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感動&感涙!『あいたくて ききたくて 旅にでる』小野和子著

50年にわたって、東北の民話を聞き起こしておられた民話採訪者、小野和子さんの『あいたくて ききたくて 旅にでる』を読みました。

民話の原点

民話の原点は、民衆の生の声から。そこにこそ、歴史の表舞台には出てこない、市井の人々の本当の生活と思いがあり、民衆の歴史があるということ、

そして、語りの中で現実的でない不思議な出来事が出てきても、ただの作り話としてとらえるのではなく、その話が本当にあったこと、または、その後ろに比喩されていることを聞き取ることが大切であることも、私の民話の師、かつおきんや先生は教えて下さいました。

この本には、まさにそのことが自然体で綴られ、語り手の方々による、ぬくもりのあるお話とともに、語り部一人一人が、あるときには厳しい、ときには貧しい、ある意味ではつらかった人生の一端をも筆者に語る中で、筆者はそれらを真摯な気持ちで丸ごと受け取り、私たち人生の後輩に、本という形で伝えて下さっています。

民話を志す者の一人として、すばらしい民話先輩の御本にめぐりあえて幸せです。

久々に、感涙しながら本を読みました。

どの章でもうなずいたり、発見があったり、そうなんだと思ったり、いっぱい感じるところがありましたが、少し書き出しておきます。

第4話かのさんのカロ、第5話はるさんのクロカゲは、厳しい生活の中で一緒に苦労をともした犬と馬のエピソードが書かれています。

ペットブームで、犬猫は家族となって久しいですが、本に出てくる実在した犬のカロや、ウマのクロカゲは、ペットではなく、労働を共にする相棒、同志の存在で、最後はカロもクロカゲも働き過ぎの過労死というつらい最期が訪れます。でもきっと、過酷な労働の日々でも、かのさん、はるなさんだけはかわいがってくれたという思いが、犬や馬の心にも通じていたのでしょう。

語られたのは、かのさん、はるさんの実体験ですが、すでに現代では民話となっています。民話は民衆の生活の中から生まれるということの実践記録でもあると感じました。

第8話 みはるさんの「冬の夜ばなし」

戦時中に弟さんと共に満州にわたり、終戦の引き揚げ時の途中に亡くなられたお母様、遺骨も何も遺らなかったお母様へ、娘としてせめてお母様が語って聞かせて下さった民話を本にして残したいという思いで綴られたみはるさんによる民話集のエピソード。

そこには、東北の河童伝説がでてきます。遠い満州の地で日本に帰ることができないまま亡くなられたお母様、御自身が幼い娘(みはるさん)に語ったお話がこのような形で遺すことができてさぞお喜びのことと思いました。

みはるさんの民話集の中から1篇、河童伝説が紹介されていました。それによると、東北の河童は、尻から手を突っ込んではらわたをえぐり出して殺す というのですから怖いですね!! 

私が学生時代に民話を聞き取りに行った、宮崎の山の奥の村にも河童伝説があって、河童の手(と言われているモノ)が資料館に保存されていたのを見たことがありますが、あの手で馬のはらわたをえぐり出す・・・と想像してぞっとしました。

第10話「捨てる」ということの章でのヤチヨさんと著者のやり取りの場面では、涙があふれれて、なかなかページが進みませんでした。 また、ヤチヨさんが語る「サルの嫁ご」は、タンザニアの「サル女房」との共通項とともにまったく別の考えもあって、とても興味深かったです。

12話 「現代の民話」の章にあった文章がとても印象に残り、両手を挙げて賛同します!

「わたしたちがよく知っているむかしむかしのお話だって、それが生まれたときは、「現代の民話」だったかもしれないではないか。

今こうして生きているあなたやわたしの暮らしがある限り、今日も明日も湧くように生まれ続けているのが、命ある民話の姿なのではないだろうか。

その意味では、わたしもまたかたりべである。」

おおらかな性描写をみんなで笑う

第14話では、なかなか子供向けの本ではとりあげられない、おおらかでユーモラスな性描写が出てくる場面がいくつかありました。タンザニアの民話の聞き取りをしていてもそうなのですが、性は隠されることではなく、おおらかに笑い飛ばす中で語られていますので、そういう感覚は、日本だけではなく、世界共通なんだなと感じました。

しかし、その章では、子のいないおじいさんとおばあさんが、昔話になぜよく出てくるかに言及されており、貧しく、厳しい労働の多い村の生活は、井戸もなく遠い沢まで水汲みにいかなければなりません、老人二人ででは屋根に萱をふくこともできない現実、かろうじて柴かりをして燃料を確保するのがせいいっぱい。そのようなところから、オオカミよりも何よりも怖いのが「古家の漏り」という切実なところから語られたであろう「ふるやのもり」、貧しい生活からどうやってでも抜け出したかったであろう「したきりすずめの」強欲じいとばあ・・・

子どもに恵まれても、働きづめに働いて、子どもたちを育て、年を取ってからは頼ることができるはずだった子供を次々に、病気や戦争で亡くした一人暮らしのおばあさん、・・・などなど、本の中で大勢のご苦労づめの人生のご老人の姿が伝わってきます。

第16話山の民について

では、山の民と呼ばれた人たちの境遇について民話と共に書かれていますが、ここでは、元気な若者でありながら、村の人たちからは異形の者と別扱いされていた人々の姿が浮かび上がります。

貧しい農家の三男坊は、土地も家も分け与えられず、手伝いで独身のまま一生を終えるか、跡継ぎがいな家に婿に入るか、口減らしで奉公に行かされるか、しかなかった当時、自分でサバイバルするために山に入る(猟師や木こりなど)しかなかった人々。 ここに、昔の貧しい農家の厳しいルールが浮かび上がってきます。

昔見た映画「楢山節考」でも、まさに飼い殺し状態の野良男たちが登場していたのを思い出しました。

本の表紙

真っ白で、とてもとてもシンプルな表紙カバーをめくると、暗闇の中に浮かび上がる白い石と、満開のつつじがあり、はっとさせたれました。

カバーをとったのは、本を読んだ後でしたので、物言わぬ石は、苦労の連続で語る言葉をなくされた媼の方々のことや、亡くなられた方々のことを象徴されているのかな、後に続く満開の花は、苦しい現実の中にも、語り合う中でまぎれる心や、人だけではなく一緒に働いた動物たちとの心の通じ合いなどすべてが、民話の土壌となり、後世に語ることで花となっていく・・・ということなのかな・・・と勝手に想像しております。

とにもかくにも、この本に感動し、感涙しながら読了しました。

ぜひ多くの方々に読んでほしいです。

                                  島岡由美子

『あいたくて ききたくて 旅にでる』  小野和子著    出版元: ‎ PUMPQUAKES 2,970円(税込み)

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