文 ヤフィドゥ・マカカと8人のティンガティンガ・アーティストたち 絵 未來社 ★くわしくはコチラ!★ |
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「アフリカの民話〜ティンガティンガ・アートの 故郷、タンザニアを中心に〜」 ★くわしくはコチラ!★ |
「ポプラ社世界の絵本 しんぞうとひげ」 しまおか ゆみこ:採話 モハメッド・チャリンダ:絵 平成27年度厚生労働省 社会保障審議会推薦 児童福祉文化財 ★くわしくはコチラ!★ |
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TINGATINGA ARTIST ティンガティンガ・アーティスト紹介 |
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ここでは、有名無名は問わず、私たちバラカが素敵だと感じる絵を描く、 現代のティンガティンガ・アーティストをご紹介します。 それぞれの作品は、アフリカフェ@バラカのセレクトショップ またはイベントや展示会場、バラカのティンガティンガギャラリー&ショップでご覧頂けます。 タンザニアのハッピーアート、ティンガティンガの世界をたっぷりお楽しみください。 |
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<アーティスト名インデックス> | ||||||||||||
Omary.A.Amonde アモンデ |
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アート創始者 E.S.ティンガティンガの死の直前に弟子入りした最後の弟子。E.S.ティンガティンガの甥にあたる。 1940年4月12日生まれ 1972年から現在までオーソドックスなティンガティンガスタイルを描き続ける。 ペンキを混ぜ合わせて独自の色合いを作り出すスタイルはまるで油絵のよう。 動物と戯れる鳥、蝶、バッタ、カメレオンなど脇役の姿もかわいらしく、1つの画面の中でのストーリー性を追求している。 Salum Mssa(1999年没)と共に、バオバブの下から始まったティンガティンガ村の屋台骨を担い、長年若手の育成に取り組んできた。 |
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「亡き師ティンガティンガは、 『とにかく俺の描くところをじっと見てみろ。そして、模倣して描いてみろ。それが描けるようになったら、どんどん自分の絵を描いていけばいい』 と教えてくれた。 だから私はあれから30年以上たった今も、若い人たちには同じように教えているよ」 「自分の子もアーティストにしたくて、少し描かせてみたけどだめだった。 その分、若手アーティストがたくさん育っているから安心さ」 と笑って語るティンガティンガ村の最古参。 サインは、O.A.Amonde NHKテレビ番組『夢の聖地アフリカへ ジミー大西・絵描き修業の旅』で、ジミー大西さんにティンガティンガアートを伝授。 (Mukura やNakokoは、Amondeの実弟) 2015年2月18日74歳で逝去。 |
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アモンデの作品は→こちらです。 |
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A.Hassani.Kamale ハッサーニ |
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1943年生まれ ティンガティンガの5人の直弟子といわれるTedoに学び、1973年から絵を描き始め、現在にいたる。 尾長鳥(Dege Mkia)を美しい線で描くことと、ティンガティンガ・アートのクラッシックスタイルを貫いていることで知られている。 若手の指導にも力を注ぐ、ティンガティンガ村のリーダー的存在の一人。 2人の息子も、ティンガティンガ・アーティストとして活躍中。 ハッサーニ曰く、 「親子2代、ティンガティンガ・アーティストとして絵を描き続けていられるのは、とても幸せだ。 私には、他の職業なんて、考えられないよ。 孫も、ぜひこの道に進んでもらいたいね」 |
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Abbasi Mbuka Kiando ムブカ |
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1975年生まれ ダルエスサラーム出身 母から勧められたことが、アーティストになったきっかけ。 1992年から義理の父親にあたる Salum Mussa に手ほどきを受け、ティンガティンガアーティストになる。 空高くそびえ立つキリマンジャロ、朝日に輝く大地、サバンナに生きる動物達。 動物画が得意で、一頭一頭の動物が、画面から抜け出して語りかけてくるような動きのある絵を描く。 2011年ティンガティンガ原画展に初来日、 福岡展@大央ホール、博多阪急、札幌展@ギャラリーESSE 、2012年は横浜展@ギャルリーパリ、名古屋展@ギャラリー余白、大阪高島屋、阪急うめだ本店、 2013年横浜展@ギャルリーパリ、名古屋展@ギャラリー余白、大阪高島屋、 2014年大阪高島屋、西日本インポートフェア@小倉の各会場にて公開制作を行い、好評を博す。 サインは Mbuka |
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2007年、美しい色で表現されたアフリカの生活画を描いた作品が、スターバックス コーヒー ジャパンの限定販売オリジナルタンブラーに起用されました。 (株)バラカは、大阪市営交通110周年を記念して、2014年4月、大阪市交通局へ、ティンガティンガ・アート76点を寄贈致しました。 その中には、アーティストのムブカ氏によるオリジナル作品もあります。 作品タイトルは「JAMBO(こんにちは)!大阪〜大阪市営交通110周年おめでとう〜」。 大阪市営地下鉄天王寺駅構内に飾られ、多くの利用者の方に楽しんでいただいています。 2017年「アフリカの民話集 しあわせのなる木」未来社より発刊。(文 島岡由美子/絵 ヤフィドゥ・マカカと8人のティンガティンガ・アーティストたち ) ザンジバル在住30年の著者が、アフリカの人々から伝え聞いた、各地に伝わるお話20篇に、ヤフィドゥはじめ9名のアーティストにより、ティンガティンガ・アートの挿絵が描き上げられた。 |
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Mustapha Abdalla Yusuf ムスターファ |
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1975年生まれ Nakapanya出身 1996年から、本格的にティンガティンガアーティストとして活動を始める。 安定した構図の中に、のびのび描かれる動物群像が人気。 躍動する動物のシルエットにまでこだわる繊細なタッチと美しい色使いが特徴。 サバンナの夕日に強い愛着を持っており、彼の描く美しい夕焼け空の下で憩う動物たちの絵は、見る者の心を安らげ、よく登場する愛らしい親子ゾウは、彼の作品を癒しのムードにしている。 |
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2009年5月名古屋で開催された第2回ティンガティンガ展にて人気投票NO1の座を獲得。 2010年夏、初来日を果たし、鳥取砂の美術館・横浜ギャルリーパリにて、つづいて2011年春、横浜ギャルリーパリ、名古屋ギャラリー余白、大阪バラカ展、大阪なんば高島屋にて、公開制作を実施。ティンガティンガ・アートの手法を披露し、話題を呼ぶ。 2011年、美しい色で表現されたバオバブのシャターニ(精霊)とサバンナの動物たちを描いた作品が、STEAM CREAM【スチームクリーム】限定缶に起用されました。 2015年、第一回タンザニア国際美術展覧会 ティンガティンガ展にて、大賞受賞。 2016年春、3度目の来日。阪急うめだ本店、ジェイアール名古屋高島屋、大丸神戸店、遠鉄百貨店、大丸心斎橋店にて、公開制作を実施。ティンガティンガ・アートの手法を披露し、話題を呼ぶ。 2017年「アフリカの民話集 しあわせのなる木」未来社より発刊。(文 島岡由美子/絵 ヤフィドゥ・マカカと8人のティンガティンガ・アーティストたち ) ザンジバル在住30年の著者が、アフリカの人々から伝え聞いた、各地に伝わるお話20篇に、ヤフィドゥはじめ9名のアーティストにより、ティンガティンガ・アートの挿絵が描き上げられた。 |
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Lukas Ndunguru ルーカス |
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1987年生まれ。 田舎で小学校に上がったが、学費が払えず2年で中退。1995年13歳でダルエスサラームへ。祖父サイディに弟子入りし、ティンガティンガ村にて絵を学び、アーティストに。 「学校へは行けなかったけど、このティンガティンガ村が、ボクにとっての学校でした。 祖父であり、師匠である saidi に習ったように、どんなに小さな作品でも手を抜かず、丁寧に、自分らしい動物画を描いていきたいです」 |
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ルーカス自身が語るとおり、小さな作品の丁寧さは群を抜いている。ティンガティンガ村の将来を担うと期待されている。細かい枝まで緻密に描かれたバオバブの木の前で遊ぶ動物たちの絵も好評。 2010年新発売の瓶入りアフリカフェ新パッケージには、Lukas のバオバブが起用された。 2019年初来日、沖縄読谷村、横浜高島屋、大丸福岡天神店、静岡伊勢丹ふじさんメッセ、日本橋高島屋にて、公開制作を実施。ティンガティンガ・アートの手法を披露し、話題を呼ぶ。 |
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Saidi Nakoko ナココ |
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1952年生まれ アーティストになる前は、映画館に18年も勤めていたという変り種。 38歳で絵筆を持ったその日から、アイディアが沸き続けていると言う。 「映画館に勤めて、美しい映像をたくさん見ていたおかげかな」 と笑うナココの描くカバは、ソフトタッチで実に愛くるしい。 特徴ある象とともに、彼のオリジナル。 難聴という障害を持つが、「目が見えて、手が動けば幸せさ」と笑い飛ばす。 Amondeの実弟。 |
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Abdul Amonde Mkura ムクラ |
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1954年8月18日生まれ 1974年にダルエスサラームに来て、実兄アモンデに弟子入り。Amondeの絵を売る傍ら、絵の修行に励む。 2年後から自分で作品を描くようになり、現在に至る。 動物画を得意とし、1990年代から、独自のタッチで、ストーリー性を重視したオリジナルの作風を確立。 |
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1992年に初来日して以来、6度の来日を果たし、個展を開催するなど、日本で早くから認められているティンガティンガアーティスト。 ムクラの描く闇夜に浮かぶ象、サイなど迫力ある動物画は、日本だけでなく、欧州でも評価が高い。 2015年、第一回タンザニア国際美術展覧会 にて、大賞受賞。 |
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Zaburi Chimwanda チムワンダ |
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1947年生まれ 1973年から30年以上、ティンガティンガ・アートを描き続けている。 Amondeとともに、ティンガティンガ村を担ってきた大御所の一人。 「Amondeと一緒に、長い間必死でこのティンガティンガ村を引っ張ってきた。今は多くの若い弟子も育ったので、安心して自分の絵をゆっくり描けるよ」 とにこやかに笑う。 |
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そんなChimwandaの描く動物は、どれも愛くるしい目をしていて、とってもキュート。 2013年5月25日 66歳で逝去。 |
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Noel Kambili カンビリ |
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1976年生まれ Salum Mussa に弟子入りして修行を積む。 オーソドックス・スタイルで描いてきたが、あるインド人から、蝶の絵を頼まれたことがきっかけで、蝶と花をティンガティンガに取り入れ、独自の路線を作る。 |
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彼の描く蝶や花の精密かつ繊細な美しさは、ティンガティンガ村の中で異彩を放っており、ティンガティンガ村を訪れる外人客の多くは、カンビリの絵の前で立ち止まり、「Beautiful!」の声をあげている。 アフリカキアゲハ、アフリカテングチョウなど、タンザニアならではの珍しい蝶も題材となっており、絵の中で、蝶の種類を追うのも楽しい。 |
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Sefu Thabiti セーフ |
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1993年生まれ ダルエスサラーム出身 2009年7月からアート活動を開始。 丁寧に描かれた小作品が好評、とくに深い青が印象的。 父サビティから以前に2度絵の道を勧められたが、学生だった彼は将来についてまだ深く考えていなかったため断った。 その後、ティンガティンガアーティストになりたいと自から入門。 「タンザニアには、働く場が少ないので、学校を出ても働かないまま、未来に希望のないまま過ごしている友達も多いし、仕方のない事と思っていたけれど、働くことが人間の基本だとわかったので、今の僕は、自分の父親のようにティンガティンガ・アーティストとして絵を描いて生活をしていくことしか考えていません。 元々絵が好きだったので、アイディアはどんどん湧いてきます。もっともっとうまくなって、大きなサイズの作品も描きこなせるようになりたいです」 |
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Godfrey Tiamuru ゴッドフレイ |
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1974年生まれ 1998年より、漫画の世界からティンガティンガアートに移って以来、動物画と共に、メッセージ性のある生活画を描き続けている。 サインは Godfrey |
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動物画のときは、創始者ティンガティンガが当初描いた、一つのキャンパスに動物一匹のスタイルを好んで描く。色とりどりでにぎやかな印象の絵が多い中、背景の抑えた色と静かな雰囲気の単一動物画は、 独特のムードをかもし出している。 エイズ感染防止メッセージを含めた絵も描く。 「タンザニアでも増え続けているエイズについて、アーティストとしてできることをしたいと思って、自分の絵のテーマの中に加えています」 ゴッドフレイの作品に込めた思いをご紹介しています 「世界エイズデー2010〜エイズについて考えてみよう!」 「マンデラ氏に捧ぐ虹色のティンガティンガ・ポストカード」 |
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Agnes Mwidadi Mpata アグネス |
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1968年生まれ ダルエスサラーム出身 元祖 E.S.ティンガティンガと直弟子サイモン・ジョージ・ムパタの姪。 初の女性ティンガティンガアーティスト、バラカのコースターチームのリーダー 1979年より、E.S.ティンガティンガの弟かつ直弟子であり、ナイロビでアーティスト活動していたS.G.Mpataの家で過ごす。 学校卒業後、ナイロビで就職。オフィスガールをしていて順調だったが、タンザニアに一人残っていた母セシリアに懇願され、1994年 タンザニアに戻る。 1995年からティンガティンガ村にて叔父の Salum Mussa に師事し、本格的に絵を描き始める。 キリンの腹側の毛並みと背側の毛を描き分けるなど、ティンガティンガのオールドスタイルにはなかった新しい技法も含めて、丁寧に教えられた。 「幼少から見ていた叔父 S.G.Mpata のオーソドックススタイルと、Salum Mussa のニュースタイルの両方の良さを取り入れ、自分なりの作風をめざしています」 1996年より、女性第一のティンガティンガアーティストとして国際的にも注目されるようになり、スイス、オーストラリア、中国などに招聘されている。 |
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1996年、1998年、2002年、2007年スイスに招聘。 1996年オーストラリア招聘。 2003年中国招聘。 2004年には、タンザニアの女性アーティストグループの一人に選ばれ、南アフリカで開かれた女性アーティスト会議に参加。 家庭には夫と3人息子がある。 <初の女性ティンガティンガアーティストとして> 「自分が描き始めたことで、女性の後進が少しずつ増えてきているのがうれしいです。 女性は、即生活の足しになる小さなグッズ作りに走りがちですが、やはりアーティストは、キャンパスに絵を描けてこそ価値が決まるものだと思うので、女性アーティストたちにも、小さなグッズと並行して、絵を描き、実力をつけていくようアドバイスしています。 これからは、他の女性アーティストも、国際舞台に立って、タンザニアのティンガティンガアートをアピールしていってほしいです」 |
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Mohamed Charinda チャリンダ |
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1947年2月6日生まれ タンザニア国ルブマ地方トンドゥール地区ナカパニャ村出身 1974年から、バオバブの木の下でアート活動を始めて以来、ティンガティンガアート一筋の古参アーティスト。 クラッシックスタイルと呼ばれる素朴な動物画とともに、メッセージ性のある独特な 生活画や、シャターニ(精霊・悪魔)の世界を描くことで知られている。 シャターニのイメージは、夢の登場人物。「夢の中で、彼らが動いたり話しかけたりするので、それをキャンパスに描くんだよ」 一方、生活画は、コミカルかつ優しいタッチ。創始者ティンガティンガと同郷のチャリンダが描く生活画には、故郷ナカパニャ村の出来事が多く描かれている。 息子Athmaniと妻Dalinにも自ら絵を教え、ティンガティンガ・アーティストに育て上げた。 |
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2007年、美しい色線で表現されたアフリカの生活画を描いた作品が、スターバックス コーヒー ジャパンの限定販売オリジナルタンブラーに起用されました。 2012年バラカ出版「アフリカの民話〜ティンガティンガ・アートの故郷、タンザニアを中心に〜」(島岡由美子 文・写真 モハメッド・チャリンダ 絵) ザンジバル在住25年の著者が、アフリカの人々から伝え聞いた、各地に伝わるお話22篇に、ティンガティンガ・アートの挿絵を描き上げた。 2015年アフリカの民話の一篇より、ポプラ社出版「アフリカの民話絵本「しんぞうとひげ」ポプラせかいの絵本(47)」(島岡由美子 採話 モハメッド・チャリンダ 絵)が発刊。新たに挿絵を描きおろし、広い世代に好評を得ている。 ポプラ社刊 アフリカ民話絵本「しんぞうとひげ」が、平成27年厚生労働省 社会保障審議会 推薦児童福祉文化財に、決定しました。 2017年「アフリカの民話集 しあわせのなる木」未来社より発刊。(文 島岡由美子/絵 ヤフィドゥ・マカカと8人のティンガティンガ・アーティストたち ) ザンジバル在住30年の著者が、アフリカの人々から伝え聞いた、各地に伝わるお話20篇に、ヤフィドゥはじめ9名のアーティストにより、ティンガティンガ・アートの挿絵が描き上げられた。 サインは、Mohamed Charinda |
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Dalini Mohamed ダリーニ |
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数少ない女性アーティストの一人。 ナカパニャ村出身 Mohamed Charinda の妻。 バラカのコースターチーム 結婚して10年間専業主婦だったが、最古参ティンガティンガ・アーティストの一人である夫Charindaが病気をした際に、 「生活のために、お前も絵を描いてみないか」と言われ、絵筆を取る。 「はじめは、難しくてやめたいと思いましたが、少しずつ絵を描くことに慣れたら、だんだん好きになってきました。 「Nakapanyaという田舎で育ったので、幼い頃から見ていた森の動物たちを思い出しながら、絵を描いています。 子供にも、ぜひティンガティンガ・アーティストになってほしいです」 やわらかく優しい色使いは、Daliniの特徴。 2012年、美しい線で表現されたアフリカの尾長鳥を描いた作品が、オフィスコーヒーのパッケージデザインに起用されました。 |
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Rubuni Rashidi ルブニ |
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1969年生まれ トンドゥール地方出身 1989年にダルエスサラームに来てティンガティンガ・アートを知り、1990年から Mzee Chimwanda に師事し、修行する。 キリンの絵を初めに習ったので、今もキリンが得意。 「故郷にはゾウ、ウサギなど動物が多かったので、絵を描くときは、故郷の動物達をイメージしながら描いています」 ティンガティンガアートでは新しい分野、キペペオ(蝶)も題材にしている。 |
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Mauris Malikita マリキータ |
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1967年生まれ ムゥエラ地方出身 1988年から活動を開始する。 病院、市場、など人々の生活風景を描くのが得意。 市場や街角でスケッチをして構想を練るという、ティンガティンガアーティストの中では珍しいタイプ。 将来は、外国で展示会をして、ティンガティンガ・アートを通して、タンザニアン・ライフを紹介したいと抱負を語る。 (その後、イタリア ミラノで個展が実現 2007年11月15日〜12月5日) 2010年1月9日号の東洋経済の表紙に、代表作「アフリカンマーケット」が掲載された。 |
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2009年新発売、ザンジバルMIXスパイスのパッケージデザインに、今にも現地の熱気と喧騒が聞こえてきそうな、スパイス市場の賑わいを描いた作品が起用されました。 2011年、カラフルに表現された町の美容室を描いた作品が、STEAM CREAM【スチームクリーム】限定缶に起用されました。 |
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Mohamed Saidi サイディ |
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1968年に、初めてダルエスサラームに来たときに、キガンボニに住んでいた創始者 E.S.ティンガティンガに会ってはいるが、そのときは絵に興味がなく、故郷に帰って洋服の仕立をしていた。 1973年に再びダルエスサラームに来たときには、ティンガティンガは亡くなっており、Amondeに弟子入りして、活動を始め、Amonde一門の長の一人として、ティンガティンガ村をひっぱってきた。 オーソドックスな動物画は、やわらかい色使いとほのぼのした表情の動物で、アフリカの癒しの風景といった印象を受ける。 |
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いつもおだやかな表情で筆を動かしている。 「あとどれだけ描けるかわからないから、1枚1枚、楽しんで丁寧に描きたいね」と語る。 2017年「アフリカの民話集 しあわせのなる木」未来社より発刊。(文 島岡由美子/絵 ヤフィドゥ・マカカと8人のティンガティンガ・アーティストたち ) ザンジバル在住30年の著者が、アフリカの人々から伝え聞いた、各地に伝わるお話20篇に、ヤフィドゥはじめ9名のアーティストにより、ティンガティンガ・アートの挿絵が描き上げられた。 |
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Daudi Tingatinga ダウディ・ティンガティンガ |
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創始者ティンガティンガの実の息子。 Salum Mussa に指導を受け、1989年から活動を開始する。 父 E.S.ティンガティンガが亡くなった時は5歳だったので、あまり記憶はないが、筆で何かを描いていたのをうっすらと覚えているとのこと。 母は、1995年に亡くなるまで、亡き夫 E.S. ティンガティンガのことを 「お父さんは、働き者で生活力のある人だった。椅子やカゴを編むことから何から、工夫とアイディアにあふれていた。一生懸命生きた人だった」と子供達に語っていたそうだ。 |
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Daudi曰く、 「動物画、生活画、いろいろ描いてみましたが、ある時期から、父 E.S. ティンガティンガのシンプルな作風が一番すばらしいと感じるようになったので、父の作品を徹底的に模倣する試みをしたところ、それが自然に、自分自身のスタイルになっていきました。 今は、父 E.S.ティンガティンガの名と作風を残すことが自分の使命だと感じています」 2007年、カラフルに表現されたコーヒーの木と動物たちを描いた作品が、スターバックス コーヒー ジャパンの限定販売オリジナルタンブラーに起用されました。 2015年5月急逝 |
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Abdalla Saidi Chilanboni アブダラ |
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1968年生まれ Nakapanya出身 20歳でダルエスサラームに来て、車のメカニックの仕事に就いたが、父親の勧めで 1989年より、叔父であるSaidiに師事し、ティンガティンガ・アーティストに。 動物画と共に、村の風景を描く。 「父が猟師だったので、動物は、自分にとってとても身近な存在でした。 そのせいか、絵を描き始めた時から、模倣よりも、自分のイメージを描くほうが得意でした」 |
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故郷に強い愛着を持ち、 「私が描く村の風景は、すべてNakapnya村の出来事や思い出です。 叔父 Saidiから、オーソドックス・スタイルをしっかり習ったので、これからは、自分の故郷の風景とともに、民族の歴史を、自分の絵の中に残すことで、自分のティンガティンガ・スタイルを作っていきたい」 と、熱く抱負を語る。 2012年ティンガティンガ原画展に初来日、 札幌展@ギャラリーエッセ、仙台展@LBギャラリー、 2015年横浜展@ギャルリーパリ、名古屋展@ギャラリー余白、三河安城展@バルーレギャラリー、山形展@山形県芸文美術館の各地にて公開制作を行い、人気を博す。 2017年「アフリカの民話集 しあわせのなる木」未来社より発刊。(文 島岡由美子/絵 ヤフィドゥ・マカカと8人のティンガティンガ・アーティストたち ) ザンジバル在住30年の著者が、アフリカの人々から伝え聞いた、各地に伝わるお話20篇に、ヤフィドゥはじめ9名のアーティストにより、ティンガティンガ・アートの挿絵が描き上げられた。 |
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Mwamedi Rajabu Chiwaya ムワメディ |
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1979年生まれ ダルエスサラーム出身 ティンガティンガアーティストの父 Rajab Chiwaya の影響で1991年から絵筆を持ち、 ティンガティンガアートの世界へ。 1995年から本格的に活動を始める。 「私は、小学校しか行っていないけれど、ティンガティンガアーティストとして誇りを持って生きています。 父から習ったオーソドックスタイプと、自分らしさを前面に出した作風の二つを描き分けています。 ゾウやキリン、鳥などは、描き方が幾通りもあるんですよ」 |
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作品ごとに表情や描き方が変わる動物たちの絵が人気。 まるでメリーゴーランドのような楽園を描き出す美しい色遣いもMWAMEDIの持ち味。 サインは MWAMEDI 2014年ティンガティンガ原画展に初来日、 これまでタンザニアを出たことがなく、彼にとって初めての外国がここ日本。うめだ阪急、なんば高島屋、大阪市立天王寺動物園、あべのハルカス、 2015年、札幌展@アートスペース201、横浜高島屋、あべのハルカス近鉄本店、阪急うめだ本店の各地にて公開制作を行い、人気を博す。 2012年、美しい色で表現されたキリンのカップルを描いた作品が、オフィスコーヒーのパッケージデザインに起用されました。 (株)バラカは、大阪市立天王寺動物園開園100周年を記念して、2015年1月、天王寺動物園へ、ティンガティンガ・アートを寄贈致しました。 ムワメディ氏が、特別に描き上げた天王寺動物園100周年記念作品です。 作品タイトルは「天王寺動物園開園100周年おめでとう! 〜 Hongera kwa miaka 100 TENNOJI ZOO ! 〜」 |
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Mwatuka Salum Mussa マトゥカ |
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1981年9月24日生まれ 創始者 E.S.ティンガティンガの後を継いでティンガティンガ派の屋台骨を担った一人 Salum Mussa を父に持つ女性アーティスト。 幼いころから父が描く姿を見て育ったが、絵筆を持ったのは、父が亡くなった翌年。 |
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「もっと早く父に手ほどきを受けておけばよかったというのが唯一の後悔です」 ティンガティンガ・アートは、私達ファミリーが作り上げてきたアートでもあるので、その誇りを持ちながら作品を描き続けていきたいです。 そして、自分の子供たちにもぜひティンガティンガ・アーティストになってほしいです。 母となってからは、家族をテーマにほのぼのした生活画も描き始め、素朴な作風とキュートな色使いで注目を集めている。 |
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Bakari Abdallah Wasia (アーティスト名 Becker) ベイカー |
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1973年9月1日生まれ 1990年から活動中。 魚やカバなど、水と戯れる動物たちを得意とする、Thabiti の流れをくんだ Becker。 どんな動物でも器用に描くが、中でも得意とする動物は、キリンとヒョウとフラミンゴ。 なかでも、“キリンのベイカー”と異名を取るほど、タンザニアで最も愛され、家族愛のシンボルとされている野生動物、キリンを美しく描く。 小作品から大作まで、緻密に描く作品が好評。 |
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2014年夏ティンガティンガ原画展に初来日。今期ティンガティンガ工房の会長となったベイカー氏は、これまでタンザニアを出たことがなく、彼にとって初めての外国がここ日本。 JR名古屋タカシマヤ、阪急うめだ本店、大丸心斎橋店、横浜タカシマヤ、各地にて公開制作を行い、好評を博す。 2016年、2度目の来日、横浜展@ギャルリーパリ、名古屋展@妙香園画廊、高島屋大阪店、 2017年、3度目の来日、ジェイアール名古屋タカシマヤ、六甲山ホルティ、阪急うめだ本店、大丸心斎橋店、各地で公開制作、交流会を実施。ティンガティンガ・アートの手法を披露し、話題を呼ぶ。 2019年3月18日急逝 |
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Helena Augustino Luoga ヘレナ |
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1982年7月11日生まれ 創始者ティンガティンガの後を継いでティンガティンガ派の屋台骨を担って現在にいたるティンガティンガ村長老 Amondeの姪。 2000年から絵を描き始める。 「学校を卒業してすぐにティンガティンガアートの世界に入りました。 叔父のAmondeに勧められたのもありますが、自分でも絵を描いてみたいと思っていたので、 女性が少ないこの世界に入る不安はありませんでした。 キャンパスに向かうと、絵のアイディアが次から次へとわいてきます。 キリン、ゾウなど絵の中の動物たちとの会話を楽しみながら描いています。」 |
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2017年「アフリカの民話集 しあわせのなる木」未来社より発刊。(文 島岡由美子/絵 ヤフィドゥ・マカカと8人のティンガティンガ・アーティストたち ) ザンジバル在住30年の著者が、アフリカの人々から伝え聞いた、各地に伝わるお話20篇に、ヤフィドゥはじめ9名のアーティストにより、ティンガティンガ・アートの挿絵が描き上げられた。 |
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Hassan Thabiti Mchisa ムチサ |
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1972年2月22日生まれ Nakapanya出身 1993年、画家を目指してティンガティンガ村で活動を始める。 1997年から、George Lilanga の描いたシャターニ(悪魔、精霊)を、自分のテーマに描き始める。 弟子入りと共に、シャターニをテーマに描かせてほしいとジョージ・リランガに願い出るが、自分の息子達だけにシャターニを継承したかったリランガに断られる。 結局三度リランガの家に通い、三度目にしてリランガの許しを得る。 リランガの息子以外に、リランガのシャターニを継承することを認められた唯一の画家。 |
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「リランガさんから三度目に許しをいただいたときは、本当にうれしかったです。 そのとき、自分の道が拓いたと感じました。 なぜなら、リランガさんの描いたシャターニ達は、前々から私の心にいつも語りかけてきていて、ずっとそれらをキャンパスで表現したかったからです。 私の絵の中には、リランガさんと私自身の心のシャターニたちが登場しています」 と語るムチサのシャターニは、変幻自在。明るく楽しく、泣いたり笑ったり、酔っぱらったりと、人間臭い。 2009年3月18日 37歳で急逝 |
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Salum Yusuph Namkala (アーティスト名 Mteko) ムテコ |
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1982年生まれ Nakapanya出身 2003年より、ティンガティンガ村で活動を始める。 2006より1年半、アルーシャでギャラリーを持つティンガティンガ・アーティスト Jaffary Aussi(ジャファリ・アウシ)の元で修行を積み、ティンガティンガ村に帰ってきた。 「17歳で祖母を頼ってダルエスサラームに出てきた頃は、水を汲んで売り歩く仕事をしていました。 ジャファリ・アウシさんの元で1年半修行ができたのは、本当にいい体験でした。 その当時から、将来ティンガティンガ・アーティストとなることが夢でした。 動物の毛並みから、皮膚のひだ、尻尾の先まで描き分ける技法など、学んだことをどんどん自分の作品に取り入れています」 |
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躍動感溢れる動物画が魅力。 サバンナに暮らす野生動物、キリマンジャロ山、バオバブの大樹というアフリカのイメージそのものが、丸い地球の大地を見立てて描かれ、雄大な大自然のパワーを感じさせてくれる、「地球へのオマージュ」は、ムテコ氏の代表作。 2015年初来日。ムテコ氏はこれまでタンザニアを出たことがなく、彼にとって初めての外国がここ日本。 浜松遠鉄百貨店、JR名古屋タカシマヤ、阪急うめだ本店、大丸心斎橋店の各会場にて公開制作を行い、好評を博す。 2016年、2度目の来日、高島屋横浜店、高島屋大阪店、あべのハルカス近鉄本店にて、2017年、3度目の来日、横浜展@ギャルリーパリ、名古屋展@妙香園画廊、ららぽーとエキスポシティ、高島屋京都店 高島屋なんば店、 2017年、3度目の来日、横浜展@ギャルリーパリ、ららぽーとエキスポシティ、名古屋展@妙香園画廊、高島屋京都店、高島屋大阪店、 2018年、4度目の来日、高島屋横浜店、阪急うめだ本店、六甲山ホルティ、天王寺動物園、バラカ展@ギャラリーショップ、高島屋日本橋店にて、公開制作を行い、好評を博す。 |
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Gayo Peter Petherya ガヨ |
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1978年生まれ ダルエスサラーム出身 創始者 E.S.ティンガティンガの後を継いでティンガティンガ派の屋台骨を担った一人 Salum Mussa の甥 1998年からSaidiに師事してアート活動を始める。 |
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「叔父達の世代が残してくれたティンガティンガアートを守って次の世代に引き継ぐことが大切だと思うので、オーソドックスタイプから逸脱しないように意識しながら描いています。 酒や薬に溺れている若い人達に、ティンガティンガアートのよさと、真面目に絵を描いて生きていく道があることを知らせたいです」と語る。 2017年「アフリカの民話集 しあわせのなる木」未来社より発刊。(文 島岡由美子/絵 ヤフィドゥ・マカカと8人のティンガティンガ・アーティストたち ) ザンジバル在住30年の著者が、アフリカの人々から伝え聞いた、各地に伝わるお話20篇に、ヤフィドゥはじめ9名のアーティストにより、ティンガティンガ・アートの挿絵が描き上げられた。 |
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Amili Charinda Wasia アミリ |
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1971年生まれ Charindaの長男 1988年から活動を開始。 「小さい頃から父が絵を描く姿を見て育ち、絵が好きでした。 ある日、地面に絵を描いていたら、父がボードをくれて、そこに好きな絵を描くようにと言われました。 ペンキで絵を描いたらほめてくれて、描いた絵の上に白いペンキを塗って、またそこに新しい絵を描くように言われ、1枚のボードに何度も色を塗り直して、絵を描いて遊びました。 |
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大人になったときには、自然にティンガティンガアートの道に入っていました」父には、ある程度描けるようになった時点で、これからは、自分の描き方で自分の好きなように描けと言われたので、それ以来、父の作風を真似ることはしていません。 父がCharindaとしての作風を確立したように、自分もAmiliとしての作風で勝負していきたいです」 |
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Hamuza Abass Chamwana ハムザ・チャムワナ |
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1985年生まれ、RUVUMA出身 2004年、ティンガティンがアーティストの兄(Shaa)を頼ってダルエスサラームへ兄に習って絵を描き始め、2005年から本格的に活動を開始する。 サインは2つ CHAMWANA と HAMZA はじめは祖父の名前 CHAMWANA とサインしていたが、長いので途中から HAMZAにした) |
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Jaruph Kibira ジャルフ |
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1978年生まれ ドドマ出身 従兄弟のサランゲとともに、マサイやアフリカンダンスをモチーフにした作品を多く描いている。 「マサイは、タンザニアを代表する民族です。 絵を通じて、タンザニアという国のことを多くの方々に知ってもらいたいです」 サインは、JARUPH |
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DOGO ドゴ |
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本名:Omal Selemani Omal 1985年ソンゲア生まれ 1997年、ティンガティンガアーティストである兄 Iddyを頼って、ダルエスサラームに来て、そのまま修行、現在に至る。 動物の中では、キリン、ゾウ、カバが得意。 |
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サインのDOGOは、ニックネーム。 12歳で絵の修行を始めたが、体が小さく、兄弟子たちからDOGO(チビ)と呼ばれたのが、そのままティンガティンガ村でのニックネームになったので、サインもそれにしたとさわやかに笑う22歳。 (DOGOとは、小さいという意味のスワヒリ語) |
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Saidi Omary Saidi オマリー |
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1979年7月7日生まれ ダルエスサラーム出身 Saidiの長男 小学校に上がる前から、父親Saidiの仕事場(バオバブの樹の下で、寄り集まって絵を描いていた時代の屋外工房)に出入りする間に、ペンキや、絵に馴染むようになり、10歳から、ティンガティンガアーティストの道へ入り、現在に至る。 |
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「私は、ティンガティンガアーティスト以外の道を一度も考えたことがありません」 「ティンガティンガアートは、我々アーティスト自身で、進化させながら、育てていくものだと思っていいます。 だから、私は、二代目世代のアーティストとして、先代たちのよさを残しながらも、新しい作風にチャレンジしていきたいです。」 2017年3月、38歳で急逝。 |
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Shabani Mkalekwa シャバーニ |
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1972年生まれ ダルエスサラーム出身 1994年からティンガティンガアーティストに。 故 Rajab Chiwaya に手ほどきを受けながら、アーチストとして成長してきた。 ラジャブ・チワヤ譲りの、美しくもかわいらしい雰囲気の色遣いが特徴。 縦長の構図が得意で、正面を向いたユーモラスなキリンや尾長鳥などを、独特の色遣いで描き出す。 |
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「私は、ティンガティンガアーティスト以外の道を一度も考えたことがありません」 「ティンガティンガアートは、我々アーティスト自身で、進化させながら、育てていくものだと思っていいます。 だから、私は、二代目世代のアーティストとして、先代たちのよさを残しながらも、新しい作風にチャレンジしていきたいです。」 |
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Sayuki matindiko サユキ |
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1963年生まれ MASASI地方のNDANDA村出身 1984年、仕事を探すためにダルエスサラームへ。 看板屋をしながら、ティンガティンガアートを独学。 誰に師事したというわけではなく、ダル在住時に、ニュンバ ヤ サナーや、ティンガティンガ村に行って、見たものを自分の作風に取り入れていった。 1988年に故郷NDANDA村に戻った頃から、独自のシャターニ画を描くようになった。 |
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アウトラインがなく、淡い色を重ねて描くシャターニ画は、ほのぼのした優しいムードを醸し出している。 男性シャターニが多い中、キュートではつらつとした女性のシャターニ達が登場するSayukiの世界は独特である。 シャターニ画では、リランガ(故人)が有名だが、リランガの模倣ではなく、Sayuki独自のかわいいシャターニ画は、リランガ存命の時代から、知る人ぞ知る存在。 2011年3月21日 48歳で急逝。 |
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Abbasi Muhamedi Rafiki アバス・ムハメディ・ラフィキ |
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1973年3月14日生まれ ナカパニャ出身 1988年にティンガティンガアーティストの伯父ハシム・ムルタに勧められ、1990年より絵を描き始める。 1993年、テキスタイル・プリントを学ぶため、南アフリカに1年留学。 帰国後徐々に頭角を現し、現在は人気アーティストの1人として活躍する。 2008年、イギリスのTV番組「ティンガティンガ」の制作スタッフに抜擢され、ケニアにてテレビ番組用に原画を描き続ける。 2010年8月、タンザニアに帰国。再びティンガティンガ村を拠点に活動を再開。 |
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原色の多いティンガティンガアートの中で、パステルカラー、優しいブライトカラーの色遣いが新鮮。 色の多彩さと鮮明さ、ディテールにまでこだわって描く繊細な作品は、オリジナリティにあふれている。 「初めに絵を教えてくれた伯父ハシム・ムルタが、明るい色は、人の心も明るくすると教えてくれました。 だから明るくスマートな雰囲気の作品を追及しています」 2013年ティンガティンガ原画展に初来日、 阪急うめだ本店、 2014年、2度目の来日、横浜展@ギャルリーパリ、名古屋展@ギャラリー余白、松坂屋上野店の各会場にて公開制作を行い、好評を博す。 2017年、優しいブライトカラーの色遣いでキリンのカップルを描いた作品が、STEAM CREAM【スチームクリーム】限定缶に起用されました。 2017年「アフリカの民話集 しあわせのなる木」未来社より発刊。(文 島岡由美子/絵 ヤフィドゥ・マカカと8人のティンガティンガ・アーティストたち ) ザンジバル在住30年の著者が、アフリカの人々から伝え聞いた、各地に伝わるお話20篇に、ヤフィドゥはじめ9名のアーティストにより、ティンガティンガ・アートの挿絵が描き上げられた。 2018年、3度目の来日、大丸福岡天神、イオン海老名、高島屋名古屋、高島屋岐阜、蔦屋書店 湘南T-SITE、高島屋二子玉川の各会場にて公開制作を行い、好評を博す。 |
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Rajab Juma Lyame (アーティスト名 Duke) ドゥケ |
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1979年生まれ ダルエスサラーム出身 1998年 アート活動を開始。 得意なテーマは、マサイの人々やアフリカンダンス。 哀愁漂うマサイの作品が人気。伝統アフリカンダンスを部族ごとに描き分けることもできる。 アーティストになるまでは、ショップキーパーをしていたが、一日中店番をする生活が性に合わず、 絵を描いて生活するティンガティンガ・アーティストになりたいと入門。 「マサイ民族は、アフリカの昔ながらのシンプルな暮らしを、誇りをもって現代でも続けています。 マサイの人々は嘘をつかないし、人助けをしても、それを見せびらかしたりしない誇り高い人々です。 そういうところも含めて尊敬する民族なので、自分の作品を通して、マサイライフを紹介していきたいと思っています」 |
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「アート活動の場を広げるために、ナミビアに行ったこともありましたが、寒過ぎて住めませんでした。 僕は、この暑いダルエスサラームのティンガティンガ村が性にあっているとわかったので、一生ここで絵を描いていきたいです」 2012年新発売、カフェアフリカ・バラカのパッケージデザインに、今も昔も自分たちのライフスタイルを貫いている誇り高きマサイを描いた作品が起用されました。 2012年、美しい色で表現されたマサイの人々を描いた作品が、オフィスコーヒーのパッケージデザインに起用されました。 2015年春初来日、高島屋なんば店、大丸神戸店の各会場にて公開制作を行い、好評を博す。 |
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Hemed Mbarouk Hemed ヘメド |
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1975年1月1日生まれ ペンバ島出身 1995年に、ペンバ島からダルエスサラームに出てきて、知りあいの誰一人いない中、ティンガティンガ村へ。 「ペンバ島から出てきて、誰も知り合いもいない中、ティンガティンガ村に行くのは不安だったのですが、どうしても絵を描く仕事につきたくて、思いきって頼みにきました。 チムワンダさんや、サイディさんが、とても親切に迎えてくれて、次の日からすぐにティンガティンガアートの描き方を教えてくれました」 |
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人物画が得意で、タンザニアライフを好んで描く。 素朴な農村の風景だけでなく、工場や新車、レストランなど、現代的なムードのタンザニアまで。 「今現在のタンザニアライフを知ってもらいたいので、わざとそういう近代的な対象物を絵の中に織り込んでいます。 自分が田舎(ペンバ島)出身だから、よけい都会の風景が素敵に見えるのかもしれません。 自分が描くティンガティンガアートを通して、タンザニアの今を、知ってもらいたいです」 と抱負を語る。 2016年 41歳で急逝。 |
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Salim Juma Mgude ムグデ |
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1978年10月30日生まれ タンガ出身 1996年からマリキータの弟に弟子入りして、ティンガティンガアーティストに。 ゴマ(アフリカンダンス)をテーマに描き始めたのは2004年から。 「私たちは、みんなゴマが好きです。音楽を聴くと自然に体が動き出します。 そんなアフリカンダンスの激しさと楽しさを描きたいと思って、ゴマをテーマにしました」 躍動感あふれるダンス群像とアフリカ的な楽器が楽しい。 |
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Jafari Mimu Saidi ジャファリ・ミム・サイディ (J.ミム.S) |
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1963年生まれ Nakapanya出身 1983年に Hasim Bushiri Mbuta に師事してティンガティンガアートの世界に入る。 クラッシックスタイルの鳥を得意としている。 「幼い頃から、鳥が好きで、よくパチンコを手に兄と鳥をとって遊びました。今でもどんな鳥がどんな風に飛ぶのか、全部覚えていますよ」 「兄もティンガティンガ・アーティストで、やはり鳥の絵が得意でした。 兄は亡くなったので、私は兄の分まで鳥の絵を描き続けようと思っています」 サインは、JMIMUS |
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Rogger Chimwanda ロジャー |
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1977年生まれ 兄 Zachiの影響で、ティンガティンガ・アーティストを目指し、 2000年からティンガティンガ村にて本格的に描き始める。 躍動的なマサイと、「ビチュワ ビタトゥ」と呼ばれるティンガティンガの代表的モチーフ「三頭のガゼル」が得意。 「同じモチーフでも、ガゼルがじっとこちらを見つめる表情が、画家によって微妙に違っている。 だから僕は、昔からのモチーフを描き続けながらも、Roggerのガゼルを描いているんだ」 と語る。 |
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Mussa Abdallah Wasia ムッサ |
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1979年生まれ 1995年、16歳で実兄 Beckerを頼ってダルエスサラームに来て、兄の影響で絵を描き始め現在に至る。 (Sabitiに師事) 動物の中では、キリン、チーター、ゾウ、シマウマが得意。 「貧しくて街に出てきて、兄に勧められて絵を始めたものの、はじめはとても難しくて大変でした。 でも、今ではティンガティンガ・アーティストとして絵を描き続けることが、 自分の人生そのものだと思っています」 と熱く語る28歳。 ティンガティンガ村での人望も厚く、若手リーダーの一人。 |
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Mohamed Chilanbo チランボ |
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1968年生まれ 弟のAbdallaから指導を受け、1992年から活動を始める。 動物画から病院風景などの生活画、歴史の一こまを漫画チックに再現するなど、器用に描きこなす。 サインは、Chilanbo |
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Athmani Charinda オスマニ |
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強い背景色を使うアーティストが多い中、 優しい色使いで作品を仕上げるChalindaの息子、Athmani 「ティンガティンガ・アーティストである父Chalindaの影響で、小さい頃から絵筆を持って遊んでいたので、ごく自然にこの世界に入りました。 父は、動物画、生活画から、シャターニまで描きますが、私は動物画が得意です」 サインは、Athmani |
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Yasin Hassani ヤシニ |
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1976年生まれ 生え抜きのティンガティンガ・アーティストA.Hassaniを父に持ち、幼少から絵の手ほどきを受けて育つ。 1992年から本格的にティンガティンガ村のメンバーとなって活躍中。 父Hassaniの影響で、クラシックな動物画が得意。 2018年3月 42歳で急逝。 |
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Apendae アペンダエ |
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本名は、Ally Said Nakoko メルヘンタッチの絵を描くティンガティンガ・アーティストNakokoの息子。 「前々から、絵を描きたかった。 ある日、父さんが、6人の子供の中から、ボクだけに向かって、ティンガティンガ村に来て絵を描け」って言ってくれたんだ。 |
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「父さんの絵が素敵なことは認めるけど、僕は僕の絵を描いていくよ。クラッシックスタイルの動物画の中から、自分のスタイルを確立していきたいんだ」 と語る若手アーティスト。 サインは、Apendae |
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Martina Edward Saidi Tingatinga マルティナ E.S. ティンガティンガ |
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1970年生まれ ダルエスサラーム出身 ティンガティンガ・アートの創始者、E.S.ティンガティンガの長女 「父 E.S.ティンガティンガが亡くなったのは私が2歳の時だったので、父の顔は覚えていませんが、母から、父が今のティンガティンガ・アートの基礎を築いたのだ、ということを聞いて、とても誇りに思っています。 |
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ずっと専業主婦でしたが、兄ダウディ・ティンガティンガから勧められて、ティンガティンガ・アーティストの道に入りました。 現在は、いろいろなタイプの作風がありますが、私は父のシンプルでダイナミックな作風が好きです。 兄と二人で、父 E.S.ティンガティンガの作風を残そうとがんばっている矢先に、兄が急に亡くなってしまい、とても寂しいです。 ティンガティンガの名前と作風を受け継ぎ、兄の分までがんばって活動していきます。」 |
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Ibrahim Omary イブラヒム |
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1977年生まれ Saidi Omary に指導を受け、1998年から活動を始める。 「昔から絵が好きで、ティンガティンガ・アーティストになりたいと、ずっと思っていた。 下描きをしているときから、絵の中の動物達が話し出したり、歩き出したりするので、動物画を描くのが一番楽しい」 サインは、Ibra |
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Emilias Omary エミリアス |
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1977年生まれ 1994年から叔父Saidiに弟子入りして絵を描き始める。 「学校が終わったら、ダルエスサラームに出てきて絵を描いてみるよう、叔父から勧められていました。 絵を描いたことなどまるでなかったので、とても難しく、田舎に帰ることばかり考えていましたが、ガゼルや象など、動物たちが自分なりにうまく描けるようになってきた頃から、この仕事が楽しくなりました。 その頃から、叔父の模倣ではなく、自分の考えで描くことを許されました。 今は田舎に帰ることなどまったく考えていません」 素朴でかわいい動物画が好評。 |
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Hassani Bakiri AliI バキリ |
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1976年生まれ トゥンドゥール地方ルブマ村出身 1997年、仕事を求めてダルエスサラームへ 1999年、母方のいとこにあたるAbdallaに弟子入り、ティンガティンガ・アーティストの道へ。 魚の作品が好評で、魚のバキリの異名をとる。 「初めは、何度も何度もカラスを描くことから教えてもらいました。 今はもちろんどんな動物でも描けますが、ここ数年、私は魚の絵を中心に描いています。 |
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私に絵を教えてくれたAbdallaさんが、魚の絵を描いているのを見て、とても面白いと思ったのがきっかけです。 タンザニアには、美しい海や湖があって、魚は種類も量も豊富です。 動物だけではなく、魚のことも広く知ってもらいたいので、これからも魚をテーマにした作品を描き続けます」 2016年 40歳で急逝。 |
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Amina Rashid Mlaponi アミーナ |
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1984年生まれ ダルエスサラーム出身 アモンデの姪にあたる(父親が、アモンデの弟) 上の学校に行きたかったが、学費がなくて進学を断念。 元々、絵が好きで、Amondeをはじめ、伯父達(アモンデ、ムクラ、ナココ)が描いているティンガティンガ・アートに興味があったので、2000年ティンガティンガ・アーティストの道へ。 |
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「ペンでイラストを描くのには慣れていたけれど、筆を持ったのは初めてだったので、初めはとても難しく大変でしたが、先輩アーティスト ムワメディ・チワヤさんが丁寧に教えてくれたので、だんだん描けるようになりました」 「10年続けて、生活はまだ苦しいけれど、絵を描くのが好きなので、ずっとこの道でやっていきたいです。 コースターや鉛筆などの小物にも、1つ1つが自分の作品だと思って丁寧に絵を描いています。 将来は、いろいろな国で、アミーナの名前を覚えてもらえるようなアーティストになるのが夢です。」 |
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Rashid Mzuguno ラシッド・ムズグノ |
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1988年6月6日生まれ ダルエスサラーム出身 タンザニアの多様な植物、主に出身地のキリマンジャロ地方の植物や花を、キャンバスいっぱいに描く独特の作風で人気を博した、デビッド・ムズグノ氏(2010年に逝去)の作風を直伝された、ムズグノブラザース4人のうちの一人。 ムズグノ氏亡き後も、その独特な作風を継承し、タンザニア国外でムズグノ4人展を開催するなど、ムズグノ4ブラザーズの活躍は目覚ましい。 ラシッドは、正確にはムズグノ氏の孫にあたるが、ムズグノブラザースとして名を連ねている。 |
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「ティンガティンガ・アートの題材としてメジャーな動物だけでなく、タンザニアの植物もしっかり絵で表現する、ムズグノ流の絵に誇りと自信を感じているので、この作風をしっかり継ぎ、今後さらに発展させていきたいです。」 |
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Steven Mkumba ムクンバ |
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1965年3月11日生まれ ムトゥワラ出身 1989年に仕事を求めてダルエスサラームへ。 1990年に、ティンガティンガアートに出会い、ムゼールムンバに弟子入り。 「ダルエスサラームに出て来て、町を歩いているときに、バオバブの樹の下で絵を描いているティンガティンガアーティスト達を見て、自分も絵を描いて生活がしたいと考え、ムゼールムンバに弟子入りしました。 |
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絵を見た瞬間に、なぜかはわからないですけれど、自分の仕事はこれだ!と感じたのです。 その時は、既に35歳で、子供もいたけれど、迷いは全くありませんでした」 「動物では、シマウマ、ゾウが得意です。でも、私はいまだに大きな動物を実際に見たことはありません。イメージだけで描いています」 そんなムクンバが描く作品は、大きな瞳の動物達が集う明るい雰囲気が、いかにもティンガティンガアートらしいと好評。 |
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Yafidu Ally Makaka ヤフィドゥ |
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1976年生まれ トンドゥール地方、ナカパニャ村出身 1989年、ダルエスサラームに出てきて理容師として働いていたが、叔父Charindaはじめ、親族が多く働くティンガティンガ工房に出入りする間に、アーティストを目指すようになり、1991年から絵を描きはじめた。 |
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美しい色合いと繊細さなタッチで、独自のちょっぴり不思議な動物ワールドを展開中。 オーソドックスなスタイルから、個性派へと転身したのは1995年のこと。 「きっかけは、夢の中に出てきた動物たちの姿をキャンバスに描いたことです。 思いがけず面白いキャラクターが生まれたので、この路線で描いていこうと考えました」 大型動物と小さな脇役たちが奏でるやさしいストーリー、長老アモンデ氏の作風を受け継ぐ、唯一のアーティスト。氏の逝去にあたり、アモンデの作風を世界に残すべく、製作を始めている。 2017年秋初来日、横浜高島屋、大丸心斎橋店、玉川タカシマヤ、あべのハルカス近鉄本店の各会場にて公開制作を行い、好評を博す。 2017年「アフリカの民話集 しあわせのなる木」未来社より発刊。(文 島岡由美子/絵 ヤフィドゥ・マカカと8人のティンガティンガ・アーティストたち ) ザンジバル在住30年の著者が、アフリカの人々から伝え聞いた、各地に伝わるお話20篇に、ヤフィドゥはじめ9名のアーティストにより、ティンガティンガ・アートの挿絵が描き上げられた。 2018年春2回目の来日、京都高島屋、阪急うめだ本店、横浜展、名古屋展、大阪高島屋の各会場にて公開制作を行い、好評を博す。 |
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Zuberi Daimu Zimaula ズベリ |
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1973年10月6日生まれ MTONYA出身 家が貧しく、教育を受けないまま青年期に入ってしまったが、ダルエスサラームに出て、1996年からティンガティンガ村にて、絵の修行をしながら、学校に通った。 「ティンガティンガアートが、僕に道を開いてくれました。これからも絵を描き続け、若者にもティンガティンガアーティストになって生きていく道を勧めたい」 鋭い目の動物が、花や鳥に囲まれた独特の構図は、個性派揃いのティンガティンガ村の中でも、異彩を放っている。 2019年に初来日、愛知、岐阜、静岡、神奈川、東京、大阪の各地にて公開制作を行い、人気を博す。 |
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Shery.Salum.Mussa シェリー |
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1983年生まれ 数少ない女性アーティストのひとり 創始者ティンガティンガの後を継いでティンガティンガ派の屋台骨を担った一人 Salum Mussa を父に持つ。 幼いころから父が描く姿を見て育ったが、絵筆を持ったのは、父が亡くなった翌年。 「もっと早く父に手ほどきを受けておけばよかったというのが唯一の後悔です」 |
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得意は魚と動物画。 「たくさん色を使うのが好きなので、カラフルな魚の絵を描くのはとても楽しいです。魚のレパートリーは、いっぱい持っていますよ」 サインは、Shery バラカのコースターチームの一人。 |
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. COASTER TEAM ティンガティンガ・コースターチーム |
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