今回は、妊婦をテーマにしたお話です。
今、日本は、少子時代。子供はせいぜい1人か2人。3人持てば、今は子だくさんと呼ばれる時代ですが、ザンジバルはもちろん、タンザニアでは、まだまだ5人、6人は序の口で10人を超える子だくさんも、ごく普通です。
それでも、いまだに乳幼児死亡率が高いので、10人子供を産んだとしても、全員大人に育てあげることは至難の業です。
原因は、いろいろ考えられます。
もちろん、マラリアやコレラをはじめとする、恐ろしい病気だけではありません。栄養の足りない母体から生まれた赤ん坊は、もうすでに生れ落ちた時点で、厳しい気候に耐える体力を持ち合わせず、ばたばたと死んでいきます。
出産の知らせを聞いて、病院に見舞いに行くと、必ずと言っていいほど、同じ病室に、死んだばかりの赤ん坊が、カンガ(布)に包まれて、ベッドの隅っこに置かれています。
もちろん医療の遅れも、大きな原因の1つです。日本だったら助かっているだろう赤ん坊が、ここでは今日も、生まれて数時間の命で、天に召されているのです。
毎年の恒例行事のように、妊娠出産を繰り返している女性たちを見ていると、たくましいなと思う反面、母体への影響が心配になります。もちろん、みんなそんなことにはおかまいなし、「子供は宝、まだまだ産めるわよ」と誇らしそうですが・・・。
さて、今回は、妊婦にまつわるお話を紹介しましょう。
ハポ ザマニ ザ カレ(むかしむかし、あるところに)、ミザという貧しい女がおった。
そのときミザは妊娠していて、普段よりうんと空腹だったが、家が貧乏なので、いつも我慢していた。貧しいミザの家では、炭の焚き付けに燃やす物もないので、料理する時にはいつも隣の家に火をもらいに行っていた。
その日も、ミザはいつものように、大きなおなかを抱えて、隣の家に火をもらいに行った。隣の奥さんはちょうど昼飯の支度をしており、肉のたっぷり入ったうまそうなシチューが炭の上でぐつぐつと煮えていて、台所中にいい匂いが漂っていた。
「あの、きょうも火を分けてください」
「ああ、いいよ、ちょうど炭がついているから持っていきな」
隣の奥さんは快くミザに火を分けてやった。
「ありがとうございます」
ミザは火をもらって家に帰ると、わざとその火を水で消し、もう一度隣の家に行った。隣の家ではさっきのシチューが、もっとうまそうになって炭の上で煮えていた。
「あの、火つけに失敗して、分けていただいた炭まで消えてしまったので、もう一度火を分けてください」
「ああ、いいよ。まだ炭がついているから、もって行きな」
今度も隣の奥さんは快く、ミザに火を分けてやった。
ミザは火をもらって帰ると、今度もわざとその火を消して、大きなおなかを抱えて、隣の家に行った。隣の家では、さっきのシチューがすっかり出来上がって、家族全員でうまそうにご飯を食べていた。
「あの、火付けに失敗して、分けていただいた炭まで消えてしまったので、もう一度火を分けてください」
「ああ、いいよ。わたしはもう火を使わないから、いくらでも持って行きな」
ミザはそのまま家に帰ったが、歩きすぎと、空腹で目が回り、そのまま倒れると、流産して死んでしまった。ミザの家には、火をもらったって、何にも料理するものなんかなかったのさ。
妊婦はとかく腹が減るもの、腹の大きな女に食べ物を見せたら、ちょっぴりでもいいから、分けてやれ。
話は、これで、おしまい。ほしかったら持っていきな、いらなきゃ海に捨てとくれ。
(語り手:ファトウマ・サイディ)
スワヒリ語で聞く昔話は、たいてい笑えるお話が多いのですが、これはとてもせつなくなるお話でした。
ザンジバルのように、大らかな隣同士の共同体が残っているところでも、こんなお話があるのだなあと、あたらめて発見した思いがすると同時に、ミザが、目が回るほどおなかがすいているのに、それを言い出せないで、何度も「火を貸してください」と隣の家に通うところは、なんだかとても日本的な感じがしました。
そして私は、「おなかがすいている」とどうしても言えなかったこのミザに、夫がいないのに身ごもってしまった女性の陰を感じて、よけい切なくなるのです。