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第4回日本柔道留学を終えて、4人無事帰ってきました~順天堂大学・成田高校

皆さん、こんにちは。
大震災から1か月以上たった今も、東北や関東で大きな余震が止まないようですね。
被災地の方々は、度重なる余震のたびに心身の疲労がたまっていることとお察しいたします。
早く余震がおさまっておだやかな日常が戻りますように、被災地の復興復旧が少しでも速く進みますようにとお祈りしています。
さて、ザンジバル柔道連盟から千葉県の順天堂大学スポーツ健康科学部、菅波盛雄教授の元に送って、柔道修行を積んでいた4人の選手が、元気に日本から帰ってきました。
4人の日本滞在中(1月4日~4月4日)の間に、未曾有の大災害となった東日本大震災が起き、千葉でも地域によって諸々の被害や、その後の影響も大きかったので心配でしたが、
菅波教授と周りの方々のたくさんの気遣いや御配慮のおかげで、4人はパニックに陥ることなく、地震のあった後も、順天堂大学に通って、変わらず練習にも参加していたそうです。
大地震発生のとき、4人は滞在したアパートにいたのですが、アパートは大きく揺れ、他の部屋の住民たちがあわてて外に飛び出したのを見て、自分達も外に出てみたら、アパートは大きく揺れるし、駐車場に並んでいる車も横に、縦に、揺れに揺れているので、本当に驚いたそうです。
アザンはちょうどシャワーを浴びていたときだったのですが、急にシャワー室が揺れ出したので、てっきり、他の3人が部屋の中で打ち込みなど、柔道の技の研究をし出したのだと思っていたそうですが、様子がおかしいから外に出るぞ!と3人が声をかけたので、バスタオル1枚で飛び出したと言っていました。
その後は、テレビを見る機会がほとんどなかったのが幸いだったようで、日本全体がどれだけ不安定になっていたのかということをあまり知らずに、柔道に専念しながら過ごしていたようです。
そのように、心配させないように気づかって最後まで御指導くださった菅波教授と、成田高校柔道部の田中先生、各柔道部員の方々、そして、彼ら4人を日本に受け入れる準備段階から、出迎えや激励会、最終日の見送りにいたるまで、いろいろな面でバックアップしてくれたザンジバル柔道基金の皆々様、
そして応援してくださった皆様に、心より感謝し、お礼申し上げます。
皆さん、本当にありがとうございました。

順天堂大学菅波盛雄教授から最後に手渡していただいたそれぞれの名前入りの黒帯を持って

順天堂大学の練習風景

成田高校 練習風景

☆成田高校では、じゃんけんも覚えました!
4人がダルエスサラームに帰国したのは、早朝5時20分到着の飛行機でしたが、出迎えてから夕方の船で見送るまで、日本の柔道のこと、生活のこと、その他・・・、ずっとしゃべりっぱなしでした。
しかし、自分達は、日本のちょっと強い高校生と同じようなレベルであり、日本での経験を生かして、これからザンジバルチームをみんなと一緒にレベルアップしていくんだという、謙虚で前向きな気持ちがみなぎっている様子に、安心しました。
4人のうち3人は、ダルの空港からホテルにつくとすぐに、菅波教授から最後に手渡していただいたという、
それぞれの名前入りの黒帯を、誇らしそうに見せてくれました。が、アブドゥサマッド(写真右から2人目)だけは、ごちゃごちゃに荷物を詰めたスーツケースの中の奥の方に入っているので、家に着くまで出せないといって、出しませんでした。彼のスーツケースはパンパンで、一度開けたらニ度としまらないような、すごい状態になっていたようです★
なにはともあれ、内容の濃い充実した柔道留学だったことは、よくわかり安心しました。
4月17日には、タンザニア国内体重別選手権大会が開催され、アザンが60kg級で、
アブドルサマッドは無差別級で、それぞれ優勝を飾り、日本行きの結果を一つ見せてくれました。
シャウリは81kg級で準優勝。これは、ザンジバルで練習を積んでシャウリを待っていたライバル ムバラクに負けての準優勝でした。
オマルドラは、仕事の都合で残念ながら不参加だったのが残念でした。
今度の試合では、4人そろって参加して、日本学んだことを生かして活躍してほしいです。
ということで、4人そろって無事、くったくのない笑顔でザンジバルに帰りましたので御安心ください。
      by 島岡由美子
ザンジバル柔道サイトは、こちらです。

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