15年ぶりぐらいでモーリシャスに行ってきました。
過去にも3回行ったことはあるのですけれど、3回ともモーリシャス国際柔道大会で、ザンジバル柔道チームに同行していたので、会場と宿舎の往復で終わってしまいました。 今回は、在モーリシャス日本大使の川口周一郎、玉江ご夫妻に、モーリシャスの名所をたくさん見せていただき、歴史についても教えていただいたので、モーリシャスを様々な角度から知ることができてとても楽しく、また、大変勉強になりました。
せっかくなので、今日の便りでは、私たちが見聞きしたモーリシャス紹介をします。
<モーリシャス柔道との交流>
島岡がザンジバル柔道連盟名誉会長であり、全柔連の国際委員会在外委員であることもあって、日本大使館の方で、モーリシャス柔道の方々との交流の機会も設けて下さっていました。
20年前にモーリシャス国際大会に参加来ていた頃とは、あたりまえですけど、柔道連盟の方々もずいぶん顔ぶれが変わっていましたが、フランス人のナショナルコーチだけは前にもお会いしていた方でした。
<山と海の風景を堪能>
私たちが住んでいるザンジバルは、山のないぺっちゃんこの平たい島ですが、同じ島国でも、モーリシャスは美しい海だけではなく、山もたくさんあります。なので、モーリシャス滞在中は、普段見られない山の風景を堪能しました。
<作物は、ひたすらサトウキビ>
モーリシャスは植民地時代の作物サトウキビが今でも主な作物で、車で走る道に、ひたすらサトウキビ、サトウキビ、サトウキビが続いていました。
サトウキビ=砂糖には、奴隷と搾取の歴史あり
ところで、サトウキビを原料とする砂糖は北インドで初めて生産され、貴重品として扱われていた後、奴隷と搾取の歴史から大量生産できるようになったのをご存じだったでしょうか?
昔々、まだ大量生産できない時代の砂糖というものは大変効果で、王侯貴族しか手に入らないほどの価値がありました。
植民地時代になって、奴隷の労働によって大量生産できるようになると、庶民の口にも入るようになり、イギリスの産業革命の時期には、ヨーロッパ人が朝食にしていた煮込みスープとパンから、たっぷり砂糖を入れた紅茶とパンにかわったことで、料理と燃料の時短になり、工場をはじめとする労働者も砂糖でエネルギーをとって、遅れないで労働に出かけるようになり、産業革命が推進される一助となったという流れがあります。
奴隷労働によるサトウキビ栽培というと、ブラジルが浮かんでくると思いますが、ここモーリシャスでも奴隷貿易時代から、サトウキビ単一栽培がおこなわれていました。
モーリシャスでもその歴史を知ることができる砂糖ミュージアムもあり、地元の小学生たちも大勢社会見学に来ていました。
<奴隷と移民の歴史 奴隷が逃げた山 世界遺産>
風光明媚で、ヨーロッパ(特にフランス)のリゾート地となっているモーリシャスですが、アフリカ各国の歴史と同じく、ここにも長い奴隷と移民の歴史がありました。
もともと、モーリシャスは無人島で、10世紀にアラブ人が航路として発見した時は、ドード鳥などの小動物しか住んでいなかったといわれています。16世紀にポルトガル人、続いてオランダが占領し、その次にフランスが入植し、首都をポートルイスに定め、サトウキビ産業を立ち上げるため、アフリカ系奴隷をたくさん連れてきました。その後イギリスが主権をとりましたが、英語を強要せず、フランス語を残しながら統治したため、今でもモーリシャスではフランス語が広く使われています。
このそびえ立つ岩山は、かつて奴隷が逃げて隠れて住んでいたル・モーン山。奴隷制が廃止されたことを告げに来たイギリス人から逃げて、多くの奴隷たちが崖から飛び降りて亡くなった場所でもあります。
この美しい風景にもそんな悲しい歴史があったのです。
そのことを忘れないようにと願いを込めてこのル・モーン岩山一帯が公園として整備され、世界遺産になっていました。
<世界遺産 ガート インド系移民が最初に見た風景>
奴隷制度が終わってからは、もっぱら安価に働かせることができるインドからの移民に労働力を頼っていました。
契約農民としてインドやパキスタンから渡った人たちは、まず、港に着くと、一人ずつこのゲートをくくってモーリシャスに上陸し、いろいろな契約手続きをして、各農園にいって労働しました。
契約が満了した暁には自由になって、職業も自分で選ぶことができたそうです。
気候も穏やかで労働条件もさほど悪くないということで、契約を終えてもモーリシャスに残る人が多かったことから、インド移民がどんどん増えて、現在のモーリシャスはインド系が80%をしめているそうです。
<モーリシャスにおけるヒンズー教の聖地>
そのようにインド系の人々が多いモーリシャスには、当然のことながらヒンズー教の聖地があり、さまざまな神様が祭られていました。有名なゾウの姿のガーシャの像も。
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このように、モーリシャスは、インド文化全開かと思えば、フランスのベルサイユ宮殿の庭園のような風景が広がっている場所もあり、長い歴史の中で関わった様々な国の文化が融合されたユニークな国でした。
モーリシャスについてたくさん教えて下さった、川口大使ご夫妻に心から感謝します。
川口大使夫妻とは、ご夫妻がタンザニアの日本大使館で公使として赴任されていた当時からのお付き合いですので、長い友情にも感謝です。また川口大使は大変料理がお上手で、モーリシャスでも海の幸山の幸をごちそうになり、お世辞抜きでとってもおいしくてとっても幸せでした。
世界で一番美味しいと思ったフルーツケーキ♡ごちそうさまでした。
モーリシャスは、アフリカの中では安全な国の1つです。
みなさま、アフリカの旅を計画される際は、モーリシャスにもぜひ!
島岡由美子
よかったら、10年前のタンザニア便りも読んでみて下さい。
便り58 モーリシャス国際柔道大会 (2003.6.3)
https://africafe.jp/legacy/afnow0306.html#mouri
便り65 「モーリシャス国際柔道大会2004」(2004.4.10)
https://africafe.jp/legacy/afnow0406.html
便り90 モーリシャス国際柔道大会2006(2006.4.1)
https://africafe.jp/legacy/barua89.html#90mauri2006
おまけ画像
初めてザンジバル柔道の選手が、モーリシャス国際大会に出場した時の思い出写真