トロワ・タンザニアからのTANZANIA便り

*この便りはトロワ・タンザニアのMUNAWAR(島岡由美子)さんからのものです。
MUNAWARさんへのメールはこちらまで


便り64 「タンザニア体重別柔道選手権2004」(2004.4.10)

便り63 「OS柔道コース in タンザニア」(2004.1.13)

便り64 「タンザニア体重別柔道選手権2004」(2004.4.10)


ジャンボ!アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?

日本は厳しい寒さが続いているようですが、ザンジバルは猛暑が続いており、じっとしていても汗がふきだしてきます。

ところで、昨年12月20日から持ち越されていた「SmaSTATION−3」、1月24日は延期にならず、無事ザンジバルのことが放映されたようですね。掲示板や、メールで知らせてくださった方々のおかげで、ザンジバルにいる私たちにもそれがわかりました。ありがとうございました。

皆さんからのお便りを合わせて映像をイメージしてみると、内容は、柔道のことが中心で、昔の写真も使われながら、順を追って構成されていたようですね(写真は、日本にあるのを適当に使ってくださいと渡したので、私には、どれが使われたのかぜんぜんわからないんですけど・・・)。

アフリカフェが登場しなかったとのことで、それだけは残念でしたが、放映内容は、それなりにまじめで、コンパクトにまとまっていたようで、安心しました。8時間ぐらい撮影して、約5分にまとめたんだから、編集する側も大変だったと思います。

さて、私たちザンジバル柔道連盟は、1月24日、「ALL TANZANIA WEIGHT CATEGORY JUDO CHAMPIONSHIPS 2004」(タンザニア体重別柔道選手権)をザンジバルで開催しており、ちょうど日本でスマステーションが放映されている時間は、ザンジバル武道館で熱戦が繰り広げられていました(*日本とタンザニアの時間差は6時間です)。

今回の大会は、ザンジバル、ダル・エス・サラーム、アリューシャ、モシから、総勢42選手が参加し、今までの柔道大会で、最大の大会となりました。(階級は、人数の少ない90kg級と100kg級以外の5つ)
各階級の優勝者は、
60kg級  アリ・ジュマ(ザンジバル)
66kg級  ハキーム・ハッジ(ザンジバル)
73kg級  ムゼー・ムタンガ(ザンジバル)
81kg級  ハッジ・ハッサン(ザンジバル)
無差別級  アブダラ・アリ(ザンジバル)


ということで、最終的には、全階級ザンジバル勢という結果となりましたが、今回は本土のチームも、十分に練習を積んでいたため、それなりにいい試合になりました。

昨年9月、大阪の世界柔道選手権大会に出場したアリ・ジュマは、タンザニア国内では、やはり頭1つぬきんでていて、余裕の全試合一本勝ちを収めましたが、もう1人の世界選手権出場選手、ハマディ・シャーメは、現在台頭中のムゼー・ムタンガに、決勝で技ありをとられて優勢負けを喫し、連続優勝はなりませんでした。

66kg級での初優勝を飾ったのは、ハキーム・ハッジ。
ハキームは、97年に入門した選手ですが、入門当時、それはもうマッチ棒のように細くて、筋肉もろくについておらず、紙のようにぺらぺらな印象で、投げられ放題に投げられていたのですが、投げられても投げられても、無言でむっくり起き上がってくる選手でした。

と書くと、物静かな練習の虫タイプのスポ根青年が浮かんでくるかもしれませんが、このハキームは、極めつけのおしゃべりでおっちょこちょい。

昨年ダルエスサラームで開かれた体重別選手権では、60kg級に参加して準優勝でした。それはいいのですが、彼の場合、減量はうまくいって、試合前日には59.2kgになって安心したのか、計量当日の朝、「減量組は、朝食は計量後」との注意を忘れて、「要体重増量組」と一緒になって、朝食をばくばく(減量組のパンをもらい、スープのお代わりまでしていた)!!

結果は、仮計量で700gオーバー。その後、大慌てで、思いっきり打ち込み&ランニングで大汗流して再び減量するはめになり、パンツまで脱いでやっと本計量パスというお粗末さ。みんなに笑われて頭をかきつつも、あーだこーだと減らず口を叩いておりました。

この減らず口と下唇が出ていることで、島岡コーチがハキームにつけたあだ名は、「ベロンチョ」青空道場時代からの仲間からは、今でも「ベロンチョ」と呼ばれています。

何はともあれ、島岡コーチは、
「入門当時のマッチ棒時代のハキームのことを考えると、よくここまで続いたなあ」
と少々感慨深げですが、当のハキームは、そんなしみじみさとは無関係。あいかわらず「おっちょこちょいな、おしゃべりベロンチョ」として、減らず口をたたきながら練習に励んでいます。

減量といえば、今大会に向けて、3カ月で15kgの減量をやってのけ、昨年のチャンピオン、アブダラ・アリから見事な内股で一本勝ちし、81kg級チャンピオンに輝いたハッジ・ハッサンも、この大会を大いに盛り上げました。

ハッジは昨年の南アフリカ遠征までは、100kg級の選手として95kg以上を常に維持していました。しかし、昨年の南アフリカでの試合や練習で、他国の重量級の選手の力に比べて自分がいかに劣っているか、また、自分の力で重量級としては通用しないということに自分で気づき、自ら81kg級に落とすことを宣言しました。

とはいうものの、15kgの減量ははんぱではありません。初めは水の量を減らすだけで面白いように落ちた体重も、だんだん落ちなくなってきました。

くそ暑いザンジバルで、どんなにスウェットスーツを着込んでランニングしても、柔道着の下にトレーナーを着込んで練習しても体重が落ちない時期がきて、今大会の1週間前になってもまだ3kgオーバーだったときは、ほとんどの人が「ハッジが81kgに落とすのは無理だろう」と思っていました。

が、同じように減量に苦しんだ経験のある60kg級のアリ・ジュマがトレーナーとなって、島岡コーチから伝授された減量メニュー、特に最後は、食事は「ライム汁をかけたパパイヤ」、水分は「水代わりに熱いコーヒー」だけで減量に成功し、計量当日は、見事「80.1kg」で計量に合格。その瞬間、思わずザンジバル勢から拍手が起こりました。

このハッジ・ハッサンは、ザンジバルの警察官。今大会、ザンジバル警察からは、優勝したハッジ・ハッサンと、66kg級で準優勝したバブ・マルズク、73kg級3位のサダラ・ハミシィと3人の入賞者が出たので、警察チームも意気揚々としています。

ということで、ザンジバル勢ばかりの紹介になってしまいましたが、昨年12月のOSコース(便り63へ)の影響で、今大会は、本土の選手も練習を積んで、威勢よく乗り込んできました。中でも、60kg級フセイン・ムペンダ&サンバカ・ムペンダの兄弟選手は、ダル・エス・サラームチームの要として活躍したことをお伝えしておきましょう。



このムペンダ兄弟は、顔、体型だけじゃなく、髪型から声までそっくりなうえに、仕事も揃って同じ工房で家具職人をやっていて、いつも何をやるのも一緒という仲のいい双子の柔道家です。

あんまり似ているので、観客の中には、「同じ選手がまた出ているぞ!」と思った人もいたようで、どちらかが出るたびに会場がざわめき、私たち大会運営側も、「どっちがどっち?」と混乱することしきり。当の本人たちは、またそれを楽しむように、ひげの生やし方までそっくりにしているんですから、お手上げでした。

私は今回、2人をよーく見比べてみたのですが、弟のサンバカ・ムペンダのほうが、ほんのちょっぴり背が高いことに気がついたものの、そのほかは、どうやって見ても区別がつきませんでした。

お兄さんの方のフセイン・ムペンダは、本土で唯一去年のザンビア遠征のメンバーに選抜された選手です。同じ階級にザンジバルのアリ・ジュマがいるので、優勝こそできませんでしたが、本土勢の中で唯一2位の賞状を手にすることができ、とても喜んでいました。

また、今大会は、練習不足を理由に昨年出場しなかったモシ警察チーム、アリューシャチームも参加して、「ALL TANZANIA WEIGHT CATEGORY JUDO CHAMPIONSHIPS 2004」の名にふさわしい顔ぶれと内容の大会となりました。

ザンジバル柔道連盟としては、まず今年初めの国内試合が終わったので、次は、3月中旬にある「モーリシャス国際大会」に照準を合わせています。

タンザニア柔道チームにとって、国際大会デビュー戦が、昨年5月におこなわれた「モーリシャス国際」でした。そのときは、いいとこなしで一回戦敗退してしまったので、今年こそは、1つでも多くの勝ち星を重ねられるよう、一丸となってがんばっています。

ということで、真夏のザンジバルより、タンザニア柔道熱戦レポートをお伝えしました。寒い日本まで、ザンジバル武道館の熱気が届きますように!

それでは、次回のお便りまで、お元気で。
GOOD LUCK!!
ムナワルより



便り63 「OS柔道コース in タンザニア」(2004.1.13)




明けましておめでとうございます。

こうして、アフリカフェHP上で、新年のご挨拶をするのも、4回目となりました。今年もはりきって、タンザニア&アフリカのあれこれをお伝えしていきたいと思っていますので、本年もよろしくお願いします。

さて、今年初めてのタンザニア便りは、タンザニアでおこなわれた初のオリンピック・ソリダリティー・柔道コーチングコースの模様をお伝えしましょう。

これは、別名OSコースと呼ばれ、IOC(インターナショナル オリンピック委員会)の元にあるオリンピック・ソリダリティー(OS)がおこなう事業の一環で、世界各国のスポーツレベルを上げるために、各国のオリンピック委員会(NOC)からの要請を受けたIOCが、各インターナショナルスポーツ連盟と連携して、要請のあったスポーツの専門家を派遣して、おこなわれるコースです。
 
このOSコースの専門家として、タンザニアに来てくださったのは、菅波盛雄7段。



菅波氏は、2000年の5月に国際協力基金派遣によるアフリカ4カ国柔道巡回使節団として、5人の柔道エキスパートが、エジプト、モロッコ、チュニジア、タンザニア4カ国を巡回指導した際の団長さんでもあり、タンザニアの柔道レベルや環境などもご存じなので、今回のOSコースで、エキスパートとして菅波氏に来ていただけたことは、タンザニア側としては、願ってもないことでした。

菅波氏は、OSコースの専門家として各国を回るのは、これで3回目。1回目はパキスタン、2回目はイラン、そして3回目がここタンザニア。

菅波氏にお聞きしたところによると、パキスタンでは、柔道場の設備が整っておらず、トイレやシャワーもない、狭い民家の一室のような道場でOSコースが開かれたそうです。
 
タンザニアには、今でこそ試合場が2面取れるザンジバル武道館がありますから、今回のOSコースも、設備面では問題なくできましたが、ほんの1年ちょっと前までは、こちらも青空道場で稽古をしていたので、パキスタンの柔道環境が目に浮かび、それでも、各国で柔道が愛され、続けられているんだなあと、ちょっとしみじみしてしまいました。
 
さて、ザンジバル武道館でおこなわれたOSコース10日間(12月17日〜26日)、基本的な自然体、礼、受け身から始まり、組み手、体捌き、打ち込み、約束稽古、乱取り、形、ルール説明からレフリングにいたるまで、懇切丁寧な指導と説明で、柔道の技と心をみっちり教えていただきました。

受講者は、もちろんザンジバル勢だけではなく、本土のダル・エス・サラーム、アリューシャの面々や、モシ警察からも参加して、総勢25名。

ザンジバルは今が真夏。とにかく暑く、このOSコースは、まさに「真夏の合宿」だったので、暑さに慣れているザンジバルの面々は別として、本土から来た受講者はほとんど全員必死!で、コースについていったという感じでした。 
 
講義&実技の後には、その日のまとめとともに、菅波氏ご自身の柔道に対する思いと柔道精神について話されました。
 
「私の人生の中には、柔道をやっていたからこそ得たものが、たくさんあります。
たとえば強い精神力と強靭な体、そしてたくさんの柔道仲間や人間関係・・・。
だから、今度は自分が柔道に対して恩返しをしたいという気持ちで柔道を続けています」
 
「それは、日本で後進を育てること、多くの大会を見、大会記録をしっかり残していくこと、公平で正しい審判をして、いい試合ができるようにすること、そして、海外で柔道を一生懸命している人たちに、自分が学んだ柔道の技と心を教えること・・・それが、柔道の基本精神、自他共栄ということにつながっていると思います」
 
受講者との質疑応答で、こんなやりとりがありました。質問したのは、ザンジバル警察の元気者、ハジ・ハッサンです。
「僕たちは、いつか菅波先生のように7段までとれるようになりたいのですが、そこまで上るための秘訣を教えてください」
「秘訣は、柔道をがんばって続けること。練習、練習、練習。それが、秘訣です」
 
ルール&審判講習が終わった日、菅波氏は全員に向かって、こうおっしゃいました。



「皆さんが、一生懸命試合のためにがんばってきて、自分が思う存分力を出して絶対に決めたと思った技を、審判のミスで相手の勝ちにされてしまったら、どう思いますか?」
「審判とは、自分のためにやるのではなく、目の前の選手のために、責任感を持って、細心の注意を払い、全力を尽くしてやるものなのです」
細かいルールや審判としての動作のあれこれに気を奪われていたサレヘが、大きくうなずいて聞いていたのが印象的でした。
 
この菅波氏、国内においては順天堂大学助教授として教鞭をとりながら、柔道の科学的総合的な研究を進めるとともに、柔道部部長として後進育成に励んでおられる一方、30年以上前に、国際協力基金派遣により、インドの柔道コーチ養成所の教官を2年間務めたのを皮切りに、柔道巡回使節団として、海外での巡回指導、また、3回にわたるOS柔道コースのエキスパートとして・・・等々、海外での柔道普及に尽力されています。
 
タンザニア・オリンピック委員会のグラム会長も、柔道の普及のために2回もタンザニアまで来てくださった菅波氏に大変感謝しており、コース期間中、何度もザンジバル武道館に見に来ていました。
 
今回は、タンザニア柔道の代表として受け入れ側に回った島岡コーチも、
「菅波団長のおかげで、柔道家は、技の鍛錬だけでなく、打ち込みをはじめとする基本練習から始まって、形、レフリングといった総合的な実力を身につけることが大切であるという認識を彼らに持たせることができたことが、一番大きかった」と言っていました。
 
ということで、タンザニア初のOS柔道コースが無事終了し、菅波氏が帰国された後も、ザンジバル武道館では、菅波氏から学んだメニューも織り交ぜ、一同はりきって練習を続けています。
 
昨年9月に、大阪で開かれた世界柔道選手権大会に参加したアリ・ジュマ(60kg級)は、日本で覚えてきた「ガンバッテ!」を連発しながら練習に励んでいます。(自分ががんばるときは、「ガンバルゾ!」なんですけどね) 
 
京都府警での猛練習で、耳が腫れ上がり、11月ぐらいまで「痛い!痛い!」と大騒ぎしていたハマディ・シャーメ(73kg級)も、晴れて(?)しっかりしたカリフラワー・イヤーが出来上がり、寝技にも力が入ってます。
 
2004年、ザンジバル柔道連盟では、アリ・ジュマとハマディ・シャーメに続く国内での選手のレベルアップとともに、2月に開かれるインド国際、5月にチュニジアで開催されるアフリカ柔道選手権大会など国際大会にも照準を合わせ、タンザニアに勝利を持ち帰ることを目標に掲げています。

今年も、アフリカフェの故郷、タンザニアでがんばっている柔道マンたちを、日本から応援してくださいね。
GOOD LUCK!!
By ムナワル


NO.1「ジャンボ!」(2000.4.15)
NO.2「タンザニアのゴールデンウィークは大雨期の真っ最中」(2000.5.10)
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NO.6「リズム感のルーツは子守唄にあり」(2000.6.28)
NO.7「日本は七夕、タンザニアはサバサバ!」(2000.7.11)
NO.8「アフリカフェの故郷ブコバ」(2000.7.16)
NO.9「アフリカフェの生みの親、TANICA社」(2000.7.16)
NO.10「コーヒーに最適な土地、ブコバ」(2000.7.18)
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No.25「バナナ酒ルビシ」(2001.3.11)
No.26「びっくりバナナ大賞」(2001.3.18)
No.27「FOODEX JAPAN 2001報告」(2001.4.5)
No.28「JETROブースにて」(2001.4.17)
N0.29「ミスター 2ボトルを偲んで」(2001.5.4)
No.30「平山領事に贈る言葉」(2001.5.17)
No.31「人気テレビ番組は『おしん』」(2001.6.5)
No.32「動物スプーンは、カンバ族伝統の木彫り工芸」(2001.6.17)
No.33「自警団、その名はスングスング」(2001.7.3)
No.34「幻のサバサバ柔道杯2001」(2001.7.17)
No.35 「ブコバのコーヒー農園2001」(2001.8.4)
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No.38「ブコバ特製オーガニックスプレーの作り方」(2001.10.3)
No.39「ザンジバルの建設現場風景」(2001.11.3)
No.40「ブコバの珈琲文化 1.ゆでコーヒーの実」(2001.12.3)
No.41「ブコバの珈琲文化2.生活篇」(2002.1.9)
No.42 「タンザニアの薬木代表、ムアルバイネ」(2002.2.3)
No.43「マンゴーを食べよう!」(2002.3.3)
No.44「マンゴーの木に登ろう!」(2002.3.28)
No.45「ザンジバル武道館完成」(2002.4.17)
No.46「ザンジバル武道館落成式」(2002.5.3)
No.47「サファリに行こう!」(2002.5.17)
No.48「コーヒーの脱穀風景」(2002.6.3)
No.49「サバサバに行こう!」(2002.7.20)
No.50「コモンウェルス大会―マンチェスター2002」(2002.8.17)
No.51「コーヒーの友、甘菓子ベスト3」(2002.10.19)
No.52 「続 コーヒーの友―甘菓子ベスト3」(2002.11.17)
No.53 「コーヒー農家の喜び(ハリディ親子に聞きました)」(2002.12.19)
No.54 「ブコバの珈琲文化3.兄弟仁義」(2003.1.3)
No.55「名もなき果実、パイナップル!」(2003.2.3)
No.56「エンバシードクター柔道杯2003」(2003.4.4)
No.57 「ザンジバル ヤングスターズ 柔道杯2003」 (2003.5.6)
No.58 「モーリシャス国際柔道大会」 (2003.6.3)
No.59 「サバサバ柔道杯2003」(2003.7.21)
No.60 「ブコバのコーヒー栽培とアグロフォレストリー」(2003.8.5)
No.61「ザンビア&南アフリカ、柔道遠征5週間」(2003.9.9)
No.62「2003大阪世界柔道選手権大会―2003 WORLD JUDO CHAMPIONSHIPS」(2003.10.5)



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