タンザニア便り '01年7月
*この便りはトロワ・タンザニアスタッフのMUNAWARさんより隔週(3日と17日)で送られてきます。
MUNAWARさんはザンジバルに住む30代の女性です。MUNAWARさんへのメールは
こちらまで
タンザニア便り33「自警団、その名はスングスング」(2001.7.3)
ジャンボ! 皆さん、お元気ですか?
6月の中旬から後半は、皆既日食の話題でタンザニア中が盛り上がっており、私の住むザンジバルでも、寄ると触るとその話でした。
「21日午後3時から4時の1時間、太陽がこの世から消えて真っ暗闇になる。でも、特別の黒いめがねをかけると、太陽の形は見えるそうだ。めがねなしで見ると目がつぶれるから、親は子供たちが太陽を見ないよう、家の中に入れておいたほうがいい。ひょっとすると、太陽が隠れている間に、海の水も溢れるかもしれないから気をつけろ」というのが、ザンジバルの人のとらえかたで、21日当日は、昼の2時ごろになると、ほとんどの人が家に帰ってしまい、子供たちは外に出ないように、1つの部屋にカギをかけて閉じ込められたりしていたようです。でも、皆既日食ショーは、実際のところ、ほんの数分の出来事。
22日の新聞では、首都のダル・エス・サラームで、皆既日食が観測されている様子が第一面を飾っていましたが、ザンジバルの人々からは、
「なんだ、この世が真っ暗になるなんて嘘じゃないか。心配して損した」という声が多く聞かれました。
さて今回は、タンザニアの自警団、スングスングについてお話しましょう。スングスングとは、警察とは違い、国民が自主的に立ち上がって、地域を守るために作られた自警のための集団です。日本でいえば、町内会見回り組といったところでしょうか。
タンザニアでは、現在の日本のように、猟奇殺人や怨恨、世間に対する腹いせといったわけのわからない事件はなきに等しいですが、慢性的な仕事不足から、単純な泥棒、スリ、かっぱらい、空き巣事件は日常茶飯事です。そして、警察自体も日本のように泥棒検挙にがんばるおまわりさんばかりならいいのですが、残念ながら、おまわりさん自体その日食べる金ほしさに、捕まえた泥棒からチャウチャウ(袖の下)をもらって逃がしてしまうというパターンが多いので、そういった犯罪は後を絶ちません。
そこで、自分たちの住む地域は自分たちで守ろうと立ち上がったのが、自警団スングスングというわけです。タンザニア本土では数年前からこの制度が取り入れられていましたが、治安がよく、小さな島の中、知り合いばかりで泥棒などいないというのが自慢だったザンジバルには今年に入るまではありませんでした。
しかし、このところ経済が落ち込み、不況の波が押し寄せてる中、そういった窃盗、かっぱらい事件が頻発するようになってきました。そしてそれらは、外人旅行者めあてに限らず、洗濯物から食料から、家の中のソファや、なんと家の扉や窓枠まで外して盗んでいってしまう(朝起きると家のドアがなくなっているなんて、想像できますか?)大小さまざまな窃盗事件なので、市民もおちおち眠れない日が続いていました。
そこで、数カ月前に各地区の代表が警察にかけあって、地区ごとに自警団スングスングを構成するから、政府からその存在を認めてほしいと要請を出していたのが、3カ月前にやっと認められ、早速各家から1人ずつ男が地区のスングスングに入ることが要請され、それぞれ夜の見回りをすることが決まったというわけです。
スングスングの役割りは、町内の見回りといったところですが、治安が悪いので、日本のようにただのパトロールでは終わりません。当番の男たちは、手に手に、パンガ(大型ナイフ)、ショカ(くわ)、ルング(棒)、カムカム(巨大なまさかり)などを持って、20人から30人の集団となって、町内を一晩中見回る中で、ただのちんけなこそ泥から本格的な強盗集団に出くわす可能性が高いのですから、皆真剣そのものです。
ムィジ(こそ泥)とかムジャンバジ(強盗)と呼ばれる泥棒たちも、警官にはチャウチャウ(袖の下)を払えばつかまっても見逃してもらえますが、自分の地域の安全を願って結成されたスングスングたちに、それが通用しないのを知っています。つまり、見つかったら最後、命を落とすか、助かっても片輪にされる可能性が高いのがわかっていても泥棒に入るような輩ですから、もちろん、見つかったときのための武器も用意しています。やるかやられるか、スングスングと泥棒たちは、そんな真剣勝負を連日続けているのです。
すでにこの3カ月で何十人という泥棒たちがスングスングによってつかまり、そのうちの5人は病院送りではすまずに、あの世まで送られてしまいました。しかし、もちろんスングスングのメンバーの中にも、その格闘の中で、名誉の負傷を負って入院中の人々もいます。
こういった市民の犯罪者に対する集団制裁というのは、ザンジバルだけのことではありません。タンザニア本土でもケニヤでも、誰かが
「ムィジ!(泥棒だ)」
と叫ぶと、近くにいた人々が皆共同でその輩を捕まえ、泥棒はつかまったら最後、警察が止めに入るまで、殴る蹴るどころではなく、石は投げられる、棒で叩かれる等、滅多打ちの制裁を加えられるのが通常です。
どうしてそこまで激しい制裁になってしまうのか、それには市民の中に、「泥棒を捕まえて警察に引き渡したって、どうで袖の下をつかませられてすぐに釈放されるのがおちだ。それなら、警察に引き渡す前に自分たちで制裁を加えたほうがいい」という考えがあること、また、やはり何か日常にたまった鬱憤を、悪い奴の制裁をするという大義名分にすりかえて、エネルギーを発散しているという部分も否めないでしょう。
そして、みんながするから自分もする、集団意識が働いて、倒れている相手が苦しめば苦しむほどもっとめちゃくちゃにしてやりたいといった人間の持つ嗜虐性も爆発してしまうような気がします。
私もアフリカの生活の中で、何度かそういった市民の集団制裁の場に居合わせたことがありますが、もう足元もおぼつかないようなおばあさんまでもが、血だらけになっている泥棒に向かって、
「お前のような奴は死ね!」
と叫びながら、石を投げつけている姿があったり、止めに入った警察にまで投石して、警官が顔をぼこぼこに腫らせていたり、手足がべきべきに折られて体が変形したままリヤカーに乗せられて運ばれていく泥棒に向かって、まだ石が飛んできたり・・・。そんな場面に出くわすたびに、市民の爆発する怒りのすさまじさに圧倒されます。
さて、このスングスングは男組ですが、女性陣にも地域を守るのに与えられた大きな役割があります。それは、見張り番です。男たちは一日中家や地区にいるわけにはいかないので、家を離れますが、女たちは一日のほとんどの時間を家の中か、たとえ外に出ても近所の家を行き来する程度です。
その中で、女たちは常に見慣れない人がまわりを通らなかったか、誰かの家に誰かが来たら、それはどこのどういう人なのかをお互いに情報交換しあって把握しているのです。そして、少しでも挙動不審な人を見かければ、夫をはじめとするその地区の男性陣に逐一報告します。
つい先日も、この女性陣の報告が効を奏して、キクワジュニ地区で、8人の強盗団が発見され、20人のスングスングで立ち向かい、5人は逃がしたものの、3人を見事に捕まえるという手柄をたて、ラジオでもお手柄スングスングとして名前を呼び上げられていました。
カルメ新大統領も、スングスングの活躍によって、ザンジバルから泥棒が減っていることを喜ぶメッセージを流し、今度はスングスングにメンバーズカードを作って地位向上も図る予定であることも発表していました。
自警団、スングスングは、各地域で各家から1人ずつ出される男性をメンバーとして登録することによって成り立っています。つまり、日本で言えば世帯主はみんなスングスングになるということなので、私たちの周りの男性陣はほとんどがスングスングです。だから、
「俺は金曜日が見回りなんだ」とか、
「きのうはスングスングで夜中中見回りしていたから疲れたよ」
「俺は明日が見回りだから、今からナイフを研がなくては」
なんていう話題がごろごろ。
はりきっているジュマにちょっとふざけて、
「でも、ジュマの家には、盗られる物なんて何にもないっていつも言っているんじゃないの」と言うと、
「物を盗らなくたって、町内に知らない奴が来て、女房を見るだけだって泥棒だ。そのためにも俺はがんばって地域の治安を守らなくちゃいけないのさ」
と大真面目な答えが返ってきました。
そのジュマ、昨日の金曜日、「泥棒を捕まえた!」と胸を張っていました。何でも夜中の2時頃に、町内のモハメッドさんの畑で、一心不乱にキャッサバ芋を掘っては大きなずた袋に入れている不審な男を見つけ、尋問したところ、キャッサバ芋泥棒と判明、男は、手に手にでかいナイフだの、かなづちだの、棍棒などを持った正義感に燃える自警団スングスングに取り囲まれ、逃げる気力もなく、
「助けてくれ!」「悪かった、もうしない!!」
と大泣きした上、恐怖の余り大小便垂れ流し状態だったとか。
幸いこの地域のスングスング代表ハッジさんが、温厚な人物だったので、
「こんな奴は半殺しにしないとわからないんだ」
といきまく人々を制して、無傷のまま警察にしょっぴいたため、芋泥棒は五体満足のままでいられたそうです。でも、ジュマは翌日言っていました。
「あの時ハッジがみんなを止めなかったら、あいつは今ごろ死んでるか、生きていても半死半生の目にあっただろう。それにしても、せっかく泥棒を捕まえたのに、派手に痛めつけなかったから、新聞にも出やしない。死んでいれば絶対、『KUFA KWA KUIVA MIHOGO!』(キャッサバ芋を盗んで死す)という題名で新聞にも出て、俺の地域も有名になれたのになあ」
「ぼやきのアリ」とあだ名されているトラック運転手のアリも、普段はとってもおとなしいのですが、スングスングの話題になると俄然燃えてきます。
「キクワジュニの奴らはきのう3人、泥棒を挙げたっていうから、俺たちダラジャボブ地区もがんばらなくちゃな」
「泥棒退治はネズミ退治と同じ。絶対にかわいそうなんて気持ちを起こさないで徹底的にやっつけておくこと。そうしないと、またすぐにうようよ増えてしまうからな」そして、ジュマやアリだけでなく、そんな話をするときの男達は、皆誇らしげに見えます。
また、女性たちも、
「私らハジトゥンボ地区のスングスングは強いから安心よ」
「スングスングが夜の見回りをしてくれるようになって以来、私ら女子供はぐっすり眠れるようになったわ」
と身近な男性陣を、あらためて見直しているようです。
自分の家族は、俺たち男が命をかけても守る。俺たちの地域は、俺たちが守る。その意識にはっきり目覚めるとき、男たちはより燃えるものなのでしょう。
そして、それが家族から地域へ、地域から国へと意識が目覚めていったときこそ、みんなでザンジバルの、タンザニアの発展を語り合えるようになるのだと感じます。
ザンジバルの平和のため、タンザニアの平和のため、がんばれ、スングスング!!
BY MUNAWAR
*2001.6.22日付 皆既日食を報じるタンザニアの新聞
タンザニア便り34「幻のサバサバ柔道杯2001」(2001.7.17)
ジャンボ! 今年も七夕の日がきましたが、皆さんはどんな願い事をしましたか?
タンザニアでは、この7月7日を数字の7のスワヒリ語読み「サバ」を重ねて、「サバサバ」の日と呼びます。サバサバの日は、商業祭として定着しており、年に1回ダル・エス・サラーム郊外にあるサバサバ会場で、大きな国際貿易博覧会が開かれています(昨年のサバサバ博覧会の様子は、「タンザニア便りNO.7 日本は七夕、タンザニアはサバサバ!」をご覧ください)。
掲示板「アフリカフェの広場」でも少々触れましたが、今日は、7月5日におこなわれる予定だった、サバサバ柔道杯2001(第2回タンザニア柔道大会)のことをお伝えしましょう。
よりにもよって、サバサバ柔道杯がおこなわれる前夜、7月4日のPM11:45ごろにタンザニアの現職副大統領オマル氏が、心筋梗塞で急死するという不幸があり、翌日、つまり試合当日から1週間、喪に服すため、国民が歓声を上げたり、楽しんだりするような行事がすべて禁止となり、それを受けて、一スポーツであるサバサバ柔道杯までも中止となってしまいました。
サバサバ柔道杯中止決定の知らせを受けた時は、ダル・エス・サラーム、モシ、ザンジバルの3チームとも、今まさに試合会場に向かおうかという時だったので、皆絶句状態・・・。しかし、海外青年協力隊の柔道隊員・溝内克之氏率いるモシの警察チームからは4人、ザンジバルチームも9人はすでにダルに来てしまっていたので、ザンジバル柔道連盟会長島岡氏と溝内氏が話し合い、何とか他の会場を借り、サバサバ会場から畳を運んで、合同練習および、試合をすることになりました。
といっても、国中のイベントがストップされている中、他の会場を借りることは、やはりとても難しい状況でした。しかし、柔道大会と同じ理由で球技大会が中止になったドンボスコ・スポーツセンターの代表(スペイン人)に事情を説明して頼み込むと、
「私たちも同じ理由で球技大会が突然中止になってしまったから、事情はよくわかります。しかし、私たちはダル・エス・サラーム内での大会ですから、また日を改めてということが可能ですが、あなたがたは、遠いモシやザンジバルから来ているのですから、よけい大変でしょう。わかりました。私の責任で、体育館を柔道グループに貸しましょう」
と言ってくださり、実現の運びとなりました。
今回のサバサバ柔道杯にあたっての最大の問題は、ダル・エス・サラームチームが、ザンジバルチームとモシチームを見て怖気づき、次々と練習にも試合にも参加しないと言い出したことで、結局、ダルチームからは、一番強い黒帯のハリファ選手が1人、それにモシチームの4人の合同本土チーム、ザンジバルチーム5人の勝ち抜き団体戦をやることになりました。
結果は、ザンジバルチームが、中堅までで本土チームを全員勝ち抜いてしまい、副将、大将の2人残しで勝ちが決まりました。団体戦はそこで終わってしまいましたが、あとは少しでもこの機会を生かして、試合経験を積まそうと、再び、本土チームから選手が出て、黒帯、白帯、茶帯混じって試合を重ね、互いの力を試しあい、最後は、昨年の決勝戦と同じ顔合わせ、ザンジバルのハミシィ選手とアブダラ選手の試合で締めくくり、結果は去年と逆転し、アブダラ選手が得意の大外刈りで、一本勝ちをおさめたことをご報告しておきましょう。
試合が終わった後、総勢20名で親睦会を設けたのですが、ザンジバルの選手たちは、初めて手を合わせたモシチームに完勝し、自分達の力を確認することができたので、みんな意気揚々と楽しそうに話し、もりもり食べていました。
モシチームやダルチームもさすがに落ち込んではいましたが、畳を降りれば、皆タンザニアの柔道マンたち、話は柔道のことから互いの仕事や家族のことまでに渡り、和気あいあいと語り合っていました。モシチームは全員が警察官なので、昨年の選挙の際には、ザンジバルに配属されていたとか。
モシチームの身長180センチ、体重85kgほどの巨体のアブラハム選手は、ザンジバルの次鋒、身長155cm、体重55kgという小兵ハマディ選手との試合を振り返って、こう言っていました。
「ハマディ選手の柔道には驚いた。自分の腋の下に入ってしまうほどチビなのに、俺が組もうとすると、気がついたときには懐に入られていた。右かと思えば左、前かと思えば後ろに技をかけられ、わからないうちに倒されしまった。しかもあんなチビに、まさか寝技で押さえ込まれて負けるとは思わなかった」
モシチームは、今回自分たちの実力がはっきりわかったことで、みんなこれからは、もっとしっかりと練習に励もうと、主将のキロ選手自ら言い出したと、溝内師範からお聞きしました。それがモシチームにとって、何よりも大きな収穫だったことでしょう。
また、溝内師範も、
「自分はいつも彼らに、『お前たちより強い奴がいくらでもいるんだ。井の中の蛙になるな』と戒めていたのですが、とにかく対外試合の機会がないので、彼らはモシチームの中で強ければ、タンザニアで一番だと信じて、自身満々でダルに来たのです。今日の試合は、彼らにとって、本当にいい経験になりました」
と語っていました。
ザンジバルチームの殊勲賞は、口がでかく、おしゃべりで怖いもの知らず、その外見と、ちょっとやんちゃでおっちょこちょいな性格から「ドナルド・ダック」をもじって「ドナルド・ジュマ」と呼ばれている21歳のジュマ選手。
白帯ながら、先鋒として先陣を切り、最近物にしたばかりの立ち背負いで、きれいな一本勝ちをおさめ、ムードを高めました。去年のサバサバ柔道杯では、まだ柔道を初めて数ヶ月、体もできていなくて頼りない感じでしたが、今年は、肩の肉が盛り上がり、胸幅が厚くなって、柔道マンらしくなっていました。ドナルド・ジュマの今後が楽しみです。
試合を見ていたドンボスコ・スポーツセンターの代表が、試合後にこう言っていました。
「今日初めて柔道を見たけれど、小さい選手が大きな選手に勝つのがすごく面白かった。柔道がこんなワンダフルなスポーツだとは思わなかったよ」
「柔よく剛を制す」という柔道の真髄が、たった一人にでも伝わってよかったなあと思いました。
ということで、去年のような大衆の前での公式なサバサバ柔道杯はできませんでしたが、非公式ながら、それと同じようなことはできたので、選手達もそれなりに満足し、互いに来年のサバサバでの再会を約束して、それぞれ帰路に着きました。
その後サバサバ博覧会は、オマル副大統領の葬儀の日には完全閉鎖されたものの、音楽やショー以外はOKとのことで、各出展者自粛しながらも、7月9日まで続けられ、何万人という人々がサバサバを楽しんでいました。
故オマル副大統領も、亡くなる当日までこのサバサバ会場に来て、各パビリオンを見回り、タンザニア国民の楽しそうな笑顔を満足げに眺めていたのに、まさかご自分の急死で、年に一度の国民の最大の楽しみ、サバサバ博覧会に水を差すことになるとは、思ってもいなかったことでしょう。
オマル氏の冥福とともに、来年のサバサバ柔道杯2002こそは実現すること、そして 皆さんの健康と幸福を、ザンジバルの真っ青な空の下よりお祈りしています。
GOOD LUCK!!
BY MUNAWAR
NO.1「ジャンボ!」(2000.4.15)
NO.2「タンザニアのゴールデンウィークは大雨期の真っ最中」(2000.5.10)
NO.3 「ジャンボ、ベイビー! (こんにちは、赤ちゃん)」(2000.5.18)
NO.4「カンガ(布)は語る」(2000.5.25)
NO.5 「日本はぼた餅、タンザニアはタコとサメ!」(2000.6.12)
NO.6「リズム感のルーツは子守唄にあり」(2000.6.28)
NO.7「日本は七夕、タンザニアはサバサバ!」(2000.7.11)
NO.8「アフリカフェの故郷ブコバ」(2000.7.16)
NO.9「アフリカフェの生みの親、TANICA社」(2000.7.16)
NO.10「コーヒーに最適な土地、ブコバ」(2000.7.18)
NO.11「ブコバでは、無農薬が当たり前」(2000.7.18)
NO.12「恐怖のこうもり男」(2000.7.18)
NO.13「小規模だからこそできる有機農業」(2000.9.11)
NO.14「オリンピックって何?」(2000.9.27)
NO.15「タンザニア式炭焼きケーキ」(2000.10.8)
NO.16「自然と人間のハーモニー」(2000.10.19)
NO.17 アロマティックライフの勧め (2000.11.1)
No.18 アフリカフェ・アロマの秘密(2000.11.11)
NO.19「続アロマティックライフの勧め」(2000.11.21)
No.20 「ラマダーン風景」(2000.12.11)
No.21「ラマダーン、明けましておめでとう」(2001.1.11)
No.22「バブが語る昔のコーヒー事情」(2001.2.4)
No.23「コーヒー愛飲歴70年、ビビが語る」(2001.2.4)
No.24「セネネ(バッタ)は愛の証」(2001.2.17)
No.25「バナナ酒ルビシ」(2001.3.11)
No.26「びっくりバナナ大賞」(2001.3.18)
No.27「FOODEX JAPAN 2001報告」(2001.4.5)
No.28「JETROブースにて」(2001.4.17)
N0.29「ミスター 2ボトルを偲んで」(2001.5.4)
No.30「平山領事に贈る言葉」(2001.5.17)
No.31「人気テレビ番組は『おしん』」(2001.6.5)
No.32「動物スプーンは、カンバ族伝統の木彫り工芸」(2001.6.17)
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