タンザニア便り

便り.82「日本柔道留学〜at 講道館&順天堂大学〜その2」2005.6.27
            日本柔道留学番外編
 

 
便り83.「サバサバ柔道杯2005 in TANZANIA」 2005.7.24


便り84.「南アフリカ国際柔道大会 in ダーバン」2005.8.7

タンザニア便り.82「日本柔道留学〜at 講道館&順天堂大学〜その2」

ジャンボ!
アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?
さて、今日は、柔道の話題です。

<第2回日本柔道留学>
タンザニア便り78.「第2回日本柔道留学〜at 講道館&順天堂大学〜その1」でお伝えしたように、3月〜5月ザンジバル柔道連盟の3人の選手が、3ヶ月間の日本柔道留学に行っていました。

アフリカフェプロジェクト代表であり、ザンジバル柔道連盟会長、タンザニアナショナルコーチも兼ねている島岡強代表が、ザンジバルの青年から柔道を教えてほしいと頼まれたのがきっかけで、その後ザンジバル政府から正式にコーチとしての要請を受けて、ザンジバルで柔道を始めて以来、10年以上たちます。

日本柔道留学は、今回で2回目。
拙著「我が志アフリカにあり」にも出てくる1998年夏の日本柔道留学が1回目。
それから7年目、2回目の日本柔道留学である今回は、将来のザンジバル、タンザニア柔道界を担って立てるような指導者育成と、国際大会にも通用するインターナショナルな柔道プレーヤーの育成という2つの目的を持っての出発で、場所は講道館と順天堂大学でした。

この日本柔道留学に選ばれたのは、おなじみのアリ・ジュマ選手(60g以下級)とハマディ・シャーメ選手(73kg以下級)そして、警察チームのキャプテンもかねるハジ・ハッサン選手(81kg以下級)の3人。

ということで、彼ら3人は、2月29日にザンジバルを発ち、3月2日から日本で柔道漬けの日々を送っていたのですが、私たちも、5月に、彼らの日本での練習ぶりを見ること、そして、今回タンザニア選手を受け入れてくださった講道館、順天堂大学の皆様へのご挨拶をかね、日本に行ってきました。

<順天堂大学 柔道部>
成田空港から車で30分ほど走ると、のどかな田園風景広がる千葉県印旛郡の中に、突如として現れる巨大キャンパス。それが、彼らの留学先、順天堂大学スポーツ健康科学部のさくらキャンパスでした。

このたびの受け入れにご尽力くださった順天堂大学柔道部部長、菅波盛雄先生にご挨拶した後、柔道場に向かいました。

体育館には、各扉を開くごとに、バスケット場、体操場、バレーボールコート、トレーニングジム、・・・高校の体育館が1つ分ずつ入るような設備が整っており、この大規模かつ近代的設備に、ザンジバルから来た3人は、驚き、目を見張っていたことだろうと思いつつ、私も、大いにきょろきょろしながら菅波氏の後ろを追って、長い廊下を突き当たり、さらに階段を上がったところで、柔道場に到着。

いました、いました。順天堂大学の柔道部の皆さんに混じって、柔道着を来てスタンバイしているザンジバルの3人が。
彼らには、私たちが日本に来たことを知らせていなかったので、突如訪れた島岡代表の顔を見て、驚くこと、驚くこと。

すごい勢いで駆け寄り、次に次に、島岡代表にハグ!(抱擁)
機関銃のように一通りスワヒリ語で2ヶ月ぶりの挨拶を交わした後は、我に返った表情で、もうすぐ練習が始まるからと、小走りで畳の中に戻っていきました。

島岡代表から部員の方々に直接ご挨拶をした後、練習開始。
みっちり3時間、厳しく、きびきびした練習が、私たちの目の前に展開しました。

練習が終わった後、食事をしながらいろいろ話し、彼らの住まいの様子を見に行きましたが、柔道のことだけでなく、広い順天堂大学構内や住まい近辺のことや、近所の子供の顔も知り尽くし(?)、3人での共同生活にも慣れていたので、安心しました。

<最後の練習>
そんなこんなで、後半に入っていた彼らの日本滞在期間も、矢のように過ぎ去り、名残惜しくも最終日がきました。
5月31日、順天堂大学での練習最終日。
みっちり稽古をつけていただいた後、チームとして島岡代表が、菅波先生や広瀬先生を始め、柔道部員の皆さんへお礼の言葉を述べるとともに、3人も、一人ひとりお礼の言葉を述べました。

講道館セミナーに参加せず、東京に着いた初日からすぐ一人で順天堂大学に入れていただいていたハマディが初っ端に言った言葉は、
「まずはじめに、順天堂大学の方々が、私たちタンザニアチームを受け入れてくださったことに、心から感謝します」

「自分は、英語も日本語もできず、何もわからない状態で、一人順天堂大学に来たのですが、菅波先生、広瀬先生の細やかなご指導と心配り、そして、日々の生活面にいたるまで細やかにご指導くださった金持先輩、加藤先輩、そして部員の皆さんのおかげで、日本での生活になじみ、一生懸命柔道に打ち込むことができました。

今でも思い出すのは、初めて千葉に来て、買い物に行った日のことです。
私は、玉ねぎが買いたいと思っていたのですが、英語も日本語もわからないので、
「キトゥングー、キトゥングー(玉ねぎ、玉ねぎ)」
と連呼することしかできませんでした。

もちろん、金持先輩も、スワヒリ語などわかるわけがありません。お互い言葉が通じないままに、「キトゥングー」を連呼しながらスーパーをぐるぐる回り、玉ねぎに行き着いたときのうれしさは、何ともいえないものがありました。
タンザニア柔道と順天堂大学柔道の交流の歴史は、この「キトゥングー」探しから始まったといえると思います・・・」
と3ヶ月をかみしめるように、長い長いスピーチをしました。

アリ・ジュマは、「私は、30を過ぎているので、先生方を除いて、皆さんの中で一番年上ですが、私にとって、順天堂大学の皆さん全員が、先輩です。この3ヶ月に先輩方に教えていただいた柔道と精神をすべてザンジバル、タンザニアに持ち帰り、待っているみんなに伝えていきます。」

いつもしっかり挨拶をするハジ・ハッサンが、話し出したとたんに言葉に詰まって、ぼろぼろと涙を流し、
「昨夜、皆さんに開いていただいたお別れ会で、たっぷりお別れのスピーチをさせていただいたので、今日は、ただ一言に万感の思いをこめさせていただくことで、お許しください。
皆さん、この3ヶ月、本当に、本当に、ありがとうございました

と締めくくったときには、ハマディも、アリ・ジュマも、涙をこぶしでぐいぐいこすりあげている姿があり、思わず私も、通訳しながら、ほろりとしてしまいました。

普段めっぽう明るく、ウェットな部分をほとんど見せたことのない面々ですが、この3ヶ月、畳の上だけでなく道場の外でも、親切に面倒見てくださった先生方や部員の皆さんの顔を眺めながら、お別れのスピーチをする中で、3人の胸の中に、惜別の情が、心の奥底から湧き出してきたのだろうと思います。本当に実り多き3ヶ月でした。

そんな3人に対して、広瀬監督も、
「今までたくさん日本に柔道をしに来た外国選手を見ましたが、彼ら3人ほど練習熱心な柔道家は見たことがありません。
怪我をしても、こちらがやめたほうがいいと止めるまで練習をやり続け、自分たちからは休みたいとは言いませんでしたし、とにかく柔道以外のことには目もくれない姿勢に感心しました」
というお言葉をくださいました。

3ヶ月間、3人受け入れ、畳の上でも外でもいろいろな面でご指導くださった菅波盛雄先生(写真上)は、一人一人の評価とともに、今後の課題を与えてくださいました。


<講道館国際柔道セミナー>
国際柔道セミナーのお礼に、講道館にも伺いましたが、国際部の藤田真郎氏も、セミナー受講者のお世話役をしてくださった仮屋力氏も、タンザニアの選手は、一貫して、非常に礼儀正しく、まじめで熱心だったこと。とても明るく、セミナー全体のムードメーカー的存在となったことを教えてくださいました。
(←写真は、セミナー閉会式 前列中央:講道館館長嘉納行光、その右:藤田真郎氏、右端:仮屋力氏)

特に、この講道館国際柔道セミナーでは、終始ムードメーカーぶりを発揮したハジ・ハッサンが、セミナー終了式の受講生代表として、嘉納行光館長の前で、スピーチをしたとのこと。講道館からいただいた写真にも、ハジがスピーチをしている様子がちゃんと写っていたので、記念に、このページにも載せておきますね。

ザンジバルを出発する前、国に残っている柔道家のためにも、日本に行ったからには、どんなに厳しい練習にでもねをあげないことを、固く約束して出発したのですが、それを実践した彼らの様子を知ることができ、安心しました。

その裏には、順天堂での練習に入って、2週間は、3人とも、体全身が満遍なく痛くて、寝るときにも、どの姿勢で寝ると一番痛くないかを考えながら寝るほどだったという試練の時期を、それなりに乗りこえたというエピソードもあったようですが・・・。

ということで、名残惜しい順天堂大学から島岡代表の故郷横浜で、港の見える丘公園〜マリンタワー〜中華街〜伊勢崎町・・・といった横浜めぐりでリラックスした後、無事そろってザンジバルに帰ってきました。


<帰国後、ザンジバル武道館にて>
さて、日本柔道留学組3人のリクエストにより、ザンジバル武道館にホワイトボードを備え、順天堂大学柔道部がやっていたように、毎日練習メニューを書き、それに沿って練習をおこなうようにしました。
乱取りの数も増やしたい、ストレッチ方法なども新しく習ってきた方法をとりいれたいなど、とても積極的です。

ザンジバル武道館のホワイトボードに練習メニューを書きこむのは、ハジ・ハッサンの役目。
いつの間に覚えてきたのか、「寝技補助運動」「打込」「自由練習」・・・など、結構難しい字でも、漢字で書き込み、「一本目」「二本目」・・・・など本数の数え方、「十秒前です」「ファイト!」「三分間休憩です」など合間の言葉や、気合、掛け声のほかに、
「明日の練習は、4時半からです」
といった連絡事項まで日本語で言っています。

別にそこまで日本にこだわることはないような気がするのですが、日本から帰ったばかりの彼らにとっては、日本柔道を、丸ごとそのまま導入したいという気持ちでいっぱいのようです。

ということで、なんとなくほかのみんなもハジ・ハッサンの真似して言うのですが、まだ意味がわかっていない面々の方が多いので、気合を入れる「ファイト!」代わりに「三本目〜!」なんて大声を出す輩もいて、日本人の島岡代表の方が苦笑い・・・という感じで、気合が入っているのか抜けているのかわからない場面がある最近のザンジバル武道館ですが、7月1日のサバサバ柔道大会に向けて、がんばっています。

ということで、今日は、第2回日本柔道留学を終えて、さらに燃えているザンジバル柔道の現場よりお伝えしました。それでは、今日は、このへんで。
次回の便りまで、お元気で。
GOOD LUCK!!          2005年6月27日     
                                 ムナワルこと
                                島岡 由美子拝

下記に、日本柔道留学番外編もあります。続けてお楽しみください。


<丸の内柔道倶楽部>

日本滞在中、丸の内柔道倶楽部の岡本美臣氏よりお招きを受け、5月18日、丸の内警察署内にある丸の内柔道倶楽部にて、練習に参加させていただきました。

この丸の内柔道倶楽部は、戦後間もない1946年の発足以来、59年続いている古くからの柔道クラブで、所属メンバーも80歳を過ぎた会長さんを初め、マスターズ大会で活躍されている50代、60代の高段者が多く、平均年齢は55歳とのこと。
約1時間半の練習の中で、多くの方に稽古をつけていただきましたが、長年の経験から来る体に染み付いた柔道とでもいうのでしょうか、相手の力をいなし、相手の技を封じる。また相手の力を利用して華麗に技を決める、まさに「柔よく剛を制す」の基本にのっとった柔道が展開されました。

日本滞在中、若い人たちとの練習だけではなく、この丸の内柔道倶楽部にて、幅広い年齢の柔道家に出会うことができたのは、大変幸せだったと思います。
一日だけの練習でしたが、彼ら3人も、丸の内柔道倶楽部での練習と皆さんとの出会いを通じて、生涯柔道家として、柔道を愛し、続けていこうとより強く感じたようでした。


<日本で驚いたこと>
〜今回、日本初体験のハジ・ハッサン談〜

日本で一番驚いたのは、黒人が少なかったこと。
ザンジバルにも、白人はよくいるので、肌の色が違う人がいても、驚いたりしませんが、日本は、とにかく黒人が少ないので、いつも自分たちは目立っていましたよ。

日本の人は、知らない人には、挨拶をしないんですね。これもびっくりしました。ザンジバルでは、知らない人同士でもまずとりあえず、挨拶しますからね。

その調子で、日本滞在中、いっぱいジャンボ!と挨拶したので、順天堂大学構内はもちろん、よく行ったスーパーの店員さん、学食のおばさんたちも、みんなジャンボ!と挨拶をしてくれるようになりました。やっぱり、人は、挨拶をすることから始まると思います。

日本は、パーティーというと、家に招待するのではなく、レストランに招待するんですね。
ザンジバルでは、結婚式でもなんでも、パーティーというと家でやります。
親戚一堂集まってたくさんの料理を作って備えるのですが、誰が来るかこないかわからにので、たくさん料理が余ってしまうときもありますが、日本のようにパーティーをレストランでやって、来た人の人数分だけ清算する方が合理的だと思いました。

地下街というのも、すごいですね。
地下に電車が通り、お店があって、一年中昼間のように明るく、人がたくさん歩いている・・・これをザンジバルの人に説明しても、信じてくれないでしょう。

<日本の食べ物>

味噌スープ(味噌汁)好きになったのは、ハジ・ハッサンとアリ・ジュマ。
ちょうど2人とも、体重コントロールにも気を使わなくてはいけないせいか、味噌が大豆でできていて、ヘルシーなところも気に入ったとか。味噌スープに入った豆腐も大歓迎とのことでした。

梅干は、3人ともOK。ザンジバルの人も、ウカリ(酸っぱ系の食べ物全般)が好きですから、梅干は平気で食べていたようです。

3ヶ月滞在の中で、いろいろな食べ物を体験したようですが、最終的に、ハジ・ハッサンは
焼肉が、ナンバーワン!」
ハマディは、
「焼肉もいいけど、自分はハンバーガーがナンバーワン!」
とのこと。あれあれっ、結局日本料理はないのかなと思いきや、アリは、
天丼がナンバーワン!」
とのことで、ジャパニーズフードの面目も保たれたようで(?)ほっとしました。

3人とも最後まで苦手だったのは、刺身と納豆。
ハジ・ハッサンの観察(?)によると、
「菅波先生と一緒に学食で朝食を食べると、必ず先生のお盆には「ナットー」と呼ばれる変なにおいの豆が乗っていて、それをはしでかき混ぜて、菅波先生はおいしそうに食べていました。

自分たちが、講道館の国際柔道セミナーに出ているとき、一人で先に順天堂大学に来ていたハマディが納豆体験をしたらしいのですが、その時、納豆のにおいとねばねばに閉口したから、絶対に手を出さない方がいいと言われていたので、私とアリは、かたくなに納豆だけはご辞退しました」

とのことでした。
落語に「まんじゅう怖い」というのがありましたが、タンザニアの面々にとっては「納豆怖い」だったようです。

刺身は、苦手派と大好き派に大きく分かれる食べ物ですが、3人は、残念ながら、最後まで苦手なままの帰国となりました。

<アフリカフェ試飲会>

帰国前日、大阪の天神橋商店街で、トロワ・ジャパン三輪が開いていたアフリカフェ試飲会に飛び入り参加。
アリはコーヒー党で、アフリカフェの愛飲者。試飲をして、
「うん、うん、やっぱりアフリカフェはムズリ・サーナ(とてもうまい!」

紅茶党のハマディとハジは、アフリカンプライドを試飲。ザンジバルでは、いつもミルクと砂糖をたっぷり入れたチャイ(ミルクティー)を飲んでいるので、「ミルクがあったらもっとおいしいよ」とのこと。

それから、ハマディは、自分の奥さんが使っているカンガと同じ柄を見つけてご満悦。
「これは、ザンジバルで人気がある柄なんだよ」と三輪に説明していました。

第2回日本柔道留学

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No78.日本柔道留学番外編 at〜講道館&順天堂大学 その1へ

タンザニア便り83.「サバサバ柔道杯2005 in TANZANIA」 2005.7.24

左から、在タンザニア日本大使池田勝也氏、アリ・ジュマ、ハジ・ハッサン、ハマディ・シャーメ、島岡強代表


ジャンボ!アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?

さて、今日は、サバサバ柔道杯2005の様子をお伝えいます。

<サバサバと柔道>

日本の七夕、77日は、タンザニアの商業祭。数字の7のスワヒリ語読み「サバ」を重ねて「サバ・サバ」の日として定着しており、毎年77日を挟んだ10日間に渡って、ダル・エス・サラーム郊外にあるサバサバ会場で、各国&国内外各社のパビリオンが立ち並び、国際貿易フェアが開かれます。
タンザニアですっかり定着しているサバサバ国際貿易フェア、今年は第29回目でした。

ところで、サバサバは、商品の展示だけではなく、各国の文化の紹介やタンザニアにある各団体の活動や、研究発表の場でもあります。
日本からは、日本大使館主催で、今年もサバサバ柔道杯2005、『JAPAN JUDO CUP-SABASABA2005が催されました。

この日本大使館主催サバサバ柔道杯は、日本文化としての柔道を、タンザニアの人に紹介することと、タンザニア国内の柔道家達が、揃って技を競う機会を作るという目的で、2000年から続いている大会で、「柔よく剛を制す」、「自他共栄」、「精力善用」といった柔道精神も含めて、タンザニアの人々に紹介する意味で、毎年「体重別」ではなく、「無差別」でタンザニア一を争う試合が行われています。

<試合結果>
7
1日、ザンジバル16人、ダルエスサラーム16人、合計32名で、トーナメント戦が行われました。

結果は、
優勝  ハジ・ハッサン (81kg)ザンジバル
準優勝 アリ・ジュマ  (60kg)ザンジバル
3位   ハマディ・シャーメ73kg)ザンジバル

で、ハジ・ハッサンがはじめて無差別級の大会で、優勝を飾り、めでたくサバサバ2005年のチャンピオンに輝きました。
昨年は、
優勝、ハマディ・シャーメ(73kg)・・・ザンジバル
準優勝 アリ・ジュマ(60kg) ・・・ザンジバル
3位 ハジ・ハッサン(81kg) ・・・ザンジバル

だったので、去年の覇者ハマディと3位だったハジが入れ替わったという結果で、3位決定戦も、次代の73kg級ホープ、ヘメディ・ムタンガが善戦するも、現73kg級第一人者ハマディに破れ、結局は、日本柔道留学組3人が順当に勝ち上がったという、波乱なき大会でした。

昨年までは、ステージの中心にある来賓席用のテーブルの前には、「JAPAN JUDO CUP SABASABA・・・EMBASSY OF JAPAN」と染め抜かれた垂れ幕が大きくかけられ、タンザニアスポーツ界の第一人者がずらりと並ぶ中での試合でしたが、今年はテーブルの垂れ幕もなく、タンザニア側の来賓が誰一人おらず、その点では、少々さびしい雰囲気でしたが、在タンザニア日本大使池田勝也氏が見守る中、皆、精一杯戦いました。

去年は、ベスト8にダルエスチーム2人、ベスト4に初めて本土チームの選手が食い込むという展開になり、会場が大いに沸きましたが、今年は、1回戦16試合中14試合をザンジバルが制し、本土チームで残った2人も、2回戦で姿を消し、ベスト8からはすべてザンジバル同士という展開になったので、ザンジバルVS本土チームの対決という点では、盛り上がりに欠けましたが、特に3回戦からは、日本柔道留学組を筆頭とする、ザンジバルの選手たちが繰り広げる技の攻防と、きびきびした試合態度を前にして、観客も息を潜めて真剣に見守る姿があり、日本の文化であり、礼節を重んじる柔道を、広くタンザニアの人たちに知らせるという、本大会の主旨は、大いに果たせたと思います。

<大会を振り返って>
はじめてサバサバ杯を制したハジ・ハッサンは、大会を振り返って、
「今までのどの大会より、厳しかった分、とてもうれしいです。
特に1回戦(写真右)、100kg級のムッサー選手との試合は、こちらが責めていたにもかかわらず、なかなか技が決まらず、延長戦になってあせりましたが、
『俺は、日本で厳しい練習をしてきたんだ。ムッサー選手よりもっと重くて強い先輩たちに、もまれてきたんだ。こんなところで負けていてたまるか』という気持ちで最後まで戦いました。

準決勝でのハマディとの試合も厳しかったですね。
実は、今日私がハマディに勝った技、支え釣り込み足は、順天堂大学の菅波先生に教えていただいた技なんです。


私がどうしてもハマディを倒せなかったとき、菅波先生は、支え釣り込み足を使うようにとアドバイスしてくださいました。そして、ハマディがこらえて倒れなくても、途中であきらめて仕切りなおさず、自分の体重を使ってのしかかっていけと教えてくださいました。

順天堂大学での練習中にも、1回だけ、今日と同じように倒せたのですが、そのとき、菅波先生は両手をたたいて喜んでくださいました。今日の準決勝では、その技で、ハマディから一本勝ちできたので、最高の気持ちでした。

決勝戦の相手は、一番苦手なアリ・ジュマでしたが、今でも立ち技ではどうしても彼のスピードに撹乱されてしまうので、何とか寝技にもちこみたいと考えていました。最後の最後に二人で倒れた後、寝技に持ち込めたときは、絶対にこの腕を離すまいという気持ちでアリの関節を決めました。今日の勝利は、順天堂大学柔道部の皆さんと、妻と母に早く伝えたいです!
と笑顔で語っていました。


アフリカフェ・プロジェクト代表である一方、ザンジバル柔道連盟会長、タンザニア柔道ナショナルコーチを兼ねる島岡代表は、

今年のサバサバ柔道杯は、実力のあるものが順当に勝ちあがったトーナメントだった。

準決勝からは、それまでより一段上のレベルの試合となったので、きびきびしたよい試合を観客に見せることができたと思う。


123位は、予想通り日本留学組となったが、今回の入賞でさらに士気を高めて、南アフリカ国際柔道大会で、よい結果を出してくれることを願っている」
とのことでした。

<マラリアと戦う>
今年のサバサバ柔道杯の結果を、誰よりも喜んでいたのは、ザンジバルで待っていたマカメ選手

彼は、サバサバ杯出場を目標に、熱心に稽古を積み、タイミングのいい大内刈りをマスターして、今年初めてサバサバ大会のレギュラーの一人に選ばれ、いざダルエスサラームに向けて出発という前日に、まだ1歳にならない娘が、マラリアで危篤状態に陥り、試合出場を断念。

ザンジバルでは、今でも、乳幼児のうちにマラリアで亡くなる子供達が後を絶ちません。
「ザンジバルでみんなの勝利を待っているから、がんばってきてくれ」
と言いつつも、さびしそうな顔で自転車に乗って病院に向かったマカメの後ろ姿が、私の目に焼きついて離れませんでした。

サバサバ柔道大会からザンジバルに戻り、練習を再開した当日、明るい笑顔のマカメが待っていました。

娘さんは、サバサバ大会当日に瀕死の状態から脱し、元気になったとのこと。
マカメも、ザンジバルチームのサバサバベスト8制覇の朗報に大喜び。

ただひとつ、マカメの代わりに出場した補欠のキンガジ選手が、1回戦で黒星を喫してしまったことを聞いて、
「もし自分が出ていたら、1回戦16試合中15勝になっていたのに」と、悔しがっていましたが、とにもかくにも、ザンジバルチームがサバサバ杯で戦っていたとき、マカメは小さな娘さんとともにマラリアと闘い、双方それぞれの勝いに勝って、最高の笑顔で再会出来たのですから、それが何よりのことと、皆で祝福しあいました。

ということで、サバサバ柔道大会2005、今年もザンジバルチームの完勝で、意気揚々と帰ってきたのですが、その後、約1週間で、南アフリカ国際柔道大会を控えていたので、すぐに上位3名の調整に入り、南アフリカのダーバンに向かうというあわただしいスケジュールでした。

南アフリカのことは、次回の便りでお伝えしますね。
それでは、今日はこのへんで。
日本は夏全開といった日々でしょうが、お体にお気をつけてお過ごしください。

GOOD LUCK!!

             2005724

                  ムナワルこと  島岡 由美子

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便り 84 南アフリカ国際柔道大会 in ダーバン


左から、島岡代表、ハマディ・シャーメ選手、アリ・ジュマ選手、ハジ・ハッサン選手、
右端:南アフリカ柔道連盟会長 トーマス・ダンカー氏

ジャンボ!今年の日本は、夏らしい夏が来ているようですが、いかがお過ごしでしょうか。さて、今回も、3回連続で、柔道の話題です。

7月1日に開かれた日本大使館主催サバサバ柔道杯の上位を制覇した、ザンジバル柔道連盟の日本柔道留学組、(アリ・ジュマ(60kg級)、ハマディ・シャーメ(73kg級)、ハジ・ハッサン(81kg級))は、その後7月11日〜15日に開かれた南アフリカ国際柔道大会に参加しました。

アフリカ最南端にある南アフリカは、もちろん南半球。ということは、北半球にある日本とは季節が正反対。今が真冬です。かなり覚悟していったものの、試合場がダーバンで、南アフリカの中では暖かい土地だったので、朝晩は大変冷え込みましたが、日本で言えば、晩秋といった感じで、コートさえ着れば、ぶるぶる震えるといったほどではありませんでした。

ただ、一番涼しい季節でも、半袖で過ごせる常夏の島ザンジバルから行ったので、減量をしないといけなかったハジ・ハッサン(83kg級)とアリ・ジュマ(60kg級)にとっては、汗がなかなか出ない南アフリカでのウェイとコントロールは、厳しいものがありました。

開会式
会場は、ダーバンから20kmほど離れたパインタウンという街にあるクワズール大学の体育館。試合場が5面と、ウォーミングアップができる場所が余裕で取れるほど立派な建物でした。

今まで参加した国際柔道大会では、開会式があっても、短い挨拶程度で、すぐに試合が始まるのが常でしたが、今大会の開会式には、音楽あり、踊りあり、剣道や居合い抜きの実演まで飛び出すといった凝った演出があり、テレビ放映はもちろんのこと、来賓も、IJF(国際柔道連盟)副会長、AJU(アフリカ柔道連盟)幹部、コモンウェルス(=イギリス連邦共同機構)幹部も揃っており、まるで全アフリカ大会か何かの大々的な大会の様で、いかにもアフリカ内で経済的にトップを独走する南アフリカで開かれた大会といった雰囲気でした。(右上の写真は、IJF副会長を囲む各国柔道連盟代表者)

南アフリカの柔道関係者は、日本武道というものに憧れを抱いている人が大変多いのですが、日本人から見ると、ちょっとずれていることがなきにしもあらず。

それはこの開会式にも如術に現れており、剣術のパフォーマンスをする真剣な顔のおじさん二人の周りには、中国音楽に乗って、日本の着物と中国の衣装をミックスしたような和中式着物のすぞをずるずるひきづって歩く女性の集団がいるという不思議な光景。

さらに、「いらっしゃいませ」&「毎度ありがとうございます」と襟に染め抜かれたはっぴを着て、なぜか天秤棒をかついだ美少年が登場。その彼が、タンザニアチームのオフィシャルとして来賓席に座っていた私達に向かってくるので、何かと思ったら、その天秤棒のかごの中から、おもむろに扇子を出して、私に渡してくれました。
一応日本女性がいたのを見つけて、特別サービスしてくれたようです。

「あらあら、どうもありがとう」ということで、いらっしゃいませハッピの美少年にお礼を言って、扇子をぱたぱた扇ぎながらの開会式観戦となりました。

この大会の参加国は、南アフリカ、タンザニア、コンゴ、ジンバブエ、ザンビア、アンゴラ、ボツワナ、ナミビアといった東南部アフリカの国々、そして、南アフリカ柔道連盟と友好関係のあるニュージーランドチームも参加しており、南アフリカの選手が、各地域や所属クラブの旗を持っての入場行進の後、外国からのチームは、国ごとに紹介されて、それぞれの国旗を持っての入場で、大いに盛り上がりました。

試合結果
さて、肝心の試合結果ですが、開会式から2日後の8月14日、タンザニアチームの初陣は、81kg級 ハジ・ハッサン
1回戦、南アフリカの選手を相手にもろ手刈りで一本を取り、快勝。
2回戦、相手の奥襟を取って、大外刈りを狙っていたところに、低い背負い投げで担がれ、一本負け。
敗者復活戦に周り、1回戦、支え釣り込み足で、秒殺で、圧勝。
続く2回戦、ハジが最初から積極的に攻めるも、相手は受けに回ってまったく攻撃せず、それなのになぜか不可解な「指導」がハジに下され、ポイントを奪われたままあせって前に出たところを払い腰で合わされ、一本負け。

続く73kg級のハマディ・シャーメ
1回戦、南アフリカの選手を相手に、もろ手刈りで一本。見事な秒殺。
続く2回戦、相手はコンゴの選手で、実力者。
試合前から事実上の決勝戦という声が高かった顔合わせでした。
ハマディが奥襟を取りにいったところ、相手がそれを読んでいたかのようにその腕を担いで袖釣り込み腰。ハマディは空中で体を返し、腹ばいで畳に伏せたのに、審判の判定は一本負け。
このコンゴの選手が、準々決勝で南アの優勝した選手に不可解な負けを喫したせいで、ハマディは、敗者復活戦に回ることができず、試合終了。
2人とも、自分の実力が出し切れなかったことと、メダルを取れなかったことで、悔し涙を流していました。

翌15日。60kg級、アリ・ジュマの出場
1回戦、集中力が高まっていなかったのか、たいしたことない相手に自分の得意技の内股をかけられ、ほとんど何もせずに一本負け。
ハマディもハジも、アリのあまりの不甲斐なさに怒り、(→実は、私も、アリの気合の入らない試合ぶりと負け方に、持っていたカメラを叩き壊したくなるほど頭にきてしまいました)アリ本人は、呆然としていて、心ここにあらずという感じ。

島岡代表が、
「まだ敗者復活戦がある。それを勝ち抜けば、まだ銅メダルがとれる。気合を入れなおせ」
と叱咤激励。座り込んでいるアリを無理やり立たせて、自ら柔道着を着て、打ち込み相手をし、何とか次の試合への準備をして、敗者復活1回戦。

左の写真は、敗者復活戦に挑むアリです。。
試合開始と同時に大声で気合を入れて、向かっていきました。南アフリカの選手を相手に、簡単に有効、一本を取り、完勝。(一回戦にこの集中力で向かっていれば・・・と大いに悔やまれました)

続く2回戦、ジンバブエの選手を相手に、谷落としで見事な一本勝ちをし、午後の3位決定戦へ。
3位決定戦、これに勝てばメダルという試合。相手は南アの長身の選手。

「相手は、奥襟を取って、内股、払い腰に来るから、奥襟を取ってきたら、相手の腰に抱きついて、大腰を狙え」
という島岡代表の指示がとんだにも関わらず、アリは、それに従わず、余裕をかまして相手の距離にいたため、払い腰を食らい、一本負け。

今後の課題
結局、3人のうち誰もメダルを取ることができず、課題ばかり残った大会となってしまいました。
島岡代表の分析によれば、
「今回は、今までのように、一回戦勝てるかどうかということではなく、実力的にも意識的にも、全員でメダルをとりに行った初めての大会だったが、残念ながら、メダルに手が届かなかった。

全体を通して、彼らの中で、日本で3ヶ月練習したということが、大変な自信とプライドになっていて、こんなローカルな大会で、負けるわけがないと思っていたところに、相手に思っていた以上に抵抗され、こんなはずではないと、あせったところに審判から不可解な反則を取られ、さらにあせって前に出たところで投げられて負けるというパターンにはまり込んでしまったようだ。

実力はついてきたが、試合での駆け引きがあまりうまくなく、格下の相手にワンチャンスをものにされ負けてしまうということが露呈したので、この点を今後いかにして修正していくかが大きな課題だ。これが修正できれば、国際大会でも、近い将来必ずメダルが取れるだろう」

とのこと。
島岡代表の言葉にもあるように、今回は、タンザニアチーム一丸となって、本気でメダルを国に持ち帰ることを目標に挑んだ大会でしたが、メダルに手が届かず、本当に残念でした。

3人が涙を流す姿を見たのは、今回で2回目でしたが、順天堂大学での3ヶ月の柔道留学最後の日に流したさわやかな別れの涙とは違って、悔しさと情けなさと、あのときああやって動いていたら・・・という後悔が入り混じった苦汁の涙を流す姿は、見るにしのびませんでした。
しかしながら、現実は現実。
負けは負けですから、この悔しさをよくかみ締めて、今後に生かすしかありません。

とはいうものの、私は、彼らが初めてタンザニア以外で試合をしたときから同行していますので、1回戦で秒殺されたり、試合中に息が上がって、よれよれになった姿などを見ながらここまできたので、タンザニア国内のサバサバ大会の勝利は当たり前として、3人ともけして有頂天にならず、今回の南アフリカ国際に的を絞って猛練習を積み、メダルに挑み、メダルがとれなかったからと、本気で悔し泣きする彼らの姿を、心の中では頼もしくも感じていました。

南アフリカ国際大会出場は、タンザニア柔道チームにとって、大変苦い経験でしたが、この苦さが、全員の心にしみこみ、次のステップへとつながることを信じています。
ということで、今日は残念な結果となった南アフリカ国際柔道大会の模様をお伝えしました。
日本は、まだ当分暑い日が続くと思いますが、お体に気をつけてご活躍を!
それでは、今日は、このへんで。
GOOD LUCK!!

                2005年8月7日
                                ムナワルこと 島岡 由美子拝



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