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おすすめ本 『まだら模様の日々 岩瀬成子著』

『まだら模様の日々』は、岩国出身の岩瀬成子さんが、子ども時代を回想しながら綴られたエッセイと、家族が登場する短編小説の両方が読める贅沢な本。

子ども時代に見たこと、聞いたこと、感じたことを、大人目線ではなく、子どもだった当時の目線で綴っておられるので、なんだか自分まで小さいころに戻ったような、なつかしい気持ちになって読み進めることができました。

岩国は、一度だけ行ったことがあります。といっても友人に会うのが目的で、かけあし移動でしたが、日本三名橋の1つ、美しいアーチの錦帯橋を通りました。「玄関」というエッセイの中の、台風の準備中の会話に「錦帯橋が流されて・・・」とあって、あっあの橋だ!となつかしくもあり、そんなことがあったのかと台風の恐ろしさも感じました。

台風前の備えについても出てきましたが、私の家でも、子どもの頃は、台風が近づくと、父や叔父が家の窓に板を打ち付けて、ろうそくや懐中電灯、食べ物を用意して備えましたし、近所もそうしていたので、台風前は、トンカントンカン金槌の音というイメージでした。その後、ビルやマンションが立ち並ぶようになって、そのような台風前の光景もなくなっていきましたが。

岩瀬さんは、幼いころにお父様を亡くされ、お母様との葛藤が長くおありだったと、この本のあちこちに書かれていました。私自身が子ども目線になって読み進めていたため、母娘の葛藤シーンではとても切なくなってしまったのですが、そんな中にも、いっしょに星を見上げたことや、歌を歌った思い出なども綴られていてすごくほっとしました。  

不思議なムード漂う短編は、より不思議ムードのあるおばあさんの兎山が印象深かったです。おじいさま、おばあさまのやりとりが戦前に育った世代のご夫婦という感じがしましたが、おばあさまの夫をいばらせてあげている的な立ち位置でのやりすごしかたは、おじいさまより一枚上手ですね。

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ところで、本の中にガマの油売りが出てきたので、思い出したのですが、私の故郷名古屋のど真ん中、栄のテレビ塔の下の噴水あたりでも、映画フーテンの寅さんのような男の人が、口上を言いながらモノを売っていて、よく人だかりができていました。

ある日、私もその輪の中に入ってみてみたら、名古屋の寅さんは、見物人の前で、自分の左腕を包丁です~っと切ったのです!すると、腕から一筋す~っと血がにじみ、たら~っと流れました。そして、「いててててて!今日は深く切りすぎちゃったよ」と言って、見物人によく見えるよう、血がにじむ腕を前に出して見せながら、ぐるりと一周。

 そして、おもむろに、膏薬を出して、傷にぬると、あ~ら不思議、一発で血が止まってしまったので、驚いたのなんの!

これを見たときの私は幼い子どもではなかったから、すでに昭和50年代になっていた頃だったと思います。高いビルや百貨店が立ち並ぶ栄の風景と、名古屋の寅さんの昔ながらの口上とパフォーマンス付きのセールス(?)の仕方が対照的で強烈でした。

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 昭和という時代は、戦前戦後にわかれますが、戦後というのも、戦後も間もない復興の時代と、インフラ、建設も伴って、日本中の景色が変わっていった高度成長期、イケイケだったバブル期、そして、バブル崩壊・・・昭和だけでもいろいろな戦後があったように思います。

 戦争を知らない私の記憶は昭和40年代からですが、その頃になってもまだ、名古屋城や栄など、人通りの多い場所には必ず傷痍軍人の方々が伏し目がちで寡黙にたたずんでいたことを覚えています。

昭和62年に日本を出てアフリカに渡って以来、日本を離れているので平成の流れからは、日本の雰囲気がほぼわからないのですが、たまに帰国すると、昭和時代と価値観がずいぶん変わったことに驚きます。 とくになんとかハラスメントというのが多くなっていて、時代についていけない感も。 

・・・いつものように、話が脱線してしまいましたが、『まだら模様の日々』は作者の子ども時代の詳細な思い出が、子ども目線でまっすぐに綴られていたことで、私までそれにつられて子供時代にワープした感覚になり、今は亡き両親や祖母祖父をはじめ、昭和を生きた人々の様子がたくさん浮かんできて、一体感となつかしさが入り混じった、不思議で楽しいながらも、ほろ苦さもある、そんなひとときを過ごすことができました。

この本に出会えてよかったです♡

                 島岡由美子

 まだら模様の日々 岩瀬成子 かもがわ出版 1800円+税

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