TANZANIA便り 2003.2+4

*この便りはトロワ・タンザニアのMUNAWARさんからのものです。
MUNAWARさんはザンジバルに住む30代の女性です。MUNAWARさんへのメールは
こちらまで


便り55 名もなき果実、パイナップル!(2003.2.3)
便り56 エンバシードクター柔道杯2003(2003.4.4)


便り55 名もなき果実、パイナップル! (2003.2.3)



ジャンボ! アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?

ザンジバルは風のシーズン。そのため、波も荒く、海の仕事をする人には厳しい季節。ザンジバル−ダル・エス・サラーム間の船も、今が一番揺れる季節なので、揺れないと評判の船は、連日満員です。

さて、ザンジバルでは、今の季節、パイナップルがとっても甘くて美味しいので、我が家では、このところ毎日食べています。

私の住むザンジバルはもちろん、アフリカフェの故郷ブコバも、パイナップルの産地。また、キリマンジャロのふもとの町モシから首都のダル・エス・サラームまで電車に乗ると、途中で広大なパイナップル畑があって、ひたすらパイナップル畑の景色を見ることになります。といった具合に、パイナップルは、タンザニアの各地で栽培されています。
 
日本で食べる生のパイナップルは、数切れ食べると、口の中が痛くなってきますが、ザンジバルのパイナップルはそれがなく、何切れでも食べられます。しかも、芯まで甘く、全然すっぱくないんですよ。こんなに甘いのなら、缶詰なんて必要なし! というくらいです。

ところで、「パイナップルは黄色」というイメージがあると思いますが、花の後にできてくる、まだ生まれたてのパイナップルは、真っ赤だってこと、ご存じでしたか?



それが、だんだん大きくなるに従って、赤みがとれて、緑色になっていき、立派な冠をかぶった大人のパイナップルに成長し、その後、熟れるに従って、黄色く色づいていきます。

また、パイナップルの葉は、一つひとつが大きく、剣状で、硬いだけでなく、おまけにとげまである長い(30cm〜50cm)葉で、中心にある実を被い囲うような形状は、王様を守るために、鎧で身を固めた騎士のようです。

大きく強そうな騎士を下に従え、つやつやの緑の王冠を頭に乗せて、誇らしげになっているパイナップルの姿は、なかなかのものです。

そして、それとは対照的に、まだ小さな小さな、真っ赤な赤ちゃんパイナップルが、立派な騎士たち(葉)の間に、ちょこんとなっている様子は、とってもかわいらしいものですよ。

ところで、パイナップルは、松かさ(パイン)に似た形状と、りんご(アップル)に似た味(似ているかな?)というところから、合わせて「パイナップル」という英名がついているのですが、学名 Ananas comocucから、別名アナナスとも呼ばれるパイナップル科の常緑多年草で、スワヒリ語では「ナナシ(NANASI)」と呼ばれています。

世界中に名が知れ渡っているパイナップルをつかまえて、「名なし」はないんじゃない? と思うのですが、タンザニアの人々にかかっては、そんなこと一向にお構いなしのようです。



「名前のないくだもの、なーんだ?」
「答えは、ナナシ!」(名無し⇔パイナップル)
というなぞなぞを考えたのですが、これは、日本語とスワヒリ語の両方を知らないと、全然通じないですよね。残念!

冗談はさておき、パイナップルには、ビタミンB、Cはもちろん、カロチン、カルシウムやカリウムも含まれています。その上、果汁中には、タンパク質分解酵素ブロメリンが含まれているので、肉類の消化を助けます。おいしくて、栄養もあって、消化も助けてくれるパイナップル、特に肉類の多い食事の後のデザートにおすすめです。

そうそう、おすすめといえば、「GOLDEN AFRICAN JAM(ゴールデン・アフリカン・ジャム)」の、パイナップルジャムもおいしいですよ。

これは、タンザニアの中で採れた新鮮な果物を素材に、着色料や香料を一切使わず、昔ながらの手作り製法で作られているジャムで、マンゴー、パイナップル、ミックスフルーツなど数種類ありますが、どれも、普通に市販されているジャムより、ずっとさっぱりしていて、いい甘さです。

私は、特に、この中のパイナップルジャムが気に入っていて、パンに塗るだけでなく、ヨーグルトに混ぜたり、冷たい水に溶かして、即席パイナップルジュースを楽しんでいます。

皆さんも、いつかタンザニアにいらしたら、生パイナップルだけでなく、「ゴールデン・アフリカン」印のパイナップルジャムも、味わってみてくださいね。

それでは、今日はこの辺で。日本は、寒い日が続いているようですが、風邪などひかないよう、気をつけてください。

GOOD LUCK!! 
ムナワルより


便り56 エンバシードクター柔道杯2003 (2003.4.4)



ジャンボ! アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?
ザンジバルは暦どおり大雨季に入り、連日雨が降っています。

さて、今回は、雨季直前の青空の下、3月15日にザンジバル武道館で開かれた通称エンバシードクターカップこと、JAPANESE EMBASSY DOCTOR JUDO CUP 2003(現地の新聞)の様子をお伝えしましょう。

この柔道大会は、在タンザニア日本大使館の前医務官である川原氏が、ザンジバル柔道の発展のためということで、自ら勝者、参加選手に賞品を出して、2001年にザンジバル柔道大会を発起したことから始まったものです。

今回は、川原氏の後任の医務官である宮武氏が、後を引き継ぐと同時に、大会主旨をザンジバル内だけではなく、タンザニア柔道発展というところまで広げ、タンザニア本土のチームも招き、無差別でタンザニア1を決定する全タンザニア柔道大会として、ザンジバル柔道連盟主催、後援日本大使館医務官宮武氏ということで開催されました。

ここ数年のタンザニア柔道大会には常時参加していたモシの警察チームは、今回は警察内でのスケジュール調整が難しいとのことで出場を辞退。代わりに、初めてアリューシャから5人、ダル・エス・サラームから9人、ザンジバルから10人、総勢24人でトーナメントを組みました。

今大会の最大の焦点は、全ポーランド大会にも出場経験のあるポーランド人ジョセフ選手が、ダルチームの一員として特別参加しており、彼をザンジバル勢がどこで阻むか、ということでした。ザンジバル勢は、一回戦から順当に勝ち進み、ベスト4の3人がザンジバルの3強、そして、予想どおりポーランドのジョセフ選手がベスト4入りしました。

準決勝第一試合。サバサバ柔道大会の覇者、64kgの小兵アリ・ジュマ選手が、時間一杯戦う中で、有効ポイントとなった内股が決め手となってポーランドのジョセフ選手(79kg)を倒し、もう一つのブロックでは、怪我をしながらもベテランのアブダラ(79kg)選手が一本勝ちで決勝へ進みました。

ここで、今年になって新しくザンジバルの3強に入ったハマディ・シャーメ選手(71kg)と、ポーランドのジョセフ選手との3位決定戦となりました。この試合は今大会一番の大激戦となり、両者一歩も引かない白熱の攻防と共に、西洋人とタンザニア人の戦いということで、会場が大いに盛り上がりました。



両者ともポイントのないまま後半に入り、3分を過ぎた頃から、ジョゼフ選手に疲れが出てきたのに対し、ハマディ選手はさらに動きに精彩が加わり、4分30秒、裏投げで見事に一本を決め、3位に輝きました。

勝負が決まった瞬間、ハマディ選手が立ち上がってガッツポーズを上げ、500人を超える観衆が大歓声と拍手を送り、ザンジバル武道館は興奮の坩堝と化し、それは、今大会で一番感動的なシーンでした。

決勝は、ザンジバルのアブダラ選手とアリ・ジュマ選手になりましたが、お互い手の内は知り尽くしている同士、技が出ず、5分間戦ってポイントがなく、旗判定となり、2-1でアブダラ選手が優勝を勝ち取りました。

今回も、結果的にはザンジバルの1、2、3位独占となり、ザンジバル勢の圧勝となりましたが、実力のあるポーランドのジョゼフ選手が試合に加わったことで、今までのどの試合よりも盛り上がった大会となりました。

また、今大会は、宮武ドクターが賞品を奮発し、上位陣には、カラーテレビ、携帯電話、ミシン。技能賞、マウンテンバイク、敢闘賞、腕時計。参加選手は全員に壁時計と大変充実していたので、上位陣はもちろんのこと、参加者全員とても喜んでいました。

そして今回は、土曜日の夕方におこなわれたということもあって、ザンジバル武道館は大入り満員。ザンジバルではだいぶ柔道が浸透してきたので、観客もレフリングに沿って沸いたり、寝技の攻防をシーンと見守ったりとマナーがよく、選手と観客が一体化して大会を盛り上げる形となりました。



優勝したアブダラ選手は、1998年に日本で黒帯を取得し、長年ザンジバル柔道界を引っ張ってきた選手ですが、このところ、優勝から遠のいていました。しかし、今大会には早々と優勝宣言して、まじめに練習に取り組んでいました。大会当日は、アブダラ選手の子供4人がずらりと一番前のゴザの上に陣取り、「パパ、がんばって!」と大きな声で応援する姿が印象的でした。

アブダラ家では、ドクター柔道杯優勝のお祝いと、テレビの披露を兼ねて、近所の人たちを家に招き、ケーキとコーヒーを振舞って、みんなでテレビを観たそうです(ザンジバルでは今でも街頭テレビがあり、テレビのある家には、近所の人が寄り集まってテレビを観るのが当たり前の光景です)。

アブダラ選手の優勝を一番喜んでいたのは、もちろん当の本人と子供たちでしょうが、棚ぼた式で、テレビが観られるようになった近所の人たちも、大いに喜んでいたことでしょう。

技能賞に輝いたムゼー選手は、ザンジバルの道場生の中で一番家が遠く、それが理由で、なかなか練習に来られないのが悩みの種でしたが、得意の内股で、技能賞とともに、自転車を手に入れたので、みんなから、「おいおい、これで、遠いから来れないって言えなくなったな」とからかわれていました(ちなみに、彼の家は、自転車でも片道1時間かかるところなんですけどね・・・)。

ムゼー選手いわく
「2回戦でポーランドの選手に負けてしまったので、こんな賞がもらえると思ってませんでした。ずっとほしかった自転車がもらえたので、うれしかったです。今度は、もっとがんばって、妻のためにミシンを持って帰れるよう、がんばります」

今大会のヒーローは、なんといっても、3位決定戦で実力派のポーランド選手を相手に、最後の最後まで全力を出し、見事一本勝ちを決めたハマディ・シャーメ選手でした。ハマディ選手は、くまのプーさんのような穏やかな風貌と体型で、いつもにこにこしているので、普段は、この人、どこにファイティングスピリットがあるの? といった雰囲気なのですが、試合では別人になって、どんどん前に出る攻撃柔道で、会場を大いに沸かせてくれました。

このハマディ・シャーメ選手も、まだザンジバル武道館ができるずっと前からのメンバーなのですが、5年前、青空道場での練習中に、右ひじを脱臼。見事なほど逆向きにひっくり返った自分の腕を見て、パニック状態となり、それ以来、怪我は治っても、復帰できないまま、数年が過ぎていました。

1年半前、突然「また柔道がやりたい」と復帰してきたとき、誰もが、「あいつは、怪我の恐怖がしみついているから、復帰してもものにならないだろう」と思っていたのですが、そこからハマディ選手の復活ロードが始まりました。

誰よりも早く道場に来て、後輩に混じって掃除をし、ひまがあれば打ち込みに専念。でも、なかなか一本技が身につかず、万年中堅どころに甘んじており、上位陣に入ることができませんでした。しかし、去年の5月頃から自分の体重をうまく利した「大内刈り」と「支え釣り込み足」をマスターしたことから、一本をねらう柔道ができるようになり、ぐんぐん勢いがついてきていました。

ドクター柔道杯の翌日、またいつもの「くまのプーさん顔」で道場の掃除をしているハマディ選手に、大会の感想を聞いてみました。
「3位決定戦での勝利の味は、今まで経験したどんなことよりも最高の味でした。スタミナには自信があったので、最後の最後まで動いて攻めようと思っていました。今度は、ぜひ優勝の味を経験したいです」

閉会式は、賞状と賞品授与の後、宮武ドクターからの「私の出身地は、日本の中の九州という島にある福岡という都市です。福岡では毎年『福岡国際柔道選手権』という世界大会が開かれています。将来、このザンジバルでも福岡のように、国際的な柔道大会が開かれるようになっていくといいですね。その日が来るように、これからもがんばってください」というスピーチで、締めくくられました。
大会に参加した本土の選手たちも、口々に、「次の大会では、俺たち本土組が入賞できるよう、練習を積んできます」と力強い言葉を残して、元気に帰っていきました。これからのタンザニア柔道の行方にご期待ください!

ということで、今日は、3月15日にザンジバル武道館で開かれた柔道大会の模様をお伝えしました。
それでは、次回のお便りまでお元気で。
GOOD LUCK!! 
ムナワルより



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