パート1.「ムタンゴ大使ってどんな人?」
パート2.「アフリカフェプロジェクトについて」
パート3.「ムタンゴ大使のお国自慢」
大使からのアフリカフェ推薦状
***ムタンゴ大使のお国自慢***
Q30.ムタンゴ大使にとって、タンザニアのどういうところがご自慢ですか?
大使:私が胸を張って自慢できる点は4つあります。
第1に、タンザニアは、歴史的にみても、アフリカ、アラブ、アジア、の中継点であり、特にザンジバルという独特の文化を持つ国も連合されているため、本当にさまざまな文化が交じり合った国というのが最大の特徴なのですが、そういった、さまざまな文化の集合体でありながら、長年平和を保っているというのが、わが国一番の自慢です。
第2に、文化もさまざまなら宗教もさまざまで、イスラム教、キリスト教、その他の原始宗教、いろいろありますが、宗教的な差別がないということも、わが国の誇りです。
第3に、皆さんご存じの大自然です。そして、この大自然を破壊せずに、これからも人間と自然とが共生していけるように、国土の4分の1が自然保護地域となっています。この自然のすばらしさと共に、自然を守る姿勢も、誰に対しても、胸を張って自慢できることですね。
第4に、マコンデ彫刻、ティンガティンガ等を初めとする芸術や文化です。タンザニアには、世界に誇れる芸術文化がたくさんあります。
もちろん、まだまだ国の自慢はありますが、一応この4点にしておきましょう。
Q31.今はタンザニアという国全体の質問でしたが、大使ご自身の出身地はどこですか?
大使:ムアンガという村で、緑が多く、山々に囲まれた美しく涼しい農村です。キリマンジャロの麓ですが、モシ地方とは反対側です。
私の村にもコーヒー農園があって、私の父親は教師でしたが、私自身、収穫の時期には、コーヒー摘みの作業を手伝ったこともありますよ。
Q32.その村は、何族の村ですか?
大使:私の村は、パレ族です。パレ族の特徴は、とても人がよくて、食事中に人がきたら、どんなに量が少なくても、必ずその客に食事を差し出すのが慣わしです。
Q33.アフリカフェの里、ブコバはハヤ族の街ですが、ハヤ族も国境の部族だけあって、とてもフレンドリーで、客を迎え入れる習慣のある部族と聞いています。
大使:ハヤ族は、食事中に人がきたら、まず自分たちだけで食べて、そのあとで余裕があれば食べ物を差し出す、私たちパレ族は、どんなに食べ物が少なくても、それを相手に分け与える、そこが違うところです(笑)。
Q34.ブコバでの主食は、バナナ、私の住むザンジバルでは米ですが、他の内陸部ではウガリが多いようですが、大使の故郷での代表的な料理は何ですか?
大使:マカンデという食べ物です。マカンデとは、とうもろこしと豆の煮込みに、トマトや肉や青菜のシチューをかけた料理です。
仕上げにサワーミルクをかけるのですが、このマカンデよりも美味しいものはないですよ。私の村では、この料理を、毎日毎日食べます。米は、クリスマスの日にピラウを炊くぐらいですね。マカンデさえあれば毎日飽きませんから。
Q35.大使自身のお国自慢はどんなところでしょうか?
大使:私たちパレ族は、先祖代々、手が器用なことで有名で、白人が入植してくるずっと昔から、初めは簡単にできる木製のさじや器、しゃもじなどを作り始め、そのうち、自分たちで鉄製の農耕具やさまざまな器具を作るようになり、それを他の部族と交換して暮らしていました。
マコンデの彫刻は、昔から儀式に使ったり芸術としてのもので、生活器具ではありませんが、私たちたち先祖パレ族が作っていたのは、生活器具であり、そういったもの作り出す才能が、我々パレ族にはあったのです。
だから、パレ族には今でも器用な人がたくさんいるんです。それが、私の故郷自慢というか、我々パレ族の誇りです。
Q36.鉄製器具というと、入植してきた白人から広まったという印象がありましたが、違ったのですね。
大使:白人が入植してくる前から、アフリカには、鉄製器具を作り出す技術を持った部族もあったのです。
そして、地図上で、大国によってアフリカが分割されるまで、そういった、さまざまな特色を持った部族そのものが、今でいう国そのものの機能を果たしていました。
入植した白人たちは、自分たちの国からの製品である鉄製器具を売りつけるのに、鉄職人がいては邪魔ということで、パレ族の鉄職人を片っ端から捕らえ、腕を切りおとしました。
Q37.そういった先祖にまつわる話を、大使は誰からお聞きになったのですか?
大使:小さい頃から、村の老人や親に聞いて育ちました。私の故郷では、あるときは外にござを引いて、あるときは家の中で、子供たちは常に、大人たちの話を聞いて育ちました。
大人たちが語る昔話の中には、先祖からの歴史、勇敢に村を守った戦士達の武勇伝、家系にまつわること、そして、男として、女として、人間としての生き方・・・すべてが織り込まれていました。
Q38.例を出していただけますか?
大使:昔は、男の生き方と女の生き方が、決定的に分かれていました。
女は、子育てと家を守るために生きる。そしてそのためには、女同士で生活共同体を作り、水汲みから食事作りまで、それぞれの役割分担を決め、子供も、個人ではなく部族の子供としてみんなで共同で育てました。
一方、男の役割は、部族の平和を守ることでした。
そのためには、時には戦士として、他の部族や、動物と戦わねばならないこともあり、そのときにはどうしたらいいのか、また、マサイ・エイジで有名な、同年組といった制度が、私たちパレ族にもあり、何歳になったら、何をして、何歳になったら成人式をして・・・という節目節目に、男として通過しなくてはならない取り決めがたくさんありました。
そういったことを、私たちは、小さい頃から聞き育ったのです。
Q39.今の子供たちも、そういった伝承を聞きながら育っているでしょうか?
大使:今は、そういった口頭伝承が急速に廃れつつあります。現に私自身、たまたま今日はあなたから聞かれたからいろいろ思い出しましたが、普段は記憶のすみに眠っていることばかりですから。
Q40.日本でも、少し前までは、子供たちは、大人たちから昔話を聞きながら、育ちました。しかし、急速なマスメディアの発展で、そういったことはすべて過去のものとして、忘れ去られているのが現状です。
大使:今思えば、昔話の中には、昔の人の生きる知恵や、歴史、文化、大切なものがたくさん詰まっていたと思います。
私は、学生時代から、各地の昔話に大変興味があるので、きょうは、大使の故郷のお話をお聞きすることができ、とても楽しかったです。どうもありがとうございました。
ムタンゴ大使、とても有意義で、かつ楽しいお話をたくさん聞かせてくださり、どうもありがとうございました。アフリカフェプロジェクト、これからも、ますますはりきって進めていきます。またお会いできる日を楽しみにしております。
AHSANTE SANA NA TUTAONANA.
ザンジバルにて、BY MUNAWAR