今回は、猿が主人公のお話です。
タンザニアは自然の宝庫、国土の四分の一が自然保護地域となっており、これからも大自然を守りながら、人間と自然との共存を目指そうという意識の高い国です。タンザニアでは、保護地区以外でもいたるところで野生動物が見られますが、人々にとって、それはごく日常の風景です。そんなタンザニアには、動物が登場するお話がたくさんあり、今日のお話はその中の一つです。
パウクァー?(お話を始めるけど、用意はいいかい?)
パカワ(準備はOK、楽しいお話聞かせてね)。
ハポ ザマニ ザ カレ(むかしむかしあるところに)、猿の村があったとさ。その村はとても貧しくて、猿達はいつも腹をすかせていた。
ある日、猿たちは集会を開いて、これからの将来について話し合った。
「わしらは一体いつまでこんな貧乏暮らしを続けなくちゃならんのか。このままでは村の猿全員が飢えて死んでしまう。なんとか豊かになる方法はないものか」
村長の言葉に、男猿たちはそれぞれ自分のアイデアを述べたが、これといっていい案はなかった。一番貧乏な猿一家の父親が、こんな意見を出した。
「もうこうなったら、村で一番美しい猿娘の尻尾を切るしかない。尻尾を切れば猿は人間になれる。美人になった猿娘を金持ちの人間と結婚させれば、人間から食べ物がふんだんにもらえるだろう」
それはいい考えだ、と男猿たちは皆賛成し、さっそく森で一番美しい猿娘を連れてきて、嫌がる娘の尻尾を切った。すると猿娘は美しい人間の娘の姿になり、人間の言葉が話せるようになった。
人間の姿になった猿娘は、その日から木の上で金持ちの男が通るのを待っていた。しかし、なかなか金持ちの男は通らない。貧乏な男と結婚してもしようがないので、猿娘はひたすら金持ちの男が通るのを待っていた。
一週間目にやっと金持ちの男が二十人の召使いを従えてやってくるのを見つけた。人間になった猿娘は、すぐに木から降りると、一番美しく見える顔を作って待っていた。
金持ちの男は、木の下に立っている美しい娘を見つけると、すぐにその場で結婚を申し込み、たいそうなマハリ(結納金)を払って家に連れて帰った。猿娘はその日から豪華な家に住み、毎日料理人が作る贅を凝らしたご馳走を食べ、美しい洋服や宝石で着飾る生活をするうちに、だんだん自分が猿だったことを忘れていった。
一方、金持ちが払っていった結納金で一時期は食えるようになった森の猿たちは、すぐにその金を使い果たし、また食うや食わずの貧乏暮らしに戻っていた。せっかく娘を金持ちの人間に嫁がせたのだから、食べ物をうんともらわなければ何もならないとばかり、猿娘の父親は息子たちに人間の村に行くように言いつけた。
兄猿たちは夜中にこっそり猿娘に会いに行くと、食べ物を分けておくれと頼んだ。貧乏している兄たちの様子を見て不憫に思った猿娘は、すぐに家の中のありったけの食べ物を持たせたが、森の猿たちはあっという間にそれを平らげるとまた翌日猿娘のところに食べ物をくれとやってきた。そんな事が何日も続いた。
毎日ありったけの食べ物を持っていかれては、猿娘も、金持ちの夫に言い訳できない。ある日、猿娘は、夫にトウモロコシ畑を作ってくれるよう頼んだ。
「ねえ、あなた、私はとうもろこしが大好物なんです。あなたの畑にはとうもろこしだけはないので、私は前々から残念に思っておりました。もし、私を愛しているなら、広いトウモロコシ畑を作ってくださいませんか」
美しい猿女房に夢中になっていた金持ちの夫は、
「そんなこと、おやすいごようさ。愛するお前のためにうんと広いトウモロコシ畑を作ってやるよ」
と言って、すぐに召使い三十人に言いつけてトウモロコシ畑を作り、三カ月後には何千本もとうもろこしがなるはずだった。
しかし、広い広いトウモロコシ畑で、使用人が明日は収穫しようと思っている熟れ頃のとうもろこしが、翌日になると消えてしまうという出来事が起こった。使用人も初めは気のせいかと思っていたが、あんまりそれが続くので、夜見張ってみることにした。
夜になった。使用人がとうもろこしの陰で見張っていると、遠くの方からキャッキャッと騒ぎながら猿の大群がやってきて、大喜びで熟れたとうもろこしをもぎ取っては、食い散らかしていた。
使用人は翌日金持ちの主人に昨日見たままのことを伝えた。主人はたいそう腹を立てると、大きな声でこう言った。
「わしの愛する妻のトウモロコシ畑を荒らす悪い猿どもめ、懲らしめてやる」
翌晩、夫は召使い五十人に、猿たちがトウモロコシ畑を荒らしに来たら、思う存分痛めつけるようにと命令した。猿娘もそれを聞いていたが、何も言わず黙っていた。
そんなこととは知らない猿たちは、その晩も大喜びでやってきて熟れ頃のとうもろこしにかじりついた。そこへ、隠れていた召使い五十人がサルたちに襲いかかり、棍棒で思い切りぶっ叩いたからたまらない。ある猿は腕をへし折られ、ある猿は頭を割られ、血だらけになって泣きながら森に逃げ帰った。
大けがをした猿の中には、猿娘の父猿も、兄猿もいた。やっとの思いで村にたどり着いた父猿は、一週間寝こんでいたが、やっと起き上がれるようになると、猛烈に怒って、こう言った。
「家族が人間に痛めつけられているのに知らん顔するなんて、もうあいつは俺たちの仲間じゃない。こうなったら、あいつを思い知らせてやる」
翌日、父猿は、猿娘を人間にしたときに切り取った尻尾を取り出すと、兄猿たちを引き連れて唄を歌いながら猿娘の住む屋敷に向かった。
「娘よ、尻尾を持ってきてやったぞ。ヒニャニャ、ヒニャニャ~♪ 娘よ、さぞこの尻尾が恋しかったろう。ヒニャニャ、ヒニャニャ~♪ 娘よ、さあさあ猿に戻って森に帰ろう。 ヒニャニャ、ヒニャニャ~♪」
初めはうんと遠くから聞こえてきた歌声が、だんだん近づいてきた。歌声が近づいてくるにしたがって、美しい猿娘の体から毛が生えてきた。金持ちの夫はそんなこと夢にも思わないから、きょうも美しい妻を愛そうと、妻の寝ているベッドに入ろうとした。猿娘は毛の生えた自分の姿を見られまいと、必死でベッドの奥にもぐりこもうとした。
二人がそうこうしているうちに、尻尾を持った父猿と兄猿たちが家の中まで入ってきた。兄猿たちが、びっくりして声も出ない金持ちの夫を捕まえている間に、父猿はベッドにもぐっていた猿娘を引っ張り出すと、毛の生えてない娘の尻に、ぺたんと尻尾をくっつけた。美しかった娘は、一瞬で毛むくじゃらの猿になると、ヒニャヒニャ、キャッキャッ、とサル語しか話せなくなり、そのまま猿の村に連れて行かれてしまった。
猿娘が猿になって、人間から食べ物が手に入らなくなった猿の村は、ますます貧乏になってしまった。人間の村から連れ戻された猿娘は、誰からも助けてもらえず、死ぬまで村一番の貧乏猿だったとさ。
話は、これで、おしまい。欲しけりゃ持っていきな。いらなきゃ川に流しとくれ。
(話し手 ムアナハミシィ)
昔話には、異類婚姻譚として分類される一群があります。つまり人間以外(異類)の存在が人間の女性や男性の姿となって、人間と結婚するというお話です。そう聞けば、自分を助けてくれた男性の妻となり、自分の羽をむしりとってまで反物を織り上げてその男性に尽くした鶴女房の、美しくけなげな姿を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
日本の異類女房の代表が鶴なら、タンザニアの代表は猿、しかし、この猿女房、貧しい村を助けるため、尻尾を切られて人間にされたところまではちょっとかわいそうな気もしますが、初めから金持ち男性だけをターゲットとして木の上からねらっていたとは、何とも現実的。「きれいごとじゃ生きていけないよ」という猿娘の声が聞こえてきそうです。
人間の女房となってからの猿娘は、頻繁に物をねだりにくる猿の家族用に一生懸命食べ物を都合したり、なんとか夫に頼んで大きなとうもろこし畑を作ってもらったのにも関わらず、猿の家族が限度なくすべてを持っていってしまうことが原因で、猿の家族は結局人間から散々な目に合わされてしまい、それを恨みに思った猿家族の手で、猿娘は結局元どおりの猿の姿に戻されてしまったわけですが、村に帰ってからも冷たくされて、すべて猿娘だけが悪いかのような結末になってしまっているのは、なんともかわいそう。もう少し、猿の家族に節度があれば、両方とも幸せになれたのになあと残念です。
タンザニアでは、猿のことをかわいいなんていう人はほとんどいません。猿は大切な農作物を荒らす存在と考えている人が大多数なので、このように人間と猿の対決といった徹底的なお話になるのかもしれないですね。
ところで、日本の「鶴女房」のお話は、しっとりと美しい挿絵のついた絵本がたくさん出ていますが、タンザニアの「猿女房」に挿絵をつけるとしたら、しっとりした絵より、思い切りユーモラスな挿絵のほうが合いそうな気がするのですが、いかがでしょうか? 私には絵心がないので、頭に浮かぶイメージを表現できないのが残念です。