タンザニア便り
便り93. 真冬の南アフリカ国際柔道大会2006

便り92.サバサバ柔道杯2006 in Tanzania


便り93. 真冬の南アフリカ国際柔道大会2006



〜試合会場の前で
左から、ハマディ・シャーメ選手、島岡強代表、アリ・ジュマ選手
ジャンボ!日本は夏の真っ盛りだと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。
今回は、ザンジバル柔道連盟のアリ・ジュマ選手と、ハマディ・シャーメ選手が、7月11日〜15日に開かれた南アフリカ国際柔道大会に参加したときの模様をお伝えします。

<真冬の南アフリカへ>

 私達タンザニア柔道チームは、6月26日、タンザニアオリンピック委員会の会長と、ザンジバルスポーツ局局長を兼任するグラム・ラシッド氏より、国旗を手渡され、ザンジバルを出発。途中6月29日に本土ダルエスサラームで開かれた日本大使館主催サバサバ柔道杯の後に、ジョハネスブルグに飛びました。

 アフリカ最南端にある南アフリカは、もちろん南半球。ということは、北半球にある日本とは季節が正反対。今が真冬です。
今回南アフリカ国際柔道大会が行われたバンデビジパークは、ジョハネスブルグから約100km離れた高地にあり、真冬の真っ只中で、連日朝はマイナス4〜5度、地面には霜が降り、日中やっと10度ぐらいになるという、とても寒いところでした。

常夏の島ザンジバルから行った私たちは、長袖の服とジャケットを着込んでも震え上がるほど寒く、会場内はさらに冷えるので、努めて日向に出て日向ぼっこをしながら、暖をとるという日々でした。

今回のチーム構成は、減量苦と、60kg級のスピードについていけなくなったため、1階級上げたアリ・ジュマ選手(66kg級)と、ハマディ・シャーメ(73kg級)の2選手、タンザニアナショナル柔道コーチ島岡強代表、そしてマネージャーの私の4人。
選手2人は、30歳以上の柔道家が出場するマスターズ大会と、成人の部であるシニアの大会二つにエントリーしました。

 最も懸念されたのは、ダルエスサラームを出発する前日に、わき腹の肉離れを起こしたハマディ選手で、そのためにウェイト調整のための練習も満足にできなかったため、洋服を着こんで走り、何とかマスターズ大会に向けてウエィトをクリアしました。

アリ・ジュマ選手は1階級上げたせいで、食事も十分に摂れ、私達も彼の減量に頭を悩ませることもなく、マスターズ大会の当日を迎えました。



<マスターズ大会>


 先陣を切って、アリ・ジュマ選手が66kg級に出場。同じ階級に選手が4人いたため、4人の総当たり戦となり、それぞれ、谷落し、一本背負い、谷落しで3戦全勝し、タンザニア人の柔道家始まって以来の国際大会の金メダリストとなりました。

 続く73kg級ハマディ・シャーメ選手。
自分自身が怪我をしていること。そして敵地で試合をすることへのプレッシャーで、試合前から
「怪我さえしていなければ簡単に勝てるのに、怪我をしているからなんともいえない」と弱音を吐いていたので、島岡コーチが、「とにかくお前は南アフリカまで来たのだから、どうであれ一試合ぐらいはがんばって戦ってこい」
と激励し試合場に送り出しましたが、気持ちが折れてしまっていて、動きに精彩がなく、相手のなすがままになり、試合前に散々注意されていた右腕の脇を無造作に上げたところ右の一本背負いで担がれ、マダガスカルで負けたときと全く同じパターンで一本負け。

しかし、30歳〜34歳の73kg級が他にいなかったため(対戦相手は、35歳〜40歳の部の選手だったのです)、たった一人の金メダルと獲得となり、結果的には、アリ選手に続いて、ハマディ選手も金メダルを獲得することができました。

<シニアの部>

マスターズ大会から4日後、アリ選手が、シニアの部に挑みました。
マスターズ部門での勝利で大変気をよくしていたので、シニア部門でのメダルも大いに期待されると同時に、今後66kg級で戦えるかどうかということで、選手生命がかかっていました。

1回戦 南アフリカの選手を相手に、内股で見事に一本勝ち。南アフリカの観客は、どの国の選手に対しても、いい技を出せば拍手で応援するという非常にスポーツライクな雰囲気で、このときにも、アリ選手の一本勝ちに対して、会場から「ビューティフル・ウチマタ(内股)」という賞賛の声が上がっていました。

2回戦 やはり南アフリカの選手で、大腰で一本勝ち。準々決勝に駒を進めました。

準々決勝 相手はフランスが組織するアフリカチームの一員で長身のギニアの選手。
手足が非常に長く、柔道着の袖は肘ぐらいまでしかなく、なかなか引き手がとれず、組み手争いを繰り返しているうちに、相手の長い腕がアリ選手の足に絡み、そのまま体重を浴びせてきて、一本負け。

続く、敗者復活戦。2回戦、相手は、南アフリカの長身の選手。
アリ選手は、はじめは島岡コーチのアドバイスどおり、左で組んで、内股や大腰を果敢に仕掛けていったのですが、なかなか決まらず、そのうち組み手に妥協して右に組んで、長身の相手に仕掛けてはいけない大外刈りを仕掛けたところ逆に返され一本負け。
結局、シニア大会ではメダルに手が届かず、7位に終わってしまいました。
 
ハマディ選手は、マスターズ部門に出た時点で、わき腹の負傷が悪化。やむなくシニア部門出場は断念しました。

結果的にシニアでは、またもやメダルが獲れませんでしたが、同じ年齢のマスターズでは、ハマディ選手はともかく、アリ選手は強いことが証明され、マスターズとはいえど、一応タンザニア初の金メダルを持ち帰ることができ、一つの結果を出すことができました。


<金メダルを持ち帰って>

タンザニアの政府やメディアは、シニアであれ、マスターズであれ、メダルをとればそれでいいという感じで、本土の3つのテレビ局が柔道チームの金メダル獲得を大きく報道し、ザンジバル帰国後には、スポーツ大臣によるメダル授与&国旗返還式が開かれました。

島岡強コーチとしては、
「自分としては、シニアの部のメダルではないので、半分以上恥ずかしい気持ちと申し訳ない気持ちがあるが、今までのように、メダルを持たず手ぶらで帰ってくるのとは、自分自身の気持ちも確かに違うことを実感している。
2002年に、コモンウェルス大会でマンチェスターに行って以来、何度にもわたる遠征と国際大会への出場をしてきたが、今回初めてマスターズであれ、メダルをとって帰れたことで、選手達の意識も変わってくると思う。
次にはシニアでメダルがとれ、さらにその先につながっていけるよう、日々の練習を大切にしっかりやっていきたい」
とのことでした。


メダル獲得の報告後、国旗返還をする
アリ選手&ハマディ選手

スポーツ大臣(中央)を囲んで

<アフリカ柔道界>


今年の南アフリカ国際柔道大会は、アフリカ・ジュニア柔道選手権大会とほぼ同時期に開催されたので、例年より参加国も多く、南アフリカ、エジプト、コンゴ、ジンバブエ、アンゴラ、ギニア、チュニジア、モーリスシャス、マダガスカルセネガル、タンザニア、ボツワナ、ナミビア、ザンビア、ニジェール・・・と東西南北各国揃っていて、白熱した大会となると同時に、アフリカ諸国の柔道連盟代表も顔を合わせ、交流を深める機会がもてました。

。ジュニア選手権大会終了後も、アフリカ柔道連盟(Africa Judo Union)会長パレンフォ氏書記長のオマル・ダンガロム氏は、南アフリカ国際大会の来賓として最終日まで立会い、南アフリカ柔道連盟の大規模かつしっかりした大会運営を感心して見守っていました。なんせ、この大会は、ジュニア、シニア、マスターズをひっくるめて2000人以上の選手がエントリーして催されており、アフリカ内の大会では最大規模といえるのです。

島岡代表も、あるときはコーチとして、選手の打ち込みの相手をしたり、コーチボックスに入ったり、あるときはタンザニア柔道の代表として、東アフリカ柔道界の様子を伝え、タンザニア、東アフリカ柔道の発展について各国柔道連盟代表と話し合うなど、両面で大忙しで、今回の南アフリカ国際柔道大会は、私達タンザニア柔道チームにとって、盛りだくさんの内容が含まれた大会となりました。

南アフリカ柔道連盟会長トーマス・ダンカー氏(右)と 右:アフリカ柔道連盟(AJU)会長パレンフォ氏
左:アフリカ柔道連盟書記長ダンガロム氏、



<13年目のメダル>
「柔道を教えてください!」
と、ザンジバルの青年達に頼まれたことがきっかけで、畳も柔道着もない状況で、島岡コーチがザンジバルに青空道場を開いたのが1993年。柔道着を調達し、畳を入れ・・・そのときから13年が経ちました。

青空道場当初から始めたアリ選手、2年後に入ってきたハマディ選手も、気がつけばもう30過ぎ。普通ならとうの昔に現役引退をしている年齢です。

彼らが20歳そこそこの時期から見ている私にとっても、ザンジバル柔道第一期生ともいえる彼らの現役時代に、マスターズ部門とはいえ、国際大会で金メダルに手が届いたことは、とても嬉しい出来事でした。
この金メダルが、ザンジバル、タンザニア柔道発展の布石となって、若い柔道家達の未来に続いていってほしいと願っています。

と、柔道に関しては熱いレポートですが、南アフリカの7月は、本当に寒かったですよ!

冒頭に書いたように、朝夕の気温はマイナス4度にまで下がり、日中でも10度前後。私達は年中暑いザンジバルから行ったので、寒い&寒い!
夜など、毛布を2枚重ねてもまだ寒くて、震えておりました。

西側の常夏の国ギニアから来た選手など、寒いのは初体験だったようで、ホテルの毛布を体にグルグル巻きにして会場入りしていました。よほど寒かったのでしょう。

朝は、霜が降りて、一面真っ白。
踏むとカシュカシュと音がする朝霜や、もやもやと立ち込める川霧枯れ木などを見て、久々に日本の冬を思い出しました。
寒〜い日に限って、雲ひとつない大晴天。
南アフリカにも、真っ青な空が広がっていました。

日本は暑い日々が続いていると思いますが、お体に気をつけてご活躍ください。
それでは、今日はこのへんで。
GOOD LUCK!!

                      島岡 由美子





便り92.サバサバ柔道杯2006 in Tanzania

左から、島岡強代表 2位アリ・ジュマ選手 1位ハマディ・シャーメ選手 3位マスーディ・アムル選手

ジャンボ!皆さん、2006年の夏、いかがお過ごしでしょうか。
タンザニアでは、今年も恒例の在タンザニア日本大使館主催のサバサバ柔道杯、『JAPAN JUDO CUP-SABASABA』が開催されました。

<恒例のサバサバ柔道杯>
日本の七夕、7月7日は、タンザニアの商業祭。数字の7のスワヒリ語読み「サバ」を重ねて「サバ・サバ」の日として定着しており、タンザニアでは、毎年7月7日を前後10日間に渡って、国際貿易フェアが開かれ、タンザニア国内をはじめ、各国の産業や文化の紹介がおこなわれています。

この日本大使館主催サバサバ柔道杯は、日本文化としての柔道を、タンザニアの人に紹介することと、タンザニア国内の柔道家達が、揃って技を競う機会を作るという目的で、2000年から毎年続いている大会で、「柔よく剛を制す」「自他共栄」「精力善用」といった柔道精神も含めて、タンザニアの人々に紹介する意味で、毎年「体重別」ではなく、「無差別」でタンザニア一を競う試合が行われています。

試合は、今年のサバサバ杯会場となったドンボスコホールに集まった観客と、在タンザニア日本大使の池田勝也氏(写真右)、スポーツ大臣モハメッド・セイフ・ハティブ氏(写真中央)が見守る中、ザンジバルチーム16人、本土チーム16人、合計32人のトーナメントで行われました。

<試合結果>
1回戦を終わった時点で、すでにザンジバル13勝、本土3勝という一方的な展開となり、本土の選手は、2回戦で全員姿を消し、ベスト8の準々決勝からはすべてザンジバル勢同士の戦いとなってしまったので、本土チームを応援しに来た地元ダルエスサラームの観客達はがっかり・・・という場面もありましたが、とにもかくにもタンザニアの柔道家達が技を競いあった結果、

優勝   ハマディ・シャーメ選手(2回目)・・・ザンジバル
準優勝  アリ・ジュマ選手(4回目)・・・ザンジバル
3位    マスーディ・アムル選手(初)・・・ザンジバル
と、ザンジバル勢の独占となりました。


今大会で、一番タフで見ごたえがあった試合は、準決勝のハマディ選手(73kg)VSマスーディ選手(100kg)の試合でした。
スピードとテクニックとキャリアをフルに使って戦うハマディ選手に、ハマディ選手より30kg以上重く、怪力で勝負するマスーディ選手がぶつかり、ともに全力を尽くしたものの、やはり経験と相手への研究に勝るハマディ選手に軍配が上がりました。

決勝戦は、スピード、テクニック、キャリア共に同じように持っている同士の戦いとなり、パワーに優るハマディ選手が60kg級のアリ選手を押さえ込み、見事にサバサバ大会2回目の優勝を果たし、タンザニア一の座に輝きました。サバサバ柔道杯で2回優勝したのは、ハマディ選手が初めてです。
アリ選手も2年ぶりの優勝を狙っていたのですが、決勝で敗れ、4回目の準優勝でした。

試合が終わった後は、トロフィー授与式。今年も日本大使よりトロフィーの贈呈が行われ、今年のサバサバ柔道杯は幕を閉じました。
初出場でサバサバ大会3位に入賞し、トロフィーを掲げて大喜びしているマスーディ選手とは対照的に、 次の国際柔道大会に標準を絞っているハマディ、アリの両選手は、それぞれ優勝、準優勝を飾っても、、サバサバ柔道大会での結果は1つの結果ではあるけれど、大喜びするほどのものではないといった様子で淡々としていました。


<合同合宿>
 ザンジバルでは、タンザニア一を決めるこのサバサバ柔道杯に向けて、6月に本土チームとの合同合宿をしてモチベーションを高めてきました。(写真右:合同合宿風景1)

 実は、この合同合宿には、隣国のザンビアチームも参加を予定しており、私達はザンビアチームの選手名簿まで受け取り、ザンビアチームの宿泊手配もすませて、楽しみに待っていたのですが、合宿開始当日になってもザンビアチームは現れず、ドタキャンを食ってしまいました。

昨年も、ケニアチームを招待し、やはり選手名簿まで受け取って、ケニアチーム受け入れ準備を整えて待っていましたが、やはりドタキャンといった経験もありますので、さほど驚きはしませんでしたが、やはり、アフリカ内で国同士の交流は難しいものがあります。

何はともあれ、合宿は、ザンジバル武道館にて、ザンジバルと本土チーム合同で行われ、最終日にはタンザニア体重別選手権大会も行われ、各階級のチャンピオンが誕生し、大きな選手も小さな選手も含めて無差別級でのタンザニア一を競うサバサバ柔道大会に向けてモチベーションを高めました。右の写真は、合宿風景:腕の筋力強化のため、腕だけで縄のぼりをしているところ)

<3位入賞マスーディ選手の災難>

さて、今年初出場ながら、サバサバ柔道大会で3位に食い込んだマスーディ選手(100kg級)は、その大きな体からキボンゲ(でかぶつ)というニックネームで呼ばれています。

サバサバ大会の翌日、ザンジバル勢は、ザンジバルでは値段が高く、本土では安いトマトなどの野菜を家族へのお土産に買い込み、わいわい言いながら、船に乗ってダルエスサラームの港を離れていったのですが、中でもこのキボンゲことマスーディ選手は、トマトを山と買い込み、片手にはトマトの袋、もう一方には、サバサバのトロフィーを掲げて船に乗り込んでいきました。

船に乗っている間も、トロフィーを肌身離さず持っており、その姿がおかしいと、みんなから笑われても、本人は知らん顔。嬉しくてたまらない表情で、トロフィーを抱えていたそうです。初めての入賞が、よほどうれしかったのでしょうね。
 
 しかし、意気揚々とザンジバルに帰ったマスーディ選手を待ち受けていたのは、警察官
なんと、問答無用でしょっぴかれ、そのまま留置所に放りこまれてしまいました。

 実は、マスーディ選手は普段、店の夜警をしているのですが、彼がサバサバ柔道大会のために本土に行っている間に、その店が強盗に入られ、かなりの被害にあったとか。
そこで、その店主は、夜警にあたっているはずのマスーディ選手が不在中に盗まれたということは、彼が泥棒たちに手引きしたんだと思い込んで警察に訴えたため、何も知らないマスーディ選手は、意気揚々とサバサバ柔道大会から家に帰りついた途端に、問答無用でしょっぴかれて、留置所に放り込まれるはめになってしまったのです。

 その話はすぐに柔道の警察チームに回り、彼らが八方手を尽くして、マスーディ選手はサバサバ柔道大会出場のために、本土に行っていたことを証言し、泥棒と結託していたわけではないことが証明され、留置所に放り込まれて3日目に、めでたく無罪放免になったのでした。
と書いたものの、マスーディ選手をめぐって、こんなハプニングが起こっていたのを私が知ったのは、マスーディ選手が釈放されて2週間も後だったのですが・・・。

<南アフリカ交際大会に向けて>

というのは、サバサバ柔道大会のすぐ後に、南アフリカ国際柔道大会があったので、サバサバ大会の優勝、準優勝コンビのハマディ・シャーメ選手アリ・ジュマ選手、そしてザンジバル柔道連盟会長であり、タンザニア柔道ナショナルコーチである島岡強代表マネージャーの私4人は、ザンジバルに帰らずそのままダルエスサラームに残り、7月1日に南アフリカ航空で、ジョハネスブルグに向かったからです。

サバサバ大会終了後、出発までの2日間のダルエスサラーム滞在で、ダルエスサラームにある道場に行って調整をすると同時に、本土の柔道クラブの面々に直接稽古をつけることができ、よい機会でした。
(←写真は、ダルエスサラームにある道場での練習風景)

 
ただ、出発前日の稽古で、ハマディ・シャーメ選手が脇腹を痛め、不安材料を抱えての出発となってしまいましたが、何はともあれ、昨年の雪辱を果たそうと気合を入れての南アフリカ行きとなりました。
 南アフリカ国際柔道大会での様子は、次回の便りでお伝えしますね。
 では、今日はこのへんで。
 GOOD LUCK!!

                       by島岡 由美子
 


ページTOPへ戻る
タンザニア便り目次へ