2023年1月12日、第59回目のザンジバル革命記念日がめぐってきました。ザンジバルにとって、一番大きな祝日で、この日に合わせて、様々な式典がおこなわれますが今年の大きな目玉は、日本のODA→JICA(Japan International Cooperation Agency)の援助によるマリンディ漁港と魚市場の完成式でした。
十数年前から、港はバキバキに壊れていた!
ここマリンディは、ザンジバル漁業界の要の漁港なのですが、十数年前から瓦解と浸食が始まり、10年前のJICAさんやコンサルタント会社の方々のリサーチ時には船着き場のコンクリートが瓦解して全体がバキバキになっていました。
実は、この港は約二十年前に、他国の援助で修繕されたことがあったのですが、その時に作られた岸壁が、海水の浸食によって少しずつ壊れかけていたのですが、ある日、コンクリートの壁が思いっきり瓦解してそれからずっと港はバキバキのままだったのです。
建設工事期間は3年半ぐらい(途中コロナ渦で中断もありながら)でしたが、JICAさんのリサーチが始まった時からだと10年にしてこの立派で安全な港と魚市場が完成、ザンジバルの漁業関係者が心から待ちわびてきた港の改修工事の完了でした!
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オープニングセレモニーの盛り上がり
長年待ち望んでいたこともあり、ザンジバル側の式典にも力が入っていました!
美しく国旗色の布で飾り付けられた魚市場、大勢が集まり、祝典に参加。
まずは港と魚市場の完成と今後の安全の祈り、今度は女性による感謝と安全の祈りのポエムを歌のように上演。女性1名と男性2名のトリオによる寸劇。もちろん、この寸劇も、この港や魚市場の完成にまつわる内容です。それを、日本でいえば思い切り東北弁にあたるスワヒリ語のなまり言葉でしゃばるものだから、もうおかしくておかしくて、観客も笑い転げていました。
ペンバのムセゥエというンゴマ踊りで締めたあとに、要人からのスピーチが始まりました。
無償援助でザンジバルに港と魚市場をもたらせたJICAタンザニア所長、山村氏によるスピーチ。 この案件でリサーチが始まった頃から数えると、山村さんが4人目の所長さんですから、とても長い取り組みだったことがわかります。
在タンザニア日本大使館からは三澤大使がスワヒリ語でスピーチ。
三澤大使はスワヒリ語で話されたので、食いいるように耳をそばだてて聞いているのが肌で分かりました。やはりスワヒリ語の発祥地であるザンジバルだけあって、スワヒリ語が大好きなんですね。また、大使ご自身も子供のころから海や釣りが好きで、お父さんと海辺に行くと、魚市場に行ってそのあたりにはどんな魚が釣れるのかを見るのが好きだったというエピソードも織り交ぜて話されたのでとても親しみを感じていたみたいです。
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スピーチはその後も続き、元漁業相、現在はブルーエコノミー省の大臣、ザンジバル副大統領に続き、最後の締めは、ザンジバル大統領、ムィニ氏でした。
ムィニ大統領は、スピーチの中で、日本の援助で立派な港と市場が完成したことへの感謝のほかに、「ザンジバルでは、今後も各地の漁港をこのような立派な港にしていく」・・・ なんてこともおっしゃってましたけど、この漁港整備は日本の援助での賜物。先進国からいかに援助をひっぱるかが良い大統領の証 というアフリカ各国の大統領にありがちな言い回しに感じてしまって、やはり、この方(ザンジバル大統領)も、もっともっと外国から援助をとってくる俺はいい大統領 とおっしゃりたいのかなとちょっと穿った印象をもってしまいました。
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式典の中で、漁師の長老が、大統領に陳情!
これで式典が終了したのですが、並み居る方々の中に、異色なワゼー(お年寄り)が二人登場した場面がありました。
マリンディ漁業界の二人の重鎮、80代の漁師さんでした。
島岡会長が、ザンジバルで漁業を始めた30数年前に、ばりばりの50代漁師としてリーダーだったお二人の登場に、とてもなつかしくなり、木造漁船カクメイジ号の第一隻目で海に出始めた当時からの様々なことが思い出されました。(現在までにカクメイジ号は8隻に増えています)
ザンジバル漁業の長老は、日本大使、ザンジバル大統領の前でも臆せずに堂々と話し出し、
「我々のマリンディ漁港がこんなにも立派になって大変うれしく思います・・・というお礼の言葉から始まり、最後には、「・・・しかし、新しい漁港になったからと、漁業相は、漁民の網小屋や水揚げ時に、貧しい漁民の我々にはとても払いきれないほどの使用料を要求しています。これでは、漁民の生活が成り立ちません。大統領に直々にお願いします。漁民への請求額をもと、生活レベルに合わせた適正な価格にするようお願いします。」
と、陳情してしめくくり、あっぱれでとてもかっこよかったです。
この陳情が始まったとき、会場はややざわめきましたが、(えっそんなこと言って大丈夫?みたいな雰囲気)・・・長老たちは臆することなく、漁民の代表としてきっちり陳情をして、役目を終えたという自然な表情で席につきました。
大統領はそのスピーチに反応し、「その件については早速漁業相と相談しますが、私の一存で、漁民が使う網小屋の使用料は下げることを約束しましょう」と発言。 もうその日の午後から漁業界はその話題でもちきりでした。(とはいえ、実際にどのような手が打たれるかは定かではありません)
という感じで、この日は、大変立派な式典の中でいろいろな場面でもりあがりましたが、私はこの長老たちの姿が一番印象に残っています。
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魚市場、いきなりにぎわっています!
さてさて、そんなこんなでオープニングが盛大におこなわれたマリンディ漁港と市場は、翌朝から早速使用OKとなり、あちこちの小港にちらばっていた魚売りたちが市場に集結し、連日大変な賑わいになっています。
安心安全な港になって、マリンディに活気が戻りました!
そして、そして、がたがたで歩くのも危険だった港が、スムーズな傾斜がついた立派な港に変身し、多くの漁船が寄港し、その魚を待つ人々で、昔のような活気が戻ってきました。
関係者のみなさまに、感謝!
工事に足掛け4年、調査段階からいれると10年、・・・ほんとうに大勢の方々のご尽力で、立派で安心安全な港ができあがりました。
私たちは、時々、工事現場を見せていただいていたので、港も魚市場も、だんだんと形になっていくのがとても楽しみでしたし、日本ではありえないような様々な問題が起きる中、関係者の方々のたくさんのお骨折りの中で工事が進んでいることもよくわかりました。
特にこの工事はコロナ渦に巻き込まれていったん工事が中断していますから、本当に大変だったと思います。
マリンディ漁港&魚市場プロジェクトの関係者の皆々様に、ザンジバルの人々が、本当に喜んでいて、「日本の人たちにありがとうって伝えて」と大勢から言われていることをお伝えしたいです。
バラカタンザニア 島岡由美子
★お知らせ
ただいま、バラカでは、アフリカ製品プロジェクト25周年感謝キャンペーン中で、感謝をこめてプレゼントもご用意しておりまして、ブログ、インスタ、ツィッター、FB記事へのコメントなどからエントリーできます。2月19日までです。
アフリカフェというタンザニア産インスタントコーヒー、1品目の輸出から始まったアフリカ製品プロジェクト、継続の中で、輸出品目も増え、製品の裏側にいる、コーヒー、紅茶、スパイス、綿花、カシューナッツなど農園の人々をはじめ、布、ティンガティンガ・アーティストなど、大勢のアフリカの人々の笑顔も増えてきました。
日本の皆様にも、アフリカ製品プロジェクトを通して、タンザニアをはじめ、アフリカ製品を食べ、使い、飾り、着て・・・身近に感じて下さっているといいなと思います。
プレゼントのエントリー、詳しくは→ https://africafe.jp/news/17125
「ザンジバルのマリンディ漁港と魚市場が完成~瓦解し、バキバキに壊れていた港が安心安全な港に!」への4件のフィードバック
漁港と魚市場の完成、おめでとうございます。
島岡ご夫妻の10年にわたるご尽力を想うと感無量です。
漁港と魚市場の完成がザンニバルの皆様のより良い暮らしにつながることを願っております。
渡邊桃伯子さん☆コメントありがとうございます。
この漁港と魚市場は、ザンジバルの大勢の人々の生活に直結していますので、この完成はとてもよい影響があると思われます。
ところで、この漁港も、魚市場も、JICAさんによる日本のODA(政府開発支援)ですので、島岡側はザンジバルの人たちと、完成を心待ちしていただけですが、せっかくなので、日本の方々にも立派になった港の様子をお伝えし、工事に関わられた関係者の皆様への感謝を綴りました。
見違えるほど綺麗ですね。おめでとうございます!12月にお世話になった島岡さんと三澤大使のお写真を見て、嬉しくなりました。
柴田薫さんコメントありがとうございます。はい、とってもすばらしい港と魚市場の完成に、ザンジバルの人たちとっても喜んでいます!マリンディ漁港に活気が戻ってうれしいです。 三澤大使も心のこもったすばらしいスピーチでした。 島岡も元気にしています! また柴田さんとお会いできる日を楽しみにしています。