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母からのみやげ~アフリカの民話

ジャンボ!先日、約2年ぶりにアフリカの民話を復活させましたが、もっと民話を!という嬉しいリクエストにおこたえして、今日は「母からのみやげ」というお話をご紹介します。

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『ハポ ザマニザカレ(むかしむかし、あるところに)貧しい母娘がおりました。
ひどく貧しいながらも、娘のミザはすくすくと育ち、一五になる頃には村で評判の器量よしになり、そのうち富豪の息子に見初められ、ミザは一七で玉の輿に乗ることができました。

 ミザが玉の輿に乗ったものの、母親は、あいかわらず貧しい一人暮らしを続けていました。富豪の息子は、悪い人ではありませんでしたが、とにかく気が利かない男だったので、ミザを里帰りさせたり、母親の元に使いをやって米一キロでも届けてやろうといった気遣いにはすっかり欠けておりました。
ミザは母親の元に行きたくても、夫の許しがなければ外に出ることもままなりません。ミザの結婚以来、母娘は、何か月も会えないままで過ごしていました。

半年ほど経ったある日、母親は、ミザの様子を見に行くことにしました。
しかし、その日の食事にも事欠く貧しい母親には、嫁いだ娘に持っていく手土産一つ用意することができません。しかたないので、母親は、乾いたココナッツの皮を、バナナの葉っぱできれいに包んで持っていきました。
ミザは、久しぶりに母親に会えて大喜び。いそいそと家の中に招き入れました。
そして、母親が渡した土産を開けると、今度は涙を流して、
「ママ、アサンテ サーナ」(お母さん、ありがとう)
「ママ、アサンテ サーナ」(お母さん、ありがとう)
と何度も何度も言いました。
ミザには、この乾いたココナッツの皮が、今、母親の家にある最後の燃料だということが、すぐにわかったからです。
 ミザは、母親が帰ると、その乾いたココナッツの皮に口づけをし、もう一度きれいにバナナの葉で包みなおすと、夫に「母からのお土産よ」と見せてから小部屋にしまって、鍵をかけました。

 その日以来、母親は、数カ月おきに、娘に会いに来ました。
 貧しい母親のお土産は、毎回決まって、乾いたココナッツの皮一つ。
 ミザは、母親が帰ると、決まってその乾いたココナッツの皮に口づけをし、もう一度きれいにバナナの葉で包みなおしてから、さっと夫に見せると、すぐに小部屋にしまって、鍵をかけました。 
 何度かすると、夫は、ミザのそういった態度を不審に思い、あれこれ考えるようになっていきました。
「義母さんが毎回持ってきている土産の中身はなんだろう?
どうしてミザは、土産の中身を俺に見せないんだ?
どうしてミザは、土産をこの小部屋の中に隠すんだ?
妄想が妄想を呼び、
「何かやましいことがあるんだろうか。そうだ、きっと昔の男からの手紙でも受けとっているに違いない」
という結論に達してしまったのです。

 ある日、夫が小部屋の鍵を壊そうとしたので、ミザは必死で止めました。
「お願いですから、この小部屋を開けないでください」
「いや、だめだ!お前は、母さんからの土産と偽って、昔の男と今でも手紙をやりとりでもしているんだろう」
夫は、無理やり鍵をこじ開けると、小部屋に入って、いくつも重なっておかれている土産の包みをつかみ、バナナの葉をむしり取りました。
 中から出てきたのは、干からびたココナッツの皮一個。
 こんなはずはないと、夫は躍起になって全部の包みを開けましたが、中身は全部、干からびたココナッツの皮一つでした。
 「なんだ、このうす汚い、干からびたココナッツの皮は!」
夫が問いただすと、ミザは静かに言いました。
 「これは、燃料に使うための乾かしたココナッツの皮です。裕福に育ったあなたにはわからないでしょうけど、貧しい母の暮らしの中では、たった一つの燃料を確保するのも大変なのです。母は、このココナッツの皮を持ってきてしまえば、その日は何も煮炊きできなくなってしまうのに、毎回、私のためにこうして持ってきてくれたのです。
私には、このココナッツの皮が金のように輝いて見えるので、どうしても煮炊き用に燃やしてしまうことができなくて、こうして宝物としてとっておいたのです」
 そう話すミザの目から涙があふれ、干からびたココナッツの皮の上にぽたりと落ちました。すると、干からびたココナッツの皮が、金のようにきらきらと美しく輝いているのが、夫にも見えてきました。
夫は、ミザの母親のために大きな家を建て、たっぷり米や芋を運んだり、時には肉や魚も運びながら、夫婦でできるだけの親孝行をしながら暮らしました。

今日の話は、これでおしまい。
ほしけりゃ持ってきな。いらなきゃ海に捨てとくれ』

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ザンジバルでは、今でも煮炊に、ココナッツの皮(キフシィ)を乾燥させたものも使います。ココナッツ皮は、燃えるには燃えるのですが、煙がすごいので、できれば薪の方がいいというのが大方の女性たちの意見です。

  ◇ココナッツの実の中身をくりぬいた皮の部分を乾燥させて、燃料にします◇

 ◇何気なく、道端で干されているキフシィ◇

ミザのお母さんは、ココナッツの皮1つでその日の煮炊きをしていたというのですから、その貧しい暮らしぶりが想像できます。

最後に、ミザの夫が、ミザのお母さんへの親孝行として、「時には肉や魚を運びながら」というくだりにご注目ください。
ここでは今の時代でも、おかずなど食べられない家庭がたくさんあります。そんな家庭ではとりあえず、ごはんやウガリ(とうもろこしの粉を熱湯でねりあげたもの)に、肉も魚も入らない、しゃびしゃびのカレースープをちょっぴりかけて食べて、お腹をふくらせます。
そんな環境の中では、その日の食事に、魚や肉が1切れずつでもあるかないかは、とても大きなことです。
だから、話し手のビニョニョおばあちゃんが、この部分を強調したのもうなずけます。

「ミザの涙がココナッツの皮にぽたりと落ちて、あ~ら不思議、ココナッツの皮が金銀宝石に変わりました」ではなくて、「金のように光って見えました」というくだりから、具体的な親孝行の仕方を描写して終わるとは、なかなか現実的なお話ですね。

前回の「心臓と口髭」が突拍子もなく不思議に満ちたお話だったので、今回は、どの時代にも、どの国にもマッチするお話を選んでみました。

不思議な場面やアフリカ独特といった部分が少なく、ご紹介するには、あまりにもスタンダードすぎるかなとも思いましたが、1年ほど前にMY母を亡くした私には、こんなおだやかなお話だからこそ、ほっとできてちょうどいい感じ。

「孝行したいときに親はなし」という言葉が表すように、母の愛を亡くなってからかみしめる結末だとさびしいですが、ミザのお母さんが生きている間に、夫も理解してくれて、夫婦で親孝行できたというところも気にいっているのですが、皆さんは、どのような感想をお持ちでしょうか。

個人的には、ママ、アサンテサーナ(お母さん、ありがとう)という言葉にもぐっときます。
ミザのように、お母さん、ありがとうの気持ちを、伝えられるうちに、いっぱい伝えておくことをおすすめします。

by 島岡由美子