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豆畑

語り手 「パウクァー」  (お話始めるよー)
聞き手 「パカワ」  (はーい) 

ハポ ザマニザカレ(むかしむかし、あるところに)男がいました。
男には、妻ビキキントゥがいたのですが、三年後に、二番目の妻ビタラブシをもらいました。

男は、二番目の妻ビタラブシにも、一番目の妻ビキキントゥと同じ大きさで、同じ形の家を建て、同じ大きさの畑を与え、一日おきに二人の妻の間を行き来して、どちらの畑にも、同じ種類の豆の種を、同じだけまき、同じように豆畑を耕して暮らしていました。

不思議なことに、二番目の妻ビタラブシの豆畑は、いくら大事に育てても豆がなりません。小さな豆がやっとついてきたかなと思っていると、いつのまにか豆がそっくり消えているのです。

きんとき豆をまいたときもそうでした。
いんげん豆をまいたときもそうでした。
男は、ビタラブシを問い詰めました。

「どうしてお前の畑は、豆がとれないんだ」
「私にもわかりません。きっと畑に、悪い虫がいるのでしょう」
「とにかく今度の豆は、絶対に収穫できるよう、畑をよく見張っておくんだぞ」

男はそう言うと、うずら豆を畑にまいていきました。

ビタラブシは、夜も寝ずに、豆畑を見張っていましたが、男がビタラブシの家で眠った翌朝、またもやふくらみかけていた豆が、全部なくなっていました。

「きんとき豆や、いんげん豆だけでなく、お前は、うずら豆もだめにしてしまったのか!お前は、なんてだめな女なんだ!」

男は怒って、ビタラブシを豆畑の隅っこに連れて行くと、大きな穴を掘らせ、その穴にビタラブシを突き落とすと、土をかぶせて、一番目の妻、ビキキントゥの元に行ってしまいました。

 ビキキントゥは、男がビタラブシを生き埋めにしたと聞くと、こっそりその場所に行って、穴の前で楽しそうに踊りました。

♪私と同じ夫を持つ奥さんよ。
 あんたはもう穴の中。
 あんたのために踊ってあげよう。
 ヒャーヒャーヒャー♪

すると、今度は、穴の中から歌声が聞えてきました。

♪あんたね、あんたね。
 私とあの人の、大事な豆畑をだめにしたのは。
 それを知らないあの人は、私を穴に埋めてしまった。
 きんとき、いんげん、うずら豆、大事な大事な豆畑♪

その歌を聴くと、ビキキントゥはもっと喜んで、大きな尻を振りながら、激しく踊りました。

♪そうよ、そうよ。
 あんたと私は、同じ夫を持つ妻同士。
 同じ家に、同じ畑、同じ夫が一日おきにやってくる。
 でも、あんたがいなけりゃ、あの人は私だけの夫。
 きんとき、いんげん、うずら豆、大事な大事な豆畑。

 豆さえできなきゃ、ただの空き地。
 あんたは豆の代わりに殺されて、
 あんたは豆畑に埋められた。
 あんたの墓は豆畑、さぞかし嬉しいことでしょう。
 ヒャーヒャーヒャー♪

ビキキントゥは、それから毎日家を抜け出して、ビタラブシが埋められた場所に行っていました。ビキキントゥが毎日出かけていくのを不審に思った男は、一週間目に、妻の後をこっそりつけて行きました。

何も知らないビキキントゥは、いつものように、ビタラブシが埋められている穴の前に行くと、カンガ(布)を腰に巻いて踊りだしました。

♪私と同じ夫を持つ奥さんよ。
 あんたはもう穴の中。
 あんたのために踊ってあげよう。
 ヒャーヒャーヒャー♪

すると、今度は、穴の中から、かぼそい歌声が聞えてきました。

♪あんたね、あんたね。
 私とあの人の、大事な豆畑をだめにしたのは。
 それを知らないあの人は、私を穴に埋めてしまった。
 きんとき、いんげん、うずら豆、大事な大事な豆畑♪

その歌を聴くと、ビキキントゥはもっと喜んで、大きな尻を振りながら、激しく踊りました。

♪そうよ、そうよ。
 あんたと私は、同じ夫を持つ妻同士。
 同じ家に、同じ畑、同じ夫が一日おきにやってくる。
 でも、あんたがいなけりゃ、あの人は私だけの夫。
 きんとき、いんげん、うずら豆、大事な大事な豆畑。

 豆さえできなきゃ、ただの空き地。
 あんたは豆の代わりに殺されて、
 あんたは豆畑に埋められた。
 あんたの墓は豆畑、さぞかし嬉しいことでしょう。
 ヒャーヒャーヒャー♪

二人の歌を聴いて、男はやっと真実がわかったのです。

男は、踊っている一番目の妻ビキキントゥを突き飛ばすと、すごい勢いで穴を掘り返し、体中うじ虫だらけになって、目もつぶれ、手足が腐った二番目の妻ビタラブシを助け出すと、一番目の妻ビキキントゥを、穴の中に蹴り落として家に帰りました。

男の必死の介抱で、ビタラブシは、なんとか命を落とさずにすみました。

きんとき、いんげん、うずら豆。男は二番目の妻ビタラブシと豆畑を、自分が死ぬまで大事にしながら暮らしましたとさ。 

豆畑の話は、これでおしまい。気に入ったなら持ってきな。いらなきゃ森にすてとくれ。
語り手 ビメジャ


今回は、ペンバ島から遊びに来ていたビメジャおばあちゃんから聞いたお話です。
楽しい語り口から、豆畑を舞台に展開したのは、10 「屁こき女房」 に続いて、2人の妻をめぐる壮絶なお話でした。

2人の妻を持つ男は、2人の妻に均等に豆畑を与え、しっかり耕して、豆をたくさん収穫するよう命じます。

日本の食卓では、豆はおかず。しかし、アフリカでは、煮豆そのものが主食です。つまり、豆さえあれば、食べてはいける。でも、豆の収穫がなければ、主食にも事欠くという状態になってしまうのですから、二人の妻が、一生懸命豆を育てていたのもうなずけるでしょう。

そして、もう一つ、畑は、大地につながる母性像、そして、畑に蒔く豆は夫、つまり父性像、収穫した豆は、子供像の象徴としても考えられますから、豆がとれない(子供が産めない)というのは、妻にとって一大事だったことが、よくおわかりになるでしょう。

そう考えると、何度か繰り返し出てくる「きんとき、いんげん、うずら豆」という三種類の豆は、三人の子供と考えることもできそうですね。

とにかく、そんな大切な豆だからこそ、夫の愛情を独り占めするために、相手の豆畑さえ荒らしてしまえばいいと考えた一番目の妻ビキキントゥの策略が、まんまと成功して、夫は、豆を育てることができない二番目の妻ビタラブシを、生き埋めにしてしまいます。

ここでちょっと、「生き埋め」ということについて考えてみましょう。
10 「屁こき女房」 のビタラブシは、夫によって、叩き殺されてから埋められましたが、この「豆畑」の登場人物ビタラブシは、夫によって生き埋めにされてしまいます。

そこから毎日恨みの歌を歌うのですが、生き埋めにされ、その中で、体を腐らせながらも生きていたビタラブシの生命力も、すごいと思いませんか? きっとビキキントゥへの恨みの念が強く、悔しくて悔しくて、とても死ねなかったのでしょう。

また、善者が生き埋めにされながらも、穴の中から歌を歌い、最後に助かるという筋書きは、ザンジバルの昔話にはよくあるパターンです。

ところで、ここザンジバルの埋葬法は土葬。日本のように、死体を燃やし、骨にして埋めるという火葬の習慣はありません。
土に埋める=死者ということですから、このお話に出てくる夫は、ビタラブシを埋めた時点で、ちょっとしたお仕置きで穴に放り込んだのではなく、妻を死者にした、つまり、はっきり殺意があったということになります。

となると、事情がわかった夫に助け出されたビタラブシは、理由はどうあれ、一度は自分を殺そうとした夫と、本当に幸せに暮らせたのでしょうか? 私なら、二度と一緒に暮らしたくないですけどね。

10 「屁こき女房」 の中でもそうでしたが、この 「豆畑」 でも、二人の妻の間で、一人の夫をめぐる嫉妬や殺意が、常に女性同士の間だけで戦わされています。そして男は、お話の中で一番理不尽なことをしているように見えるのに、そこには一切ふれられずにストーリーが進んでいくところが、私の中に、もやもやの残る原因なのですが、そこが、日本人の私と、ザンジバルの人たちとの結婚観や、男性観のちがいということなのでしょう。

ビメジャおばあちゃんの、「きんとき、いんげん、うずら豆。男は、二番目の妻ビタラブシと豆畑を、死ぬまで大事にしながら暮らしましたとさ」という明るい締めくくりの一言と、私の気持ちには、大いにずれがあったのですが、読者の皆さんは、どんな感想をお持ちでしょうか?