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柔道2022の締めくくりは、タンザニア五輪委員会によるパリ五輪の国内強化選手選抜戦

サッカーのワールドカップで巷が盛り上がる12月、ダルエスサラームで柔道、野球、ソフトボール大会が同時期に開催され、私は試合場への移動と応援で気ぜわしい日々でした。
特に、ダルエスサラームは、このところ道路の拡張工事で各所で大渋滞が起きているのです。
 1つ前のタンザニア便りでお伝えした野球&ソフトボール大会の数日前と、直後(厳密にいえばまだソフトボールセミナーの最中)に、柔道大会が2つありました。
 1つは東アフリカ柔道クラブ選手権大会(いつもの東アフリカ選手権とは別です)で、最初はキリマンジャロの麓のモシで開催われる予定だったのが、大会3日前になって急遽ダルエスサラームでおこなうという知らせが来たので、バスやホテルのキャンセルと、ダルエスサラームでの宿泊の手配でばったばたでしたが、なんとかザンジバルからクラブチームを送り出しことができ、結果は、金2 銀3 銅2 でした。

この試合は観に行かなかったのですが、チームを率いたモハメッド会長からの写真です。

 <パリ・オリンピック2024に向けて、タンザニア五輪委員会による大会

2つめの柔道大会の方は、タンザニアオリンピック委員会が、2014年のパリ・オリンピックに向けての国内強化選手を選抜する大会ということで、「陸上」「ボクシング」「柔道」の三種目に限って大会が開かれ、柔道とボクシングはダルエスサラームにある国立競技場内のインドアホールでおこなわれました。
 3位までの入賞者が強化選手になるということで、ザンジバルからは9名参加し、5階級で、金1 銀2 銅3で、6名が選ばれました。


 60㎏級はチーム最年少の、双子の片割れハリッドが大善戦、タンザニアの60㎏級の往年の実力派マゴゴ選手に臆することなく技をかけていき、試合後半に技ありを先制したものの、経験豊富なマゴゴ選手に試合終了間際で技ありをとられて同ポイントとなり、ゴールデンスコアに(延長戦)。そこからは技を封じられて負けてしまいましたが、よくがんばったと誰もが声をかけていました。

66㎏級も、若手のモハメッド・ハジが善戦し、優勝した選手とほぼ互角に渡り合い、会場を沸かせましたが今一歩で力及ばず、決勝進出はならず3位入賞でした。

活躍した若手二人 右が60㎏級ハリッド 左が66㎏級モハメッド・ハジ

73㎏級はペンバ島のワリッドが大会前に交通事故で負傷してしまい、出場はアリサイディ一人だけになってしまいました。きれいな背負いがタイミングよく決まって勝ち上がったものの、準決勝では寝技にもっていかれ、抑え込まれて決勝進出ならず。3位決定戦ではまた背負いで一本勝ちを決め銅メダル。


 81㎏級は得意の大内がりを武器に決勝に進出したバルクでしたが、81㎏級では段ちに背の低いアンドレ選手に背負いで担がれて優勝を逃しました。
90㎏級は、ハミシィとハフィズゥが安定した試合運びで両者決勝に上がり、ハミシィ選手が優勝。

表彰式までいなかったので、メダルなしの写真ですけど、全員入賞組です。(右はモハメッド会長)


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<メダル到着は3時間後>
 ところで、この大会は、インターナショナル五輪委員会(IOC)からの支援を受けたタンザニア五輪委員会のもとで、陸上、ボクシング、柔道の国内選抜試合がおこなわれ、勝者(強化選手)にはメダルと賞金が出されることになっていましたが、試合がすべて終わっても、メダルも賞金も用意されておらず、私たちは、その日、まだソフトボールのセミナーなどがあったため、柔道の会場を後にしたため、メダル授与のシーンは見ることができませんでした。
結局私たちが会場を後にして3時間以上待って、やっとメダルと賞金が届いたそうです。なんでも、当日、タンザニア五輪委員会の担当者が、まだ賞金を銀行から出していなかったそうです。でもまあこういうことはタンザニアではよくあることなので、選手たちは慣れたもので、遅いランチを食べてのんびり待っていたそうです。


それはさておき、このようにタンザニア五輪委員会が招集をかけて次のオリンピックに向けて国内選抜大会をおこなう中に「柔道」も入っていたのは、この国で柔道はじまって以来のことなので、それだけタンザニアの中で、「柔道」というスポーツが認められたという点では意義深い大会でした。

赤い服の人が、タンザニア五輪委員会会長グラムAラシッド氏  (写真はモハメッド会長から)

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<サレヘの涙>

ザンジバル柔道の初期を担ったサレヘやキデーゲといった往年の元選手たちも、審判として参加していましたが、サレヘも年を取って涙もろくなったのか、試合がおわって立ち話していたとき、急に、
「自分たちが第一期生としてはじまったザンジバル柔道が今まで続いていて、自分の息子よりも若いザンジバル選手たちが活躍する時代になり、こうして今でも、いろいろな大会に参加し続けてこられるのは、畳も柔道着もなかった青空道場の時代からは想像もできないことでした。本当に継続は力ですね。 センセイ、ありがとう」 
と言って島岡名誉会長の肩をつかんで、急に涙をぼろぼろこぼして泣き出してしまいました。
言われた本人の島岡の方は、「いつものことなのに、なぜ今日に限って泣くんだよ」という感じでしたが。

思えば、ここ数年は、弟子たちの自主性に任せて、島岡自身は遠征時にほとんど同行しないようにしているので、ザンジバル以外で開催された大会でチームと一緒にいることは久々だったからかもしれません。
サレヘのその言葉を聞いて、私も久しぶりにザンジバル柔道の、畳も柔道着も何もないところで屋根もない空き地の青空道場で練習をしていた初期のころのことを思い出してじんとしてしまいました。

また、なんといってもザンジバルは島国で、ザンジバルから海を渡ってどこかに行くということ自体が、普段の生活ではほぼないことなので、柔道の試合でしかザンジバルを出たことのない人たちも多く、タンザニア本土はもちろん、アフリカの中でも大陸に住む人たちと島に住む人では、外に出るという思い自体が全く違うのかもしれません。だからサレヘの思いもひとしおだったのかなと思いました。

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<ザンジバル革命記念日に向けた大会は、ドタキャンに>

ところで、例年ですと、柔道の締めくくりは、恒例のザンジバル武道館杯なのですが、今年は12月にこれら2つの大会があり、あと、12月25日には、ザンジバルスポーツカウンシルの方で、1月12日のザンジバル革命記念日向けに、ザンジバル マーシャルアーツ(柔道&空手)革命杯を開催するという計画だったため、今年の武道館杯は来年にもちこしにしたという経緯がありました。
 しかし、ダルエスサラームでの大会を終えてザンジバルに戻ると、いきなりスポーツカウンシルのほうから、やっぱりマーシャルアーツ革命杯はキャンセル というドタキャンの知らせが!!
 東アフリカ柔道クラブ大会は試合3日前に急に場所が変更になり(500㎞も違う場所に)、タンザニアオリンピック主宰の柔道大会も急な日程変更が2回ありながらもなんとか開催されましたが、ザンジバル革命武道杯はドタキャンで開催がなくなって残念でした。


 が、その代わりに、柔道連盟、野球&ソフトボール連盟合同でザンジバル武道館に集まって、1年を振り返り、大会でのがんばりを互いに称えあい、来年もそれそれががんばるぞという気持ちになれるような年越しパーティで今年を締めくくることにしました。
 野球選手たちも、ザンジバル武道館に泊まり込んで合宿をしたりしていて、柔道の練習も見に来ていたりして交流が深まっているので、スポーツの種目は違えど、ファミリーのようなものですから。

大会前の試合形式の練習@ザンジバル武道館    野球選手たちも見学に。
延々と打ち込みの練習をするハミシィとハフィズ

 

柔道も、今年の大会が終了したので、また普段の地道な練習に戻ります。

今年も心からの応援ありがとうございました。
お体に気をつけて、良い年末年始をお過ごしください。

                       島岡由美子

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