コモンウェルスゲームズこと、旧英連邦のオリンピックといわれる大会に出場していた アブドルラッビルがザンジバルに帰ってきました。
タンザニアチームは、陸上、ボクシング、柔道、水泳、障碍者競技の選手たちが出場して、陸上で銀1 銅1 ボクシングで銀1を獲得したそうです。
柔道は、66㎏アブドルラッビル、73㎏にトーマスムエンダが出場して、両者とも残念ながら1回戦負けを喫してしまいました。
とはいえ、コモンウェルスゲームズは、タンザニアでは、オリンピック、オールアフリカゲームズと並ぶほど重要視されている大会で、この3大会は、オリンピック委員会の元で、タンザニアチームが編成され、ほんの一握りの選手しか出場できない大会です。
晴れの舞台からザンジバルに戻ったアブドルラッビル、誇らしげに大会ゼッケンを背につけて、ザンジバル武道館での練習に戻っています。また、彼は、地方にあるインターナショナルスクールの子どもたちにも柔道を教えているので、きっと子供たちのあこがれの先生になっていることでしょう。
柔道選手がで、タンザニアオリンピック委員会の元、タンザニアチームに選ばれて、コモンウェルスゲームズ大会に初めて出場したのは、今から20年前の2002年のマンチェスター大会でした。それまで、タンザニアの中で柔道というスポーツがマイナーだったため、大きな国際大会に選ばれることがなかったからです。
この年のタンザニアチームは、陸上、ボクシング、柔道、障碍者競技の選手たちでの編成で、この大会ではマラソン男子が金メダル、1万メートルで銅メダルを獲得しました!初参加の柔道は、両者とも1回選負けでした。
あれから、20年、大きな国際大会ではオリンピック委員会の元、柔道選手も選ばれるようになっていて、今年のコモンウェルス、バーミンガム大会でも、2名の柔道選手がタンザニアチームに選ばれて出場したのは感慨深かったです。
これからも、礼に始まり礼に終わる日本発祥の「柔道」が、日々の地道な練習の中で、自他共栄、精力善用、力必達の精神性も一緒に、より一層この国に根付いていってほしいです。
日本にはなじみのない英連邦のオリンピックこと、コモンウェルスゲームズの話題でした。
島岡由美子
★2002年のコモンウェルスゲームズのことは、「続 我が志アフリカにあり」 の「柔道を通してみるアフリカ」の章の「ザンジバル勢、国際舞台へ」に詳しく書いています。
★9月15日追記*この便りをアップしたのが9月8日の夜、翌日にエリザベス女王ご逝去のことを知りました。70年にわたって女王としての責務を果たされたことに敬意を表します。 アフリカ各国含む英国植民地だったことのある国側からすると、複雑な思いのある人たちも多いと思われます。それは、奴隷貿易時代の後、長い植民地時代を経て、国(多くは、欧米諸国の都合での国境で線引きされた)としての解放、独立、アフリカ各国の国作りという激動の時代でしたから、様々な立場からの思いが錯綜するのは仕方ないことと思われます。