TANZANIA便り


便り67 「遠くにありてにっぽん人」撮影こぼれ話


便り67 「「遠くにありてにっぽん人」撮影こぼれ話」



ジャンボ!皆さん、お元気ですか?
ザンジバルは朝夕涼しく、気持ちのいい日々が続いています。

6月19日NHK BS2、20日NHKハイビジョン放送で「遠くにありてにっぽん人〜サンゴ礁の島に我が志あり〜タンザニア 島岡強」が放映されましたが、19日放映終了10分後から、この番組をご覧になった方々から、たくさんのお便りをいただいており、あらためてテレビの影響の大きさを感じています。

その後、私達の元にも日本からビデオテープが届き、番組を観ることができたので、今日は、遅ればせながら、番組の感想と、取材中の出来事を書いてみようと思います。

今回は、拙著「我が志アフリカにあり」をベースにしながら、現在までの活動や、ザンジバルの紹介がたっぷりされていましたね。

いつも見ているザンジバルの風景やいつもの仲間達が、しかもいつもの日常生活そのままでテレビに映っている姿は、なんとなく妙な感じでしたが、全体的に、とてもよくまとまっていて、わかりやすく、アフリカやザンジバルの歴史も織り交ぜながらの展開も絶妙で面白く、途中で飽きることなく、1時間あっという間に観てしまいました。また、美しい映像もさることながら、画面のあっちこっちから聞こえてくる音にも、心惹かれました。

アフリカフェが登場しなかったのは、少々残念でした。今回は、タンザニア本土にあるタニカ社や製缶会社での取材やインタビューもしたので、てっきり登場するものと思い、アフリカフェも紹介される予定ですとお知らせしてしまいました。また、タイトルも、「我が志はアフリカにあり」から放映直前に「サンゴ礁の島に我が志あり」に変更になったので、放映当日、あれっ?お知らせと違うと思われた方々、大変失礼しました。

「高校から柔道をはじめて三段」(→小学校一年からの間違い)や、「志」「一期一会」が番組の中心になっていたので、もう一歩踏み込んで、「先憂後楽」も入れてほしかったなとか、ザンジバル武道館の建設に関し、その費用の大半となった大建工業を含めた島岡強の有志たちについてふれられていなかったこと・・・等など、私達本人サイドとしては、少々気になる箇所がなきにしもあらずでしたが、テレビをご覧になった方々にとっては、まったく気にならないことだったと思います。


撮影隊メンバー紹介

(写真左より、島岡強、渡邉氏、,イカンガー氏、佐藤氏、吉本氏)


さて、ここで、今回の撮影隊の皆さんを紹介しましょう。

「遠くにありてにっぽん人」撮影隊は、制作会社クリエイティブ ネクサス のディレクター 佐藤知樹さん、技術会社マイシャより カメラマン 吉本順一さんと音声 渡邉一誠さんの3人。

撮影期間は4週間に渡り、文字通り、朝から晩までの密着取材でした。



ディレクターの佐藤さんは、学生時代から写真家の星野道夫氏にあこがれ、将来は自分も彼のように自分の旅したことを写真と文章で本にして表現したいと思っていたのですが、その文章と写真を総合的にしたものがドキュメンタリーの世界だと気づき、自分の表現法としてこの世界を選んだそうです。

佐藤さんからは、4週間の取材を通して、何度も「旅」という言葉が出てきました。
「テレビを観ている人が、僕と一緒に旅をしている気持ちになってくれるような番組を作りたい」
「自分は画面には映らないけれど、自分はいつも画面を見る人たちと同じ目線にいるんです」
「僕が誰と出会って、どんな風景を見て、どんなことに感動したのか、どんなことを考え、どんな影響を受けたのか・・・番組の1つ1つが、自分の旅の集約です」
「遠くにありてにっぽん人」をご覧になった皆様、佐藤さんのアレンジしたザンジバルの旅はいかがでしたか?

 4週間に渡る撮影期間で、佐藤さんが最もつらかったのは、夜の漁に出た日だそうです。漁師達の報告によれば(?)「Mr.サトーは、途中からダウンして、あとは、どこにいるかわからなかった」とのこと。
実は、船の隅っこに転がって、必死に船酔いと戦っていたそうです。

「今まで経験した取材で、一番きつい時間でした」と頭をかきながらも、「要所要所はちゃんとみていた」と身振り手振りで主張する佐藤さんの姿に、漁師達も大笑いでした。

カメラを回し続けて22年、今までに、カメラマンをやめて他の道に行こうかと迷ったことは一度もないという吉本さんは、「いぶし銀」という言葉がぴったりのベテランカメラマン。

あらゆる取材で30カ国以上回った経験のある吉本さんからは、世界の面白い、不思議な話題がたくさん出てきましたが、吉本さんのお話で、一番驚いたのは、撮影のとき、右目でカメラの中を見て、左目は常に何か他に映すべき対象はないかと探しているということでした。うーん、カメラマンは、一度に両方の目をうごかさなくちゃいけないんですね・・・。

 それにしても、カメラマンって重労働なんですね。いつでもどこでも重たいカメラを担いでなくてはなりませんから・・・。海中のさんご礁を撮影するために、吉本さんが2日間もかけて水中カメラを回したのに、番組の中ではその場面が一秒も出てこなかったのがちょっと残念でした。

私は漁にはついていったことがないので、個人的には漁の場面を一番楽しみにしていたのですが、カクメイジ号の漁師達が、みんないきいきとかっこよく働いている姿に感動しました。キャプテンのヒジャを初め、私が普段見ている、陸に上がってごろごろしている姿とは雲泥の差でしたから。

この漁の撮影は、船が揺れるので、ただでさえ大変な上、明け方漁場から帰ってくる途中、大雨に打たれたため、撮影隊の皆さんもぐっしょりずぶぬれになって帰港。画面の中では見えない苦労がたくさんつまった撮影だっただけに、特に吉本さんには、この映像を見せていただけて、感謝の気持ちでいっぱいです。

ちなみに、この日以来、みんなを見る目が変わって・・・といきたいところですが、やっぱり私の目の前にいるのは、岡に上がってごろごろしてる面々であります。
私達の元に寄せられた感想の中にも、映像の美しさに感動した!という声が多かったです。
 
「今、この音が聞こえているのは自分だけ。どの音にスポットを当て、どの音を控えめにして録音するかも自分次第。見えない音に、色付けをするような気持ちで仕事をしています」と語る音声マンの渡邉さんは撮影隊最年少の27歳。

初めはカメラマン志望だったのですが、見習い修行中に、すべての部門を経験する中、目に見えない「音」を拾う作業が面白くなって、音声部門に進むことにしたのだそうです。

渡邉さんが、市場に音だけを録音しに行くのについていったことがありました。
渡邉さんは、長いさお付きのマイクを持ち、がっちりとヘッドホンをはめ、重そうな機材を腰につけて、市場の中、ひたすらじっと立っています。

カメラがそばにいて、マイクを差し出しているならなんとなくわかるのでしょうが、長い棒を持ってひたすら立ち続けるこの姿、ザンジバルの人にはさっぱりわからなかったようで、鶏売り場に行ったときなど、みんなが渡邉さんを遠巻きにぐるりと囲んでじーっと見つめ、いつも喧騒に包まれている鶏売り場が、一瞬しーんとして、鳥の鳴き声や、ばたばたがさがさ騒ぐ音だけがしていた間がありました。
よっぽど不思議だったのでしょうね。 
 
ところで、このさお付きマイクには、なにやらふさふさと毛がついているときと、つるりとしているときとがあることに気づきました。

渡邉さんによると、風の強い日などは、この毛のついたマイクカバーをはめて録音すると、風の音をカットする役目をするそうです。ちなみに、この毛のついたマイクカバーは、ちゃんとシャンプーしてそうっと洗って手入れするんですって。
そうか、このマイクカバーはそんな意味があって、シャンプーまでしてもらっているのか・・・とそれ以来、マイクがつるつるか、ふわふわの毛がついているかをチェックするようになってしまいました。


ドクターカップ2004

番組の中では、一秒も紹介されずに終わってしまいましたが、4月18日は、在タンザニア日本大使館医務官である宮武一志氏がスポンサーとなり、ザンジバル柔道連盟主催で、JAPANESE EMBASSY DOCTOR JUDO CUP 2004、通称ドクターカップが開かれ、ザンジバル 25人、タンザニア本土16人、計41人の選手によって、無差別級でタンザニア1決定戦をおこないました。

結果は、1位60kg級のアリ・ジュマ、2位81kg級のアブダラ・アリ、3位60kg級のハキーム・ハッジと、ザンジバル勢の独占となりました。

この大会は、2002年、前任の川原ドクターの発案で生まれた大会で、テレビ、ビデオ、携帯電話、ミシン、自転車など、入賞者には豪華景品がかかっているので、毎回ものすごく盛り上がります。

 在任期間中に2回ドクターカップを開いてくださった宮武一志ドクターは、大会終了後の挨拶で、
「我が故郷福岡(宮武氏は福岡出身)のように、ザンジバルでもいつか国際大会が開けるようになることと、いつか世界のチャンピオンが出るようにがんばってください!」
と激励の言葉を残して、新しい赴任地に向かわれました。
宮武ドクター、タンザニア赴任中はいろいろありがとうございました。新しい赴任地でも元気にご活躍下さい!

 ということで、この第3回ドクターカップ、もちろん大いにもりあがりましたが、今回特にザンジバル武道館に集まった観客の目を集めていたのは、撮影隊の皆さんでした。

ザンジバルテレビのカメラマンが撮影に来ても、カメラを一箇所に固定して、ひたすらそこでカメラを回すだけですが、日本から来たカメラマンの吉本さんは、あるときは、カメラを肩に引っ担ぎ、あるときは、床すれすれまでカメラを下げて歩きながら、そしてあるときは、試合場とはまったく関係ないと見えるような方向にカメラをじっと向けている・・・。

そして、その後ろには、いつもさおのように長い棒の先にくっついたマイクをかざし、ヘッドホンをがっちりつけた音声の邉辺さんが、ぴったりついていて、しかも、吉本さんの持つカメラと邉辺さんの持つ音声の機材は、なにやらコードで結ばれています。そしてその後ろには、ディレクターの佐藤さんが、自分が映らないようにと、常にカメラの後ろに後ろにと移動しているのですから、はたからみていると、まるで大人の電車ごっこのよう。みんなの注目を浴びたのも無理ないでしょうね。
 
在外公館長賞

さて、これもまた、放映はされませんでしたが、4月18日、長年のタンザニアにおける貢献を評価されて、在外公館長賞(別名日本大使賞)が島岡強に授与されることになり、ザンジバル教育スポーツ大臣スレイマン氏の立会いの下で、出来場 在タンザニア日本大使より表彰状をいただきました。










アフリカ柔道選手権大会 チュニジア

撮影隊の方々を含めたザンジバル柔道チームは、5月2日から13日まで、チュニジアでのアフリカ柔道選手権出場のため、チュニジア遠征に行ってきました。今回のアフリカ柔道選手権は、アテネオリンピックの最終選考会となったため、アフリカ全土で21人しかない出場枠をかけて、31カ国から168人の柔道家が集まり、熾烈な戦いとなりました。
ザンジバル勢は、60kg級のアリ・ジュマと、73kg級のハマディ・シャーメ。


60級のアリ・ジュマは、昨年9月にナイジェリアでおこなわれたオールアフリカゲームのときと同じ対戦で、相手はニジェール。前回、内股で一本勝ちしているのと、NHKが撮影していたのを意識したのか、前回のような見事な一本勝ちを決めようと狙いすぎたところを、立て続けに指導を3つとられ、いいところが出ないまま一回戦負けを喫し、敗者復活戦のチャンスもなく、不完全燃焼に終わってしまいました。

73kg級のハマディ・シャーメ。初戦のケニア戦は、豪快な谷落としで秒殺での一本勝ち。彼にとって、これが大きな国際大会での初勝利となりました。2回戦は、今大会3位になったコートジボワールの選手に、背負い投げから絞め技を決められて一本負け。

敗者復活戦では、ベニンとの対戦で、初めに有効をとられ、そのまま押さえ込まれたものの、7秒で返し、試合を続行。その後有効、技ありを奪い返して終盤に入り、このまま勝てると思ったところ、一瞬バランスを崩して倒れたところを一本に取られ、まさかの一本負けを喫してしまいました。

これにて、ザンジバルチームのオリンピック出場への道は、完全に絶たれてしまいましたが、北京オリンピックまで、4年かけてじっくりと練習を積んでいこうと誓い合ってチュニジアを後にしました。
 

(ムボンド・エトガ選手)

タンザニアの面々は以上のような結果でしたが、今大会、特に会場を沸かせたのは、カメルーンの73kgムボンド・エトガ選手21歳でした。
彼は、試合会場での気合の入り方からして、群を抜いており、控え室で、激しい打ち込みで汗を流すと、そのまま体が冷えないようにダウンジャケットを着込み、畳にどっかりあぐらをかいて、一点をにらみつけている姿は、近寄りがたいものがありました。

 このカメルーンのムボンド・エトガ選手と、アルジェリアのヤゴウビ・ノウレド選手との決勝戦は、大接戦で、審判がまごついた場面などもあって、観客席は大ヒート。観客も、完全にブラックアフリカVSホワイトアフリカと真っ二つに分かれての応援合戦となり、今大会で一番盛り上がった場面となりました。

 畳を降りたエトガ選手に、「おめでとう!」の後で、「いつから柔道を始めたのですか?」と聞いてみると、
「僕のお父さんも柔道家で、物心着く前から道場で遊んでいたので、自分がいつから柔道を始めたのかわからないんです」
との返事に、アフリカでも、もう親子2代目柔道家たちが育ち始めているんだなあと感じました。
そう話すエトガ選手の表情はまだあどけなく、「エトガ君」と呼びかけたくなる感じで、ちょっと高めの優しい声が印象的でした。

 というわけで、タンザニアからのオリンピック出場は果たせませんでしたが、アフリカからも21人の柔道選手がオリンピック代表に選ばれて出場します。皆さん、アテネオリンピックでアフリカ勢が出てきたら、ぜひ応援してくださいね!  

番組に関するQ&A 
       
ということで、今回は、4週間に渡る撮影期間にあったこと、特にテレビでは紹介されなかったことにスポットをあてて綴ってみました。

今回番組に登場したサマッド、ヌンダ、アリ、ハマディをはじめ、ザンジバルの面々とも一緒にビデオを観ましたが、皆大いに盛り上がり、観終わった後も、自分達の日常やザンジバルがゆがめずに紹介されていたことにとても満足そうでした。

アフリカを題材とする番組というと、動物や自然、貧困や飢餓、病気や内紛といったことが強調されがちですが、「遠くにありてにっぽん人〜サンゴ礁の島に我が志あり〜タンザニア 島岡強」はそうではなく、ザンジバルで生活する人々の生の姿や声が映し出される番組になっていたことが、大変うれしかったです。

そういえば、今回は、私ムナワルの出てくる部分までありましたが・・・もぐもぐ食べるシーンが出てきたり、インタビューは、何しゃべっているかわからない声と内容で・・・ああ、はずかしい!個人的には、私の部分はけずって、今回没になった他のいろいろな場面を出してほしかったなと思ってます。

女性の方々は、やはり料理や買い物シーンをしっかりご覧になっていたようで、いくつか質問もありましたので、この場をお借りして、お答えします。

Q1.「あの1.5kgの牛肉は、どうなったのでしょう?」
A1.肉は、スライスやシチュー用のぶつ切りにして、小分けして冷蔵庫にしまいました。

Q2.「魚のスープの作り方を教えてください」
A2.魚のスープは、とっても簡単です!
@新鮮なサバかアジを、よく洗って鍋に入れる。
A玉ねぎの千切り、にんにく少々、トマトのスライス、塩を魚の上に乗せ、水を入れて煮る。
B魚のだしが出たら、最後にライムをたっぷり搾って、塩加減を調整して、できあがり!
これは、ザンジバルの漁師が、漁のあき時間に船の上で作る「漁師の料理」です。さっぱりしておいしいですよ。

Q3.「台所で揚げているのは何ですか?」
A3.タコのてんぷらです。

Q4.「緑の野菜をかけて食べているのは、ウガリですか?」
A4.これは、ごくごく普通の野菜炒めを、ご飯にぶっかけて食べているところで、ウガリではありません。ウガリのときは、手で丸めながら食べます。

Q5.「港のコーヒー屋で、島岡さんがコーヒーを飲む前にふりかけていたものは何ですか?」
A5.「しょうがの粉」です。ザンジバルでは、コーヒー屋には必ずしょうがの粉がおいてあって、お好みに応じて、コーヒーにその粉を振りかけて飲みます。

それでは、今日はこのへんで。
日本は、本格的に暑くなっているようですが、お体に気をつけてご活躍ください。
皆様の健康とご活躍を、ザンジバルの真っ青な空の下よりお祈り申し上げます。
GOOD LUCK!!
            ムナワルこと 島岡 由美子拝





NO.1「ジャンボ!」(2000.4.15)
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