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たかが眉毛、されど眉毛


今回は、まゆ毛をテーマにしたお話です。

太さや形の違いはあれ、誰の顔にもあるまゆ毛。
目はものを見るための器官、鼻は息をしたり、匂いをかぐための器官、口は物を食べたり飲んだりするための器官ということは誰にでもわかりますが、まゆ毛は一体どんな働きをしているのでしょう?

 目や鼻や口に比べると、必然性は薄いという感じが否めないこのまゆ毛、それでも人間の顔についているのはなぜでしょう?

民話には、この素朴な「なぜ?」「どうして?」の疑問に答えてくれるものがたくさんあり、これを因果話といいます。

因果話とは、ある物事がどうして現在こうなっているのかという原因を述べる話で、象の鼻はなぜ長いかとか、亀の甲はなぜひび割れているのかなどについて、そもそものいわれを説くもので、広義の自然科学にわたるものです。

さて、今回は、ザンジバルのお話名人ビニョニョおばあちゃんから聞いた「どうして人の顔にはまゆ毛がついているのか?」というテーマのお話を紹介しましょう。

ザマニ ザ カレ(昔々)、あるところに、大酒のみの男がおった。
男は、酒を飲むと、大声でわめきちらす癖があった。

ある時、男は酔っ払って、こんなことを言い出した。
「目はものを見るのに必要だ。鼻は匂いをかぐのに必要だ。
口は物を食べるのに必要だ。だが、まゆ毛は一体何の役に立っているのか? 
まゆ毛なんか、あったってなくたって、意味がない。俺は、この役立たずのまゆ毛をそり落とすことにする」

「神様が人間に与えてくださったもので、意味のないことなど1つもない。
まゆ毛にだって、きっと何か意味があるはずだ。
神から授かったまゆ毛をそり落とすなどという大それたことをしたら、必ず神のお怒りに触れるぞ。そんなばかなことはやめておけ」

と、周りの人々は一生懸命いさめたが、男はますますいきり立ち、床屋の剃刀をふんだくると、本当に自分のまゆ毛をばっさりそり落としてしまった。

「ワッハッハ。神が何だ。まゆ毛が何だ!」
男は、まゆ毛のない顔で言い放つと、ゴーゴーいびきをかいて眠ってしまった。

翌朝、男はいつものように目覚めると、仕事に出かけた。

普段どおりの道を歩いていたが、その日はどうも周りからの視線が気になる。

女子供は露骨に怯え、男の顔を見て泣き出す赤ん坊までいる。その上、やたら日がまぶしくて、いつもなら眉をしかめればやわらぐまぶしさも、その日は一向に和らぐ気配がない。

目をしかめながら歩いているうちに、汗がだらだら出てきて、やたら目に流れ込み、目にしみて困った。
修繕途中の家の前を通ると、上からかんなくずが落ちてきて、目に入って痛くてたまらない。
男はもうたまらんと、仕事に行くのをやめて家に帰ってしまった。

男は、家に帰って、鏡に映った自分の顔を見て驚いた。

まゆ毛がないだけなのに、別人のように怖い顔になっていた上、目が真っ赤に充血していたのだ。

でも、男はまだこんなことを言って笑っていた。
「ふん、どうせ、まゆ毛なんて1、2週間ではえてくるさ」

しかし、どうしたことか、男のまゆ毛は2週間経っても全くはえてこない。
1カ月経っても3カ月経っても全然生えてこない。

外を歩こうにもまぶしいわ、汗は目に入るわ、ゴミや埃がやたら目に入るわで、楽しいことが一つもない。
しかめっ面をしたまゆ毛のない男の怖い顔に、子供達はおびえ、人々もだんだん寄り付かなくなっていった。

男はだんだん無口になり、酒もやめ、外にもめったに出なくなった。
どうしても外に出なくてはならないときは、帽子を目深にかぶって、人目を避けながら歩くようになったとさ。

たかが、まゆ毛、されどまゆ毛。偉大なる神がすることには、意味なしのことなどなんにもありゃしない。まゆ毛にだって、ちゃんと意味があるのさ。

眉毛の話は、これで、おしまい』


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うーん、まゆ毛ってこんなに大事だったんですね。

まゆ毛の働きについて本で調べてみると、
1)日よけ・・・顔をしかめると眉の部分が約6ミリ前に飛び出し、日よけになる。
2)汗よけ・・・湯気や汗がまゆ毛を伝わることで、目に流れ込まず顔の両端に流れる。
3)異物&けが防止効果・・・まゆ毛の部分のでっぱりと毛によって、異物が上から落ちてくるのを受け止め、硬いものがぶつかっても、毛がクッションの役となりけがを防ぐ。
という役割があることがわかり、ビニョニョおばあちゃんのお話とぴったりで、驚きました。

ビニョニョおばあちゃんは、生まれてこのかた学校に行ったこともなく、自分の名前すら書けません。

でも、物知りでお話上手のおばあさんとして、近所の人から慕われ、何かわからないことがあると、子供も大人もビニョニョばあさんの元へ走ります。
そして、ビニョニョおばあちゃんは、いつも決まってこういった昔話を語る中で、人々の疑問にちゃんと答えてくれるのです。昔の人は、別に学校で生物だ、科学だなんて習わなくても、ちゃんと自然や自分達の体の摂理をわかっていて、こうした形で次の世代に教えていたんですね。

日本に「亀の甲より年の功」ということわざがあるように、タンザニアにも、「お年寄りは知恵袋」「年寄り1人は、若者7人よりも優る」ということわざがあり、お年よりは、尊敬すべき人生の先輩として敬われ、家族にも、近所にも、必ずビニョニョばあさんのような物知りのお年寄りがいて、大人も子供も何かあるとまず、お年寄りに意見を求めます。
でも、それは、少し前の日本でもごく当たり前の情景でしたよね

テレビ、雑誌、インターネット・・・現在、私達の周りには様々な情報が溢れ、まったく人を介さなくてもたくさんの知識が得られます。

でもそんな世の中だからこそ、人生の先輩達に直接会って生の声を聞き、自分達の人生に生かしていくことが大切ではないかと、タンザニアの人々のありかたを見ていて思うのです。

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