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ペンバ島での野球大会*野球道具、日本から到着

こんにちは。柔道のことが続いていましたが、今日は、久々に「野球」話題。ペンバで初めての野球大会のことと、日本から届いた野球道具のことをお伝えします。
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今年も9月に、ザンジバル教育省による、「ザンジバル教育無償スポーツ大会」が開催され、「野球」も公式参加しました。
今年は、ペンバ島で大会が開催され、ウングジャ本島から1000人以上の学生がペンバ島に渡って、ザンジバルで各スポーツのザンジバル学生一を競いあったそうです。
サッカー、バスケット、卓球、陸上、ネットボール、つなひき、民族舞踊に至るまで、スポーツ文化の広い分野で大会が開かれるなか、「野球」も昨年から公式競技の1つになっています。
(ザンジバルは、ウングジャ本島と、ペンバ島の2つの島から成り立っています)

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野球は、ウングジャ本島から選ばれた2チームが、勇んで海を渡って、ペンバ島に乗り込み、ペンバの野球チームと決定戦を行う予定でしたが、なんと、ペンバ島で開催なのに、ペンバチームがドタキャンするという、どたばたな顛末で、結局2日に渡って、ンディジャニと、ムワナクウェレクウェが試合をし、2日ともンディジャニチームが圧勝したそうです。

このところ、ザンジバルのウングジャ本島内では、田舎のンデジャニチームが、町の代表ムワナクウェレクウェを破るという図式が続いています。(4月のザンジバル大会でも決勝は同じ顔ぶれで同じ結果でした)
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場所は、ペンバ島のゴンバニ国立競技場のグラウンド。白い建物がスタジアムで、赤い屋根の建物がペンバ武道館なので、ウングジャ本島でアマニ国立競技場の敷地(スタジアムとザンジバル武道館の間のグラウンド)でおこなうときと、シチュエーションが似ています。

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ところで、ペンバチームのドタキャンには、選手たちがサッカーなど他の競技の選手も兼ねているので、そちらにひっぱられて、メンバーが揃わなかったというのが大きな理由のようです。しかも、ペンバチームの方で用意知るはすだったバックネットや、得点版もなくといったないない尽くしの状況だったようですが、なにはともあれ、ザンジバル教育省主催の公式スポーツ大会に「野球」というスポーツが正式に組み込まれたのはうれしいことです。
来年はウングジャ本島で開催されるそうなので、今年出られなかったチームも参加できるといいなと思います。

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☆私たち島岡は、この大会には同行しなかったので、野球チームを引率したザンジバル野球連盟のショカ書記長と、コーチ役や審判を務めたプリンスたち、第一期生たちの報告と、選手たちが送ってくれた写真でお伝えしました。
☆そのほかの写真は、ザンジバル野球連盟サイトでご覧下さい。
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さて、今年の野球は、毎年12月に開催されているタンザニア甲子園野球大会2019が最後の試合になるので、それに向けて練習に励んで・・・・いると書きたいところですが、実際には、例年より早くきた雨季に悩まされているところですが、とにかく晴れの合間を縫って練習しています。
昨年から、ザンジバルは日本人指導者0の中、自分たちで教えあい、練習しあっているザンジバルチーム。それが本来の姿でもありますので、今まで教えていただいた日本の方々からの学びを生かして自分たちで強いチームにしてほしいです。

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『日本から、野球道具到着』
ところで、「野球をやってみたい」という学校や地域からの声に応えるには、野球道具の確保が重要課題でもありましたが、このたび、ZTBサポーターズクラブさま(代表 小山氏&座間氏)や、青森エフォートクラブさま(代表 上野氏)が集めてくださったものが、10月はじめにザンジバル港に到着。
yっとコンテナのクリアランス手続きを終えて、ザンジバル武道館に運び込み、荷物を開梱して確認することができました。

早速、すいぶん前から、野球参加表明していたペンバ島1地区、ウングジャ本島の2つの学校にも分けました。
ペンバ島で新チームの指揮を取るのは、ザンジバル野球第一期の時代に、参加していたというサルムが、同じく第一期生で現在ペンバ島に在住のカシムと一緒に二人で野球チームを作るとはりきっています。初代コーチ上原さんが蒔いていってくださった野球の種が、ペンバ島でも開花するよう見守っていきたいです。
「Mr,TAKU(上原拓さんのお名前)によろしく伝えてください」
 とのことなので、この便りに書いておきます。
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はりきるサルム(右)の隣で笑っているのは、第一期生の時代から、名誉会長の島岡とともに、ザンジバル野球連盟を牽引してきたオスマン会長(左)。

実は、オスマン会長は、今年のラマダン中(5月)に倒れて、半身麻痺になってしまっていました。でも、「12月のタンザニア大会には一緒にダルエスサラームへ行こう」を合言葉に、リハビリにはげんでおり、最初は体を起こすこともできなかったのですが、今では、杖なしで歩け、全くでなかった言葉も、ゆっくりながらも会話が十分成立するほどまで回復しています。
「病院は寝ているだけだからいやだ」と、数日で自主退院して、あとは、自宅で自己流のリハビリをしていますが、とにかく家の周りを歩いているそうです。 
とはいえ、彼の家の周りは、舗装されていないがたがた道で、石ころや穴ぼこも多く、リハビリに適しているとは思えない環境ですが、それが当たり前でいる人たちにとっては、こういう場所ではリハビリできないなんていう観念はないのでしょうね。
それに、私たちがお見舞いに行ったときも、彼の家にはとにかく人がいっぱい出入りして、オスマンが「あー」とか「うー」とかしかいえなくても、いっぱい話しかけ、お互いに笑っていたり、少しでも立てるようになったら、散歩にいこう、モスクに連れて行ってあげるよと、家族以外の人が誘いに来る・・・。
オスマンの回復ぶりの影には、本人の努力とともに、家族と、そしてこうした近所の人たちのサポートがあってのことなんだなと感じました。そして、同時に、元気だったときのオスマンが周りの面倒を見て、人々に愛されるキャラクターだったということなどもたくさん見えてきました。
オスマンは現役の中高の先生でもあるので、生徒たちも、野球連盟のみんなも、オスマンの復帰を願っています。
ザンジバル野球の発展とともに、オスマンのさらなる回復を心から祈りながらの野球道具開梱となりました。
野球道具のご協力いただいたみなさま、ありがとうございました。
1つ1つ、大切に、適材適所に配りながら使わせていただきます。

『アサンテ サーナ!(ありがとうございました)』
                  by島岡由美子

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