東アフリカ、タンザニアの初代大統領。タンガニーカ西部の小村ブティアマで、ザナキ族の首長の息子として生まれた。
タボラ高等学校を経て、1943‐45年ウガンダのマケレレ大学に在学、教育学の免状を得た。
卒業後タンガニーカに戻り、カトリックのミッション系高校で教えた後、49年イギリスに留学、エジンバラ大学より文学修士号を得て52年帰国した。
53年タンガニーカ・アフリカ人協会の会長となり、翌年7月,最初の政党タンガニーカ・アフリカ人民族同盟(TANU)を創設して党首となった。その後活発に民族主義運動を推進し、TANU
を強力な全国組織に育て上げ、61年のタンガニーカ独立時には首相となった。
翌年大統領制がしかれると初代大統領となり、64年ザンジバルとの合邦をまとめ、67年のアルーシャ宣言は彼の筆になるといわれる。アフリカ社会主義路線を明確化し、農村の社会主義化を目標とするウジャマー社会主義を推進(ウジャマーはスワヒリ語で家族とか友愛の意)。85年大統領をムウィニに譲り引退。
知性と清潔な人柄、巧みなユーモアをもち、〈ムワリム(先生)〉の愛称で国民に親しまれた。
著書に『解放と統一』(1969)、『解放と社会主義』(1969)、『解放と開発』(1973)がある。
(平凡社「世界大百科事典」吉田 昌夫、小学館「日本大百科全書」林 晃史を参考にしました)