語り手「パウクァー」 (お話始めるよー)
聞き手「パカワ」 (はーい)
ザマニザカレ(むかしむかし)、人間と蛇はひどく憎み合って暮らしていた。
人間は、蛇を見ると、悪口ばかり言っていた。蛇には足がなくてかっこ悪いとか、体がいつもぬるぬるして気持ち悪いとか、尻尾が貧弱だとか、頭が小さいのに口ばかりでかいとか・・・。
蛇は、そんなことを言われるたびに怒って、人間に噛み付いたり、赤ん坊にまきついて絞め殺したりしていた。
人間が怒って棒で叩き殺そうと追っかけてくると、足もないのに人間より早くするするとすべりながら木に登ったり、川をすいすい泳いだりして、最後にはいつも穴の中に逃げ込んで、人間が何を言っても何時間も出てこなくなってしまう。人間たちは結局その日はあきらめて、悪態をつきながら家に帰っていくという毎日だった。
その後も、蛇に噛み付かれたり、子どもを殺される事件が続き、村人たちはますます蛇を憎み、蛇を見るとひどい悪口をいい、石を投げ、棒を持って追いまわした。蛇は蛇で、悪口を言われるたびに目を真っ赤にして、舌をシュルシュル鳴らしながら怒って、ますます凶暴になっていった。
ある日、よその国から旅人がやってきて、村はずれの家に一夜の宿を頼んだ。家の者は快く男を迎え入れてくれたので、旅人は荷物をおろすと、ぶらりと散歩に出た。
旅人は、村を一回りして帰ってくると、家の者にこう聞いた。
「今、村をぶらついてきたんだがね。不思議なことに赤ん坊の声をまったく聞かなかったんだが、一体どういうわけだね」
それを聞くと、飯を炊いていた女たちがわっと泣き伏し、ゴザにすわって何か話し合っていた男たちはいかにも悔しそうな顔で、旅人に今までのいきさつを語り始めた。
「この村には大きな蛇が住んでおりまして、そいつが赤ん坊を次から次へと殺すので、とうとうこの村には赤ん坊が一人もいなくなってしまいました。なんとか、この蛇を殺したいと思うのですが、いくら追い詰めても、最後にはいつも穴の中にすっぽり隠れて、いくら待っても出てきやしません。そんなわけで、わしら男衆は、今もその蛇をやっつける相談をしておったのです」
男がそう語る間にも、女たちは泣き叫びながら
「あんな気持ち悪い顔の蛇、早く殺しておくれよー」
「足がなくてするする滑って動く姿を見ると鳥肌がたつよ。あんた、早く蛇をぶち殺しておくれ」
と言い、男たちは男たちで、口々に数限りない蛇の悪口を言った。
旅人はそんな様子を見て、こんなことを言い出した。
「私にいい考えがあります。明日、あなたたちは蛇が穴の中に逃げ込んだら、太鼓や笛を鳴らして蛇を称える歌を歌って、楽しそうに踊ってください」
村人たちは、
「そんなばかなことしたって、蛇が出てくるわけがねえ」
「俺たちがいくら大声出しても、穴を棒でつついても出てこない蛇が、唄を歌ったぐらいで出てくるわけがねえ」
「その上、あの憎い蛇を称える歌を歌えとはどういうこった。蛇に誉めるところなんてどこにもねえよ」
「そうだ、そうだ。あんな蛇を誉めながら踊ったって楽しいわきゃねえや」
と言ったが、旅人に、
「今まで何日も蛇を殺せなかったのですから、明日一日だめでもともとではないですか、まあ、騙されたと思ってやってみてください」
と言われ、しぶしぶ納得し、その晩男たちは寝ないで蛇を称える唄を作り、唄と踊りの練習をした。
次の日、男たちは普段の棒っきれやパンガ(蛮刀)の代わりに、太鼓や笛をもって家を出ると、いつものように蛇を穴の中に追い詰めた。旅人はそれを見届けると、さっと手を振って男たちに歌の合図をしたので、男たちはいっせいに、きのう一晩かかって練習した蛇を称える歌を歌い、踊りだした。
♪プワー、パパパパパー、
蛇さん、蛇さん、あなたはなんてすばらしい方でしょう。
姿よければ心もきれい。
するする地を這う姿は美しく、すいすい泳ぐ姿は神々しい。
その上木にまで登れちまう、あなたは本当にすごい方。
私たちは、そんなあなたをアラーの神の次に尊敬しています。
女たちはあなたを敬い、男たちはあなたを最高の友と信じてる。
さあ、蛇さん、穴から出てきて友情のしるしに一緒に踊りましょう♪
プワー、パパパパパー♪ 派手なズマリ(ザンジバルの木管楽器)が鳴り響き、ボンボコボン、バンバカバン、ポコポコポン・・・大小さまざまな太鼓が激しいリズムを刻み、男たちの足は、むずむずしてきて、地についていられなくなり、男たちの意志よりも先に勝手に踊りだした。
旅人は自分も踊りながら、男たちにもっと大きな声で楽しく歌えと煽った。
踊りだした男たちは、もう旅人に言われなくたって、愉快になっている。蛇の歌だろうがなんだろうが大声で歌って、より激しく踊りだした。そのうちズマリと太鼓の音につられて出てきた女たちも加わって、まるで村祭りのようになった。
♪プワー、パパパパパー
ヘビさん、ヘビさん、あなたは何てすばらしい方でしょう。
この暑いザンジバルで、いつも体を冷たくしていられるなんて尊敬します。
小さな頭に大きな口があなたのチャームポイント、
赤ん坊を絞め殺すなんてあなたにはお手のもの、あなたはほんとに力持ち。
私たちは、そんなあなたをアラーの神の次に尊敬しています。
女たちはあなたを敬い、男たちはあなたを最高の友と信じてる。
さあ、ヘビさん、穴から出てきて、友情のしるしに一緒に踊りましょう♪
穴の中に隠れていた蛇は、その歌を聞いて、すっかりいい気持ちになってしまった。その上、体の底から揺さぶられるような太鼓のリズムに我慢できなくなって、そうっと穴から頭だけ出してのぞいてみた。いつもは蛇を見れば、悪口を言って殺そうと追いかけてくる人間たちが、みんないかにも楽しそうに踊っている。女も男も声を揃えて蛇を誉め、一緒に踊ろうと手招きをしているのが見えた。
蛇はすっかりうれしくなって、するすると穴から這い出ると、輪の中心に行って、くねくね踊りだした。村人たちは蛇の変てこな踊りに手を叩いて喜び、蛇を称える歌を大声で歌った。蛇はますます調子に乗って、我を忘れて踊りまくった。
はっと気がつくと、旅人が目の前で大きなパンガ(蛮刀)を振りかざしており、蛇がしまったと思った瞬間には、蛇の首が地面にころころと転がっていた。
村人たちは嬌声を上げ、血だらけの蛇の死体を引き裂き、踏みつけながら、そのまま朝まで踊りつづけた。夜が明けた頃には、蛇の死体はすっかりぼろぼろで、血の一滴もないぐらいぺちゃんこになっていたとさ。
人間も蛇も、甘い言葉には弱いもの、復讐したけりゃこのやり方が一番さ。とかく舌は(言葉)使いよう。昔から、「復讐したけりゃ、ヘビが穴から出てくるぐらい甘い舌(言葉)をやりな」って言うのさ。
話はこれでおしまい。よければ家まで持っていきな。いらなきゃ途中で捨てとくれ。
語り手 ハリーマ
ザンジバルには、「舌は使いよう」といった意味のことわざがあります。スワヒリ語だと「ウリミ バヤ サーナ テナ ムズリ サーナ」直訳すれば、舌は悪いものでもあるし、よいものでもあるとなりますが、ここでの舌とは言葉、つまり言葉の使い方でよくもなるし悪くもなるということですね。
あからさまに悪口ばかり言っていた時に、蛇退治はできなかったけれど、蛇をほめたら蛇もご機嫌になって穴から出てきて、退治することができた。よかった。よかったといったストーリーですが、逆に蛇の立場に立ってみれば、人間に非難されていたことは、足がないとかぬるぬるして気持悪いとか、頭が小さくて口がでかいとか、蛇の外見や生まれ持った特徴ばかりですから、蛇としたらさぞ頭に来たことでしょう。蛇が人間に噛み付いたり赤ん坊を絞め殺したりするに至る前に、蛇の怒りの過程を、人間も想像してみることが必要だったのではないでしょうか。
とはいうものの、村人は、もちろん蛇の怒りよりも、蛇に噛み付かれた恨みや、子供を殺された怒りだけを正当化し、一匹の蛇を退治するために皆で相談しています。そこへ現れた旅人の知恵によって、蛇を褒め称え、友達として迎えるという歌と笑顔で見事蛇を退治することができたのですが、これもまた、蛇の立場になってみれば、初めて誉められ、友達として村人から受け入れられたことに喜びながら穴を出て、ともに踊り出したとたんに飛んできたのは、村人たちのなたやナイフ、その上死体はぼろぼろになるまで踏みつけられ、無残な死を遂げたわけですから、無念極まりないことでしょう。
日本の昔話の猿蟹合戦では、初めに猿が蟹を騙したことで、蟹に同情した蜂、栗、畳針、石うすといった仲間たちが一緒に猿退治をしますが、これも、退治の仕方は面白いですが、猿の立場になってみれば、確かに初めに蟹を騙したのは悪いとはいえ、最後に石うすで思い切り、つぶして殺すまでしなくてもいいんじゃない・・・? という気持ちになってきませんか?
ザンジバルの蛇退治の仕方も、蛇をおだてて誘い出す方法は、ユニークで面白いですが、この蛇を言葉で初めに怒らせたのは人間の方だと思うと、一方的に笑っていられない気がするのですが、皆さんはどう思われますか?
昔話では、ストーリーの中で、悪者と決められた者に対する復讐の仕方は、徹底的かつ残酷なのが多いですね。ここからは、やはり人間は誰しも心の奥底に、物事は勧善懲悪であってほしいという願望とともに、残酷なことを喜ぶ気持ちが潜んでいること、そして、他の仲間たちと一緒に悪に立ち向かうという意識は、時として正義の範疇を超えて、相手をいたぶるのを喜ぶ段階にまでエスカレートしてしまうことを、私たちに教えてくれている気がします。このお話も、蛇を、村で嫌われている一人の男と想定して読んでみると、それが明白になってくるのではないでしょうか。
蛇を殺した後、蛇の死体がぼろぼろになっても、大喜びで歌い踊りつづける群衆の姿は、時を現代に移しても、泥棒騒ぎが起こり、泥棒をみんなで捕まえた時のものすごい興奮と、警官が来るまでの間に起こる、市民による制裁(一度つかまったら、泥棒は警官が駆けつけるまでの間、よってたかって殴られたりけられたりして、血だらけになるのは、ここではごく日常の風景です)の様子(タンザニア便り33)とぴったり結びつきます。
昔話は、面白おかしく語られいる中にも、時々ぎょっとするほど人間のあからさまな性質を浮き彫りにしている場面があるので、そのたびに、昔話は奥が深いなあと思います。
語り手のハリーマさんは、言葉を巧く使うことが大事という教訓で締めくくってくれましたが、私はお話を聞いている時も、聞き終わってからも、やたら蛇の方に心が行ってしまいました。
それにしても、このお話は、蛇にも人間にも、全く歩み寄りも理解もないまま終わっていますから、蛇の怨念は、今も続いていそうですね。