ザンジバルのペンバ島では、新しい屋根つき道場ができました。
道場の外から、パチリ。
こちらは、道場の中。
あとは、畳を運んでこれば、練習ができる という段階の時です。
道場に集まってにこにこしているペンバ島の弟子たちに、ザンジバル柔道連盟名誉会長の島岡に、
「道場を建てるのが、目的でもゴールでもない。
この道場を生かして、練習をし、ケンゲジャから強い選手を出すこと。
柔道をとおして、このケンゲジャでも、心身ともに強い人間育成をしていくことだ。
それは、お前たち自身でやることだぞ」
といわれ、そのときだけは、神妙な顔で、「オッス」とこたえてはいましたが、まずは、屋根付きの新道場ができて、天候にかかわらず柔道ができるようになって、笑顔、笑顔の選手たちでした。
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新しい道場を建てたのは、ペンバ島のケンゲジャという漁師村です。
ここケンゲジャの柔道家たちは、5年以上、青空道場でがんばってきました。
「ど」がつくほど、田舎で、娯楽がないので、柔道は、やる人よりも見物人のほうが多いのが特徴です☆
屋根のある道場ができれば、雨の日でも柔道ができるようになります!
(ペンバ島は、ウングジャ本島より、天候の変化がはげしく、雨が多いのです)
★これは、建設前の青空道場時代。
練習の最中にスコールがふってきて、みんなであわてて畳をしまったときの思い出写真です
「なぜここに、柔道場?」
という感じの場所に、実は、今年の3月から道場建設を始めていました。
バナナややしの木がいっぱい、鳥がさえずり、牛が鳴き、子供もわんさかいて、ローカル色満点の中で、建設が進んでいきました。
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本職の大工は、キデーゲことアリジュマを棟梁とした数人のみ、屋根などの専門的なこと以外は、柔道家たちが、マンパワーで協力してがんばって作りました。
道場名は、ザンジバルスポーツ教育振興会の会長大山宏治さんのお名前をとって、「ケンゲジャオオヤマ道場」と名付けました。
この道場は、柔道場のほか、村の人たちの結婚式や踊りの披露など、文化ホールとしても期待されているので、村の人たちも毎日工事の様子を見に来ていました。
ザンジバル柔道連盟のコーチの一人で、長くこのケンゲジャ道場にかかわっているアブダラコーチ(右側)も、ペンバ入りして、選手たちと共に作業を進めていて、この道場に思い入れがあるため、「ケンゲジャにこんな立派な屋根付きの道場が建ったなんて、夢のようです」を連発していました。
左は、棟梁キデーゲ(彼もコーチです)
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建物ができたので、ウングジャ本島にあるザンジバル武道館から、畳や柔道着を船でペンバ島まで輸送して、
(☆ザンジバルは、ウングジャ本島と、ペンバ島という二つの島で成り立っています。)
(ザンジバル武道館から、畳を港に運ぶところ)
ペンバ島の港から、ケンゲジャまで陸送して、道場にしき、
電気工事やペンキ塗りなどは、あとまわしになりましたが、とりあえず練習開始。
(この写真は、ペンバ島で新しくコーチをしてくださることになった、古内彰さんが、送ってくださいました。)
ザンジバル柔道連盟としては、すぐにでも道場の落成式と、記念試合をしたいのですが、コロナ禍でがたがたしているうちに、10月の27日、28日には、5年に一度の大統領選挙(ザンジバル、タンザニア全土、それぞれの大統領を選ぶので、ザンジバル人は2つの選挙をおこないます)が迫り、スポーツどころではないという雰囲気になってしまったので、まだできていません。
ザンジバルはふだんは平和なのですが、複数政党制が導入された1995年の選挙以来、五年に一度のザンジバル大統領選挙をめぐって、デモが起きたり催涙弾が飛び交うのが常なのですが、今年もザンジバル内で死者がでてしまいました。
ザンジバルは、ザンジバル大統領選と、タンザニア大統領選の両方の選挙権をもっているのですが、ザンジバルの人々の関心は、ザンジバル大統領選に集中しています。
選挙後の政情が安定して、大勢来ている軍隊が本土に戻ったりして、それなりの日常に戻らないことには、なにも進みません。
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ともあれ、今年の3月から着工した道場建設、コロナ禍の中なりに進んで、ケンゲジャの青空道場が、屋根付き道場になりました。
選挙後の政情が安定して、スポーツをやろうと考えられる平和な日常に戻って、柔道も再開できますようにと祈りながら、
島岡由美子
☆ペンバ島の道場建設は2つ目です。
ゴンバニ地区のペンバ武道館は、赤い屋根にしたので、このケンゲジャオオヤマ道場は、青い屋根にしました。
これは、ペンバ武道館、上は、2014年8月落成式当日
下は、建物が完成した当時の写真です。