ジャンボ!
ザンジバルは、ラマダン(断食月)明けのお祭りもおわり、たくさんの出店の屋台も解体されて、やっと日常が戻ってきました。
我が家でも、毎年恒例で、ピラウをたくさん作って、おもてなし。
漁業、運送、柔道の面々もやってきて、バラカトゥライディと新年のご挨拶。ふだんから会っている人同士でも、服装をあらため、家を訪問しあって、ご挨拶をして、一緒にお祝いのピラウやお菓子を食べ、コーヒーを飲む、食べるものや飲み物が違っても、日本のお正月を思い出します。
家で大量のピラウを作るときは、これまた恒例で、お料理上手の女友達ファトゥマさんに助っ人を頼みます。なんといっても、お米7キロ、ジャガイモ、玉ねぎ4キロずつにお肉5キロ入れて、炭で炊きますので、一人ではちょっと厳しいです。
ラマダン明けのお祭り時には、予定している友人知人の他に、見ず知らずの子供たちもピンポ~ンとベルを鳴らして、バラカトゥライディ!(ラマダン明けおめでとう!)とやってきます。
見ず知らずの子たちも、追い返してはいけなくて、用意していたお菓子やおこづかい(お年玉)を渡します。私は、長年、この知らない子にまでおこづかい(お年玉)をあげることに抵抗がありましたが、ある時から気持ちを変えて、とにかく小銭をたっぷり用意して待つことにしました。一日に何十人とやってくるので、いくら用意しておいても、なくなってしまうけれど、そうしたら、「今年のスククーはおしまい」ということに。そうしたら、子どもたちはあっさりさよなら。めげずにほかの家へ行っているようです。
この方法も、近所の人たちに教えてもらいました。
子どもたちには、一通りのあいさつの後に、名前と年と学年を聞くことにしています。
そうすると、15歳で4年生とか、12歳で3年生とかいう子たちもごろごろいて、まだまだ学齢期になってすぐに入学できない子たちもたくさんいることがわかります。
中には、「学校やめちゃったから学年はないよ」という返事が返ってくる、小学校中退組もちらほら。せめて小学校は終了できるまで学校に行けるようになるといいなと毎年思います。
ちなみに、ラマダン(断食月)は、貧しい者も、富める者も等しく空腹や乾きを覚え、同じ時刻に食し、祈りをささげる月。この期間は、貧しい人への喜捨も奨励されるので、タンザニア本土から一斉に物乞いがザンジバルに移動してくる時期でもありましたが、これに関してはずいぶん規制されたようで、昨今は、昔のような物乞いの人たちのラマダン中の大移動は見られなくなりました。
ラマダン中は、近所同士でのおかずの交換もさかんです。我が家も、隣3軒とほぼデイリーで、おかずをいただいたり、差し入れたりで、主婦としてありがたい日々。ラマダン中にはご飯を食べずに、ひたすら、いろいろな種類の芋や豆のココナッツミルクの煮込み料理が多いのですが、それがまたおいしいんです。
ちなみに、我が家のおかずで、ご近所さんに好評なのは、てんぷら、コロッケ、ヤギの中華風煮込みなどです。
ラマダンにしか作らない料理というのもあって、中でも私は、ビポポーという料理が好きです。キャッサバ芋を薄切りにして、乾燥させ、粉にする。キャッサバ芋の粉をぬるま湯で溶いて、白玉粉の要領で小さな団子状にしたのを、熱湯でゆでる、それをココナッツミルク&カルダモンで煮込むという、とても手のかかる料理です。
このビポポーは、トラックのドライバーのアリの奥さんの得意料理でした。「でした」と過去形なのは、アリの奥さんは、2年ほど前に、せきが出る、ぜんそくらしいと病院に運ばれ、たった2日で、文字通りの急逝を遂げてしまったからです。
アリの奥さんは、毎年必ずこのてまひまかかるビポポーを作ると、我が家に持ってきてくれましたので、アリの奥さんのつくっれくれるビポポー、おいしかったなあ、でももう食べられないんだなと思い出していたら、お母さんの味を受けついだ娘たちが、ビポポーを作ってもってきれくれました。一口食べてみたら、まさに同じ味でした。
アリの奥さんは、まだ40半ばで急逝してしまいましたが、なかなかザンジバルの女性でも作れないザンジバル伝統料理を、しっかり娘たちに受けついでいっていたのですね。
ビポポーを撮るのを忘れて食べてしまいましたが、ビポポーを持ってきてくれた娘たちと一人息子は写真を撮りました。ちなみに、アリの家は、6人娘のあとで、末っ子の一人息子が生まれて7人の子持ちです。上のお姉ちゃんたちは成人していますが、まだ末っ子も下の娘も、まだまだお母さんに甘えたい年齢・・・40代半ばで子供たちを残して急逝してしまったアリの奥さん、子どもたちの成長していく姿を見たかったことでしょう・・・。
親戚や親しい友人を招きあうのも、ラマダンの習わしの一つ。風通しのいい外にゴザを敷いて、大勢で食べるザンジバル料理はまた格別です。(サイディ&アミーナ宅で)
ラマダン中には、富める者も貧しき者も、日の出から日の入りまで、飲食をしないことによる空腹や乾きを共有したり、分け合って食べる食事の美味しさも共有します。ラマダン明けのお祭り時には、各家ごとにできるだけの食事やお菓子の用意をして、見知らぬ人まで含めて来るもの拒まずでWelcomeする、生きることは食べることを地でいくような、この季節は、食を通じたおおらかな共同体社会が形成される期間という気がします。
なにはともあれ、今年もラマダン明けのお祭りを、ザンジバルの仲間たちと、そろって元気にすごすことができたのはありがたいことだなと感じています。
そして、今度会うときは、この子たちが、どんなふうに成長しているかな?なんて思いながら、子どもたちのお祭り(スククー)2014記念写真を撮りました。
今日まで生かされていることに感謝しながら、自分に与えられた役割をはたしていきたいと心あらたに感じる、ラマダン明けのお祭り2014でした。
by島岡由美子
☆日本では、「キリンのベイカー」と、バラカジャパンで展開している、百貨店での夏のティンガティンガ原画展第一弾、名古屋JR高島屋も、にぎわいの中で終了できた様子、みなさん、暑い中、足をお運びくださり、ありがとうございました。
ベイカーも、大勢の方々の熱い視線の元でライブペイントを行うというアーティスト冥利に尽きる毎日をすごしながら、今まで以上に素敵なキリン作品を描き出したことででしょう。ティンガティンガ村のアーティスト達にも、ベイカーが元気にがんばっている様子を、随時伝えています。ベイカー、8月には阪急@大阪、9月にはタカシマヤ@横浜と続きます。
「ラマダン2014(断食月)、明けましておめでとう!」への8件のフィードバック
断食ってなんでするんだろうって思って思っていました。でみこの記事読んで食べること大切さを知るための行事であることなんじゃないかなって思いました
いいですね
ラマダン 日が出ている間は唾も飲み込まないという厳しい戒律の宗派もあるそうですが、イスラム教発祥の地では砂漠もあり、そういった中でも生き残る、お互いに助け合うなどといったことが大事だったんでしょうね。
エジプトから来た大砂嵐関も、名古屋場所がラマダンと重なっていたのですが、頑張っていました。
由美子様ジャンボ!
ラマダン明けの時期のお話興味深く読ませていただきました。
日本で言うお正月のような感じなのですね。初めて知りました。
それにしても、ピラウを始めとする、我々の日常からは想像もつかないようなとても大量の料理を毎回作られていることには大変頭の下がる思いです。
ビポポーのお話は、アリさんの奥様が若くして急逝されたのはつらいことですが、とても良いお話でした。
名古屋で開催されたティンガティンガ展、あのキリンのベイカーさんということでFacebook等でずっと注目してしましたが、9月に横浜にも来られるのですね!
とても楽しみです!
☆づみさん、ジャンボ!
そうですね。断食月は、食べることの大切さとともに、食べられることのありがたさを、あらためて感じる日々のように思います。水が飲めることのありがたさも同時に。
それを、貧しき者も、富める者もみな等しく行うところに意義があるのではないかなと毎年感じています。
☆ジュマパパさん、ジャンボ!
砂漠の40度も50度もあるようなところでラマダンをするのはもっともっと大変だと思います。唾を呑みこんでもいけないとなると相当大変でしょうね。
ザンジバルはそこまで厳しくないので、毎年の行事の一つとして、生活の中で自然体でラマダンをしているような感じます。
今はエジプト人のお相撲さんもいるんですか?それにしても、大砂嵐とは、いかにもって感じのネーミングですね。エジプトのピラミッドを観に行ったとき、砂嵐で一発でカメラが壊れたのを思い出しました。
大砂嵐関は、ラマダンと名古屋場所がかさなって、大変だったでしょうね。
☆谷崎さん、ジャンボ!
はい、ラマダン明けは、日本のお正月を祝うような感じです。過ごし方も、似ていますね。
大量に炊くピラウはおいしいですよ。
我が家が特別ということでもなく、来客の多い家では、5㎏ぐらいの米で炊くのは普通の感じです。女性たちは、親戚の女性を助っ人によんだり、近所で助け合って大鍋で大量にピラウを炊きます。こういう料理一つにしても、地域の共同体が生きている感じです。
これからも、私はビポポーを食べるたびに、アリの奥さんのことを思い出すでしょう。
キリンのベイカー、9月にはタカシマヤ@横浜にも行きますので、お楽しみに!
まずは、あさってから、阪急@梅田(大阪)です。
始めまして。私が通っております横浜の「みなとみらい歯科」の先生から「我が志はー」を紹介されてとても感銘を受けました。(続編も読了しました)還暦の半ばになりまして島岡先生たちと志は共有いたしましても行動を共にするのには無理な歳となりました。私は南区の生まれで中学も南区の共進中学に行きました。島岡先生の馴染みのおでん屋へは福富町にある時に何度か行ったことがありました。来月の高島屋を楽しみにしております。ご健勝を。
☆蜷川正大さん、ジャンボ!
拙著我が志アフリカにありと、続編も読んでくださった上での初コメント、そして激励、ありがとうございます。蜷川さんのお気持ちが伝わってきました。
おでんの「好の家」さんは、今は、港南区総合庁舎前の地下鉄駅から歩いて3分の場所(マックの横)にあり、マスターもお元気で、おでんのおいしさも変わりません☆
横浜タカシマヤに行ってくださるのですね。初来日アーティストのベイカーがライブペイントをしていますので、本場のアーティストの筆使いなど、ゆっくり観てきてくださいね。
会場では、バラカジャパンがお迎えしていますので、ぜひお声掛けください。