TANZANIA便り 2003.5+6

*この便りはトロワ・タンザニアのMUNAWARさんからのものです。
MUNAWARさんはザンジバルに住む30代の女性です。MUNAWARさんへのメールは
こちらまで


便り57 ザンジバル ヤングスターズ 柔道杯2003 (2003.5.6)
便り58 モーリシャス国際柔道大会 (2003.6.3)

便り57 ザンジバル ヤングスターズ 柔道杯2003 (2003.5.6)



ジャンボ!
日本は、ゴールデンウィークの真っ最中ですが、皆さん、いかがお過ごしでしょうか? ザンジバルは、雨季の後半に入りました。雨季前半は、雨が異常に少なかったので、後半にはたっぷり降ってほしいと願っている今日この頃です。

さて今日は、4月13日にザンジバル武道館で開かれた、初めての公式少年柔道大会「ザンジバル ヤングスターズ 柔道杯2003」の模様新聞記事へ)をお伝えしましょう。

ザンジバル武道館は、昨年4月15日の落成式以来、満1年がたちました。これを記念して、去年の落成式と同時期にザンジバル柔道連盟主催で開かれたのが、このザンジバル少年柔道大会です。

参加選手は、6歳から15歳までの柔道ボーイズ、総勢30人。背の低い順にずらりと並んで、勝ち抜き戦を行い、勝ち星の数を競い合いました。

青空道場からの子供達は、曲がりなりにも試合を経験したことがありましたが、武道館設立後に入門してきた子たちにとっては、柔道の試合は生まれて始めての経験でした。

ということで、大会の2週間前から、入退場を含めて試合形式で練習をしてきたのですが、全体的に、勝負に対する執着心というものが感じられず、少し技をかけられるだけで、全然粘らずにあっさり転がってしまう子、そして、負けてもまったく悔しがらずに、ニコニコしている子が多く、観ていてものたりなかったのですが、大会当日は、さすがに子供心に「負けてたまるか」という気持ちが芽生えたようで、お互いに踏ん張り、練習中ならあっさり決まってしまっていた技も、なかなか決まらず、なかなか白熱した試合になりました。
 
こういう場合、日本の子供だったら、「顔を真っ赤にしてがんばりました」となるところですが、ザンジバルの子供達は元々色が黒いので、顔が赤くはなりませんが、みんな精いっぱい力を出して、がんばりました。

子供たちが力を尽くしてぶつかり合う姿は、本当にピュアで美しいものですね。そんな子供たちのがんばりに、試合を観に来ていた大人たちも大声援を送り、ザンジバル武道館は、大いに盛り上がりました。
 
来賓のザンジバル教育局局長とタンザニアスポーツ評議会委員を兼任しているウレジ氏も、
「大人の柔道大会は、去年の落成式のときに観ましたが、子供の大会は初めてだったので、子供たちまで、こんなふうに技で競い合えることができるようになっているとは思っていませんでした」
と語っていました。

結果は、青空道場時代から5年間柔道を続けている15歳のハリディ君が優勝(5勝1引き分け)、武道館ができてから柔道を始めた10歳のトワハ君が、5勝1敗で準優勝、青空道場時代からのアザン君15歳が、3勝1引き分けで3位。
 
優勝したハリディ君は、賞品の自転車を手に、
「優勝はしたかったけど、できると思っていませんでした。1試合目に畳に上がったときは、心臓がものすごくどきどきして、わけがわからなくなったけど、2試合目からは、落ち着きました。僕は、もうすぐ16歳になるので、次の少年柔道大会には出られません。最初で最後の少年柔道大会に優勝できて、すごくうれしいです」
と言っていました。
 
3位のアザン君は、ザンジバルの柔道少年の中では、一番技が多彩で切れ、大会2日前のプレ試合のときには、ライバルのハリディ君も破って、順調に勝ち星を重ね、6勝をあげてトップだったのですが、当日はそうはいきませんでした。
 
大会翌日にも、元気に練習に来たアザン君に、試合の感想を聞いてみると、
「いつも練習中にはかかっていた得意の払い腰が、本試合のときは、ちっともかからないので、ちょっとあせってしまいました。やっぱり本試合と練習試合とは違うんですね。僕が3位になったことをママに話したら、とっても喜んでくれて、明日から休まないで柔道に行きなさいって言われました」

優勝したハリディ君と3位のアザン君は、大会前からの優勝候補だったのですが、2位のトワハ君は、練習は熱心に来ていたものの、目立たない存在で、まさか5人も勝ち抜くとは、誰も予想していませんでした。でも、当日は、最近覚えたばかりの一本背負いが面白いようにかかり、見事5人抜きを達成しました。

トワハ君は、
「背負い投げができるようになって、すごくうれしいです。僕は、武道館だけはなく、家でも兄弟3人で柔道の練習をしています」
と言っていました。

トワハ君は、3人兄弟の真ん中。実は、この兄弟、3人とも柔道をやっているんです。上から、5年生のセイフ君、3年生のトワハ君本人に続き、末っ子は、ザンジバル ヤングスターズの中で1番のおチビちゃん、1年生のムルディン君です。

日本柔道の3兄弟といえば、兄弟3人そろってオリンピック出場を果たした中村3兄弟が浮かんできますが、この「ザンジバル柔道3兄弟」も、将来は、ぜひ兄弟そろって活躍できる選手に育ってほしいものです。


 
島岡コーチによれば
「日本には相撲という文化があるので、何も知らない子供同士でも、自然に組み合って、互いに踏ん張ったり、腰や膝を使って相手を投げたりするが、ザンジバルには、肌を合わせて組み合う文化がないので、初めての子供たちは、棒立ちで、ただ腕で直線的に押し合っているだけというところが、日本の子供とザンジバルの子供の違いである」
「ザンジバルの子供たちには、とにかく、背負い投げ、大外刈り、大腰といった基本的な立ち技と、どんな体勢に入ったら押さえ込みで、どの体勢からは押さえ込みが「解け」になるのかといった寝技の基本を徹底的に教えると同時に、相撲の稽古を取り入れ、相手と組み合ったら、とにかく踏ん張り、簡単に倒れないこと、そして、押したり引いたりする中で、相手のバランスを崩していくことを経験させながら、育てていくつもりだ」
とのこと。

ザンジバル柔道、少年の部は、これからが本番です。
 
それにしても、子供たちには、「未来」という言葉がぴったりですね。悪がき&ジャガイモ君揃いのヤングスターズの面々が、この日はとってもかっこよく見えました。
ザンジバル ヤングスターズの未来に乾杯!

BY ムナワル

便り58 モーリシャス国際柔道大会 (2003.6.3)



ジャンボ! アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?

ザンジバルは雨季後半になって、やっと雨が降り出し、例年なら終わっている雨季がいまだに続いています。

私のほうは、先月、今回タンザニア柔道チームとして初めて参加した「モーリシャス国際柔道大会」で、モーリシャスに行ってきたので、今日は、そのことを書こうと思います。

5月10日、11日に行われたモーリシャス国際柔道大会は、行く前に想像していたより遥かにレベルが高く、近隣国としては、南アフリカ、マダガスカル、レユニヨンアイランド等から10人から30人といった国を代表するチームが詰めかけ、その他、フランス政府がすべての資金を出し、アフリカ全土から選りすぐって、モロッコで何カ月も合宿生活をしているアフリカ選抜チーム(モロッコ、カメルーン、リビア、ニジェール、アルジェリア、セネガル、コートジボアール、アンゴラ、ギニア)がこの大会の主役で、我々タンザニアの選手2人は、人数といい、国際舞台に慣れていないことといい、どう贔屓目に見ても、弱小チームであることは否めませんでした。



肝心の試合は、遠征前から島岡コーチがもっとも危惧し、口がすっぱくなるほど彼らに言っていた
「国際試合は、相手と組んだら、すぐに技をかけないと、反則ポイントを取られるので、相手よりも先に先に技をかけないと、反則ポイントで負けることになる」という言葉どおりになり、60kg以下のアリ・ジュマ選手も、73kg級のハマディ・シャーメ選手も、組み手負けしているうちに、攻める姿勢が足りないという反則ポイントが重なり、一回戦敗退。

敗者復活戦でも、同じように、自分たちの柔道ができる体勢がとれないまま敗退し、残念ながら、チームとして一勝を収めることもできませんでした。

島岡コーチによれば、敗因は
A.いつも国内試合で、手の内を知っている相手との試合ばかりで、外国との試合経験がないため、組み手が甘く、相手に先に組み手を取られて、先に技をかけられ、反則ポイントをとられる。
B.Aのように、どんどん反則ポイントを取られるため、精神的にあせり、それを取り返そうと、大技をかけようと無理に前に出たところを投げられる。
また、タンザニアチームにとって、一番の課題は、組み手の甘さを克服することだそうです。
 
試合後には、朝夕2回、4日間のトレーニングキャンプがあり、いつも国内で同じ相手とばかりやっているタンザニアの2人にとっては、各国の代表メンバーとじかに練習できるまたとない機会でした。

これをきっかけに、国際試合に通用するようなスタイルを身に付け、モーリシャスに行った2人がザンジバルやタンザニア本土の選手たちにもそれを伝えて、全体のレベルアップにつながるといいなあと願っています。そして、次回こそ、悲願の国際試合での一勝を挙げて、タンザニアに帰ってくることができるようにというのが、我々タンザニア柔道チームの目標です。

さて、ここモーリシャスは、インド洋の西方、アフリカ東端のマダガスカル島からさらに約900kmも東。南回帰線近くに位置し、大きさは東京都ほど。地図の上で見ると、ここもアフリカなの? というくらいアフリカ大陸から離れた場所に浮かぶ島(ちなみに、モーリシャスから南方には、南極に至るまで海が続き、陸地は1つもありません)。

1300万年ほど前、海底噴火の隆起によってできたと考えられている火山島で、その地理的条件や経済的発展、そして美しい自然から、「インド洋の貴婦人」と呼ばれている、珊瑚に囲まれた美しい島です。

今回のモーリシャス国際柔道大会は、参加国15カ国で、そのうち英語圏は、タンザニアと南アフリカの2カ国、後はすべてフランス語圏ということで、大会前のルール説明や当日の大会アナウンスも、書類もほとんどがフランス語なので、少々戸惑いました。

参加選手も、我々タンザニアチームと南アフリカチームをのぞいて、互いの国や肌の色は違っても、全員フランス語でコミュニケーションをとっていたので、なんだか不思議な気がすると同時に、あらためて、アフリカの「植民地」としての歴史を感じました。

ここで、モーリシャスの独立までをざっと追って書いてみましょう。

モーリシャスはもともと無人島で、10世紀にアラブ人が初めて地図に記載したとされています。最初の上陸者は、ポルトガル人でしたが、彼らはマラッカ航海の食料補給基地としてこの島を利用していただけで、17世紀に入って、本格的に植民を始めたオランダ人によって、「モーリシャス」と名付けられました。オランダ人は、約40年の植民の間に、モーリシャスにサトウキビ、奴隷、鹿をもたらすと同時に、黒檀の森と、飛べない巨鳥で有名な「ドードー」を絶滅させてしまいました。

次にフランスがモーリシャスを占領し、「フランス島」と改名。19世紀初頭のイギリスとの戦争では重要な戦略的拠点となりました。その後、インド洋に南下したイギリス軍はフランス軍を破り、1810年、モーリシャスはイギリスの支配下に置かれます。1968年、モーリシャスはイギリス連邦下の一国として独立。1992年3月12日、イギリス連邦に所属しながら共和国となりました。
(注:モーリシャスは小さい島ながら、れっきとした独立国ですが、モーリシャスのすぐ下に浮かぶレユニオンアイランドは、いまだにフランスの外国県なので、レユニオンの人たちは、フランスパスポートを持つフランス人です)

ところで、モーリシャスは、フランス支配下の後、150年以上もイギリスの支配下だったのに、現在までフランス語圏となっているのが、不思議だと思いませんか?

私にとってこれが、モーリシャスに行く前から「モーリシャスの不思議」の1つだったのですが、これには、フランスを破って入植したイギリスが、モーリシャス人の信頼を得るため、フランスの文化・習慣を尊重する方針をとったことが大きく影響しているそうです。だからモーリシャスは、今でも、言葉を含めてあらゆる面に、フランスの影響が強く残っているのだと知って、やっと納得がいきました。

また、モーリシャスは、イギリスの植民後、サトウキビ栽培が軌道に乗り始めたことに伴い、クレオールの祖先にあたるアフリカ系、奴隷廃止後にはインド系の移入が本格化すると同時に、中国系も労働者や商人として定住するようになり、総人口115万人のうちインド系(68.3%)、混血のクレオール系(28.5%)、中国系(3.2%)、白人系(1%)と、アフリカ、アジア、フランスが色濃く混ざり合って構成されています。

市場には白菜やねぎ、豆腐のほかに焼きそば用の麺があちこちで売られているかと思えば、食堂にはカレーにバジア、ラッシー(インド風のヨーグルト)とインド料理に並んで、中華料理が当然のようにメニューに入っていて、「えっここアジアだっけ?」という錯覚に陥るほどアジア的な部分。



それにまた、フランス文化が混入して、あちこちでおいしいフランスパンやチーズが売られていたり、アジアそのものの顔の人たちが皆フランス語を話し、背は低めでスタイル抜群のモーリシャス美人が、フォークで上手に焼きそばを食べていたり・・・。

モーリシャスと同じように、インド洋に浮かぶ島、ザンジバルに住む私ですが、ここザンジバルは、アラブとアフリカが交じり合った島で、アジアやフランス的な雰囲気はまったくないので、モーリシャスでのアフリカ&アジア&フランス混合の情景は、なんとも不思議な感覚でした。

こんなモーリシャスで柔道が始まったのは、まだ独立前の1960年のこと。それから25年後の1985年に、インド洋の島々が集まる競技会で、モーリシャスから初めての金メダリストが誕生したことから、政府が柔道に力を入れるようになり、国民的スポーツに育ってきたのだそうです。

そのときの金メダリスト、ムナワ氏は、当時消防士さん。このインド洋大会での金メダルがきっかけで、国民のヒーローとなり、講道館への柔道留学も果たし、それからモーリシャス柔道連盟の代表として、現在に至っています。ムナワ氏の息子さんも、モーリシャスチームの若手として、今大会に出場していました。

ところで、その昔、このモーリシャスで柔道を最初に教えたのは、漁業会社の派遣でモーリシャスに来ていた日本人なのだそうです。

その後、モーリシャス柔道は、日本、フランスと2大柔道国のバックアップによって、大きく前進してきたのだと聞き、思わぬところで「日本」が登場したので驚きましたが、さすが柔道発祥の国、日本! と思ったことでした。

モーリシャス滞在中、道場に通う大人だけでなく、子供の多さと、子供たちの板についた練習ぶり、市内に柔道着を製造販売しているスポーツ店があることなどから、いかにモーリシャスに柔道が根付いているかを感じさせられました。

それに比べて、ザンジバルの柔道は、まだ10年目。モーリシャスをはじめ、アフリカ諸国でも柔道の歴史は、すでに30年から40年、国際舞台に出場している選手たちは、子供の頃から柔道になじんでいる人たちが多く、それに追いつくのは至難の業だと思いますが、こちらも前進あるのみ。

まずは、国際大会での一勝をめざして、奮闘努力の日々を続けています。
皆さんも、いつの日か、タンザニア柔道の面々が、国際舞台に出てきたら、ぜひ応援してくださいね。
ということで、今日はモーリシャスでのあれこれを綴ってみました。

それでは、次回まで、お元気で。GOOD LUCK!!
BY ムナワル


NO.1「ジャンボ!」(2000.4.15)
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