TANZANIA便り '01年11+12月


*この便りはトロワ・タンザニアスタッフのMUNAWARさんより隔週(3日と17日)で送られてきます。
MUNAWARさんはザンジバルに住む30代の女性です。MUNAWARさんへのメールは
こちらまで
便り39「ザンジバルの建設現場風景」(2001.11.3)
便り40「ブコバの珈琲文化 1.ゆでコーヒーの実」(2001.12.3)


便り39「ザンジバルの建設現場風景」(2001.11.3)

ジャンボ! アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?
日本は秋刀魚を筆頭においしいものがたくさん出回り、いい季節が続いているでしょうね。ザンジバルは、暑い! の一言です。11月の中旬には断食月、ラマダーンに入ります。ラマダーンは暑くないと雰囲気が出ないので、まあ順当といえるのですが、それにしても暑い! 日差しが強くて、一歩外に出ればたちまち大汗です。

ところで、ザンジバルでは、8月上旬よりアマニ国立競技場の一角で、BUDOKANと名づけられる予定の屋内ホール(ザンジバルの国技の1つである柔道を中心とする室内スポーツから、音楽、演劇といった文化活動までを行う多目的ホール。ザンジバルでの国技はサッカーだけでしたが、柔道はここ数年の活躍が注目され、2000年からサッカーと並んで国技となりました)の建設が始まっており、私の家からも遠くないので、時々見に行っています。
ということで、今日はザンジバルの建設現場の様子をお話しようと思います。

今までは、あまり気にしたことがありませんでしたが、建設現場をじっくり見てみると、そこでは設計士、左官工、鉄筋工、溶接工、大工といった職人から、土工、石工、砂、砂利運びの作業員まで、実にさまざまな人々が働いており、建物1つを作るという過程には、こんなにも多くの人々が働いているものなんだなあと、新たに発見した思いがしました。 
ザンジバルの建設現場の風景で、日本と大きく違うのは、働いている人たちの格好です。
誰もヘルメットをかぶっていないし、皆思い思いの格好にビーチサンダル、中には裸足の人もいるので、工事現場に立ち入るにはヘルメットと作業服、そして頑丈な靴が必要だと思い込んでいた私にとって、初めはすごく違和感のある光景でした。

そして、意外にも作業員の中には、女性も多く、色とりどりの長いワンピースの上に、これまた華やかなカンガ(布)を巻いてシャベルやつるはしをふるったり、土の入った器やブロックを頭の上に載せて運ぶ姿は、日本の工事現場では絶対に見られない光景なので、びっくりしました。
こうやって工事現場で働いている女性たちは、頼る夫や家族のいない人がほとんどだとのこと、それを考えると、この女性たちが工事現場で働かなくてもすむような社会になるといいなあと切に思います。
今のザンジバルには、女性の職場がほとんどないですから。
でも、アフリカに来た方なら想像できると思いますが、私のこういったしんみりした気持ちを吹き飛ばすほど、アフリカンママたちは明るく、たくましいですけどね。
一番年長のハジージャーさん(42歳)も、一番若いラハマさん(25歳)も、「どうせ家にいたって、バケツで重たい水を運んだりしているんだから、土やブロックを運んでお金が入るなら、そのほうがいいわよ」とあっけらかんと言っていました。
建設現場には、いつも大きな音でラジオが流れていて、音楽に合わせて勝手に踊っている人、木陰でぐっすり眠りこけて人がいるかと思えば、炎天下で汗水たらして一生懸命ブロックを積み上げている人、もくもくと鉄筋を組んでいる人、屋根の土台にするための太い鉄のパイプを鉄ノコでぎこぎこ切っている人・・・とにかくてんでんばらばらです。
それに加えて、作業中でも、コーヒー売りをはじめとして、ゆで卵売り、アイスキャンデー売り、マンダジ(甘くない揚げパン)売りなど、これまたいろんな人が現場に入ってくるので、あちこちで勝手にもぐもぐやっている人もいれば、ゆっくり石の上に座ってコーヒーを飲んでくつろいでいる人までいて、またもやびっくり。
でも、アフリカの人々のすごいところは、日本人である私から見ると、「えー、こんなんでいいの?」と思うようなやり方でありながら、なんだかんだで帳尻を合わせてしまうこと。
この建設工事も例外ではなさそうです。もし普通の日本人が監督だったら、作業員があまりにも、てんでばらばらにしか働かないので、いっぺんにストレスでまいってしまうような一見無秩序状況の中、作業は一度も滞らず、着実に進んでいるのですから。
現場監督のハッジさんに、日本の建設現場と全然違うから驚いたと伝えると、
「日本のように人々を管理できたら、もっと工事が進むのかもしれないけれど、ザンジバルでは無理だね。
何時から何時までは必ずこの場所で仕事をするように命令するなんて、俺にはできないし、もしそんなことをしたら、みんな仕事をしたくなくなるだろうからね。
俺だって監督しながらゆで卵を食べたり、コーヒーを飲んだりしたいしね。ただ、裸足になるのは危ないからやめろというぐらいだね」と笑っていました。
私にとってもう一つ不思議なのは、真面目に働いている人が、さぼっている人に向かって文句を言わないこと。
日本人同士なら、皆でいっせいに作業をしている時に、誰かが勝手に抜けたり、休憩時間でもないのに何か食べたりしていたら、あいつだけさぼりやがってとすぐに非難を浴びることでしょう。
そして、ごろごろしていた人は、誰からも何も言われなくても、いつのまにか作業に加わっており、また他の人が知らないうちに輪から抜けて休んだり、何か食べたりしているといった感じで作業は進んでいくのです。
こういうところ、アフリカの人々はすごいなあと思うと同時に、日本のように「ねばならない方式」でなくても、物事は進むものなんだなあと教えられる思いです。
もちろん、やらなくてはならない時を、一人一人がわきまえるというのも大切なことだと思いますが。
それにしてもザンジバル名物、炭とセットになったコーヒーポットとミニサイズのコーヒー茶碗を持ち歩くコーヒー売りは、文字どおり神出鬼没。
いつでもどこでもコーヒー売りを呼び止めれば、その場で気軽にコーヒーが味わえる「移動珈琲専門店」という感じです。
建設現場にまでコーヒー売りが来てくれるなんて、考えてみればぜいたくな話かもしれないですね。
ということで、今日は、ザンジバルの建設現場で見たこと感じたことを綴ってみました。
それでは次回の便りまで、お元気で。GOOD LUCK!!  
BY ムナワル


便り40「ブコバの珈琲文化 1.ゆでコーヒーの実」(2001.12.3)

ジャンボ! アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?

ザンジバルは、焼けつくような太陽の下、ラマダーン(断食月)の真っ最中、夕食の食材とラマダーン明けのお祭り用の晴れ着を買い求める人々でごった返している市場付近を除けば、町はひっそりとしています。

さて、今日は、アフリカフェの故郷ブコバの名物「ゆでコーヒーの実」の話をしようと思います。
今のように、収穫したコーヒーの実を乾燥させ、皮を取り除いたものだけを煎り(ロースト)、つぶしてから(グラインド)、熱湯に入れてそのコーヒーの汁を漉して(ドリップ)飲むというコーヒーの飲み方は、実は16世紀になってアラビア人が編み出したもので、それ以前は、そうではなかったそうです。
といっても、アラビア人がコーヒーの美味しさを見出して、自国に輸入を始めるまでは、コーヒーはごくごく一部の地域で自生していただけにすぎません。
アラビカコーヒーの原産地はエチオピアと言われていますが、エチオピアでは今でもコーヒーの葉を煎じて飲む習慣や、コーヒーを入れる際には必ずお香をたくことから始めるといった日本の茶道と通じる、コーヒー道ともいうべき独特のコーヒー文化が受け継がれているのは有名です。
そのエチオピアから発生したアラビカ種の流れと、コンゴから発生したロブスタ種の両方のコーヒーの木が自生していたとされる、極めて特殊なコーヒーの歴史を持つここブコバのコーヒー文化もまた独特で、コーヒーの実を丸ごとゆでて、そのまま食べる習慣が何代も昔から続いています。


この「ゆでコーヒーの実」は、ブコバに行けばどこでも見られます。小さな雑貨屋さんでも、街角でも、バナナの葉でくるまれた三角の小さなちまきのような物がひとまとめになってぶら下がっていたら、それがブコバ名物ゆでコーヒーの実です。バナナの包みを開くと、ゆでただけのコーヒーの実が30〜40粒。
ブコバの人は、それをぽいぽい口に放り込み、時間をかけて味わいながら、かみつぶしていきます。コーヒーの実は、外はぱりぱりした薄皮でかじりやすいですが、その中のいわゆるコーヒー豆と称される部分は、私には固くて、なかなかかみつぶすことはできません。
「コーヒーの実は、ゆっくり時間をかけてかむのが味わうコツよ。ぱりぱりした外皮、その中にある固い種、どこも味と香りが違うし、かめばかむほどそれが変化していくから楽しいのよ」と雑貨屋のパトリシアさんが教えてくれました。


農園を見学に行ったときも、ほとんどの人が自分のポケットにゆでコーヒーの実を入れていて、誰かと会うごとにコーヒーの実を交換しあって食べており、オーガニックスプレー(便り38)を作って見せてくれたイシェンゴマさんも、「朝家を出るときには、必ずポケットに自家製ゆでコーヒーの実を入れていくよ。ゆでコーヒーの実を持ち歩くのはブコバ農民の常識だね」と言っていました。
農園&工場見学の説明係をしてくれたタニカ社の工場長、イシャンシャさんは、5日間を通じて、会う人会う人にゆでコーヒーを勧められたり、勧めたり、とにかくその繰り返しで、その様子は、なんだかお酒の差しつ、差されつのやりとりに似ていました。
ブコバでは、家に客人が来ると、まずは何を置いてもこのコーヒーの実を出します。
このコーヒーの実を出すことで、相手への歓待、尊敬、愛情、といった気持ちを表現するのだそうです。
そして、あらためてコーヒー(これは皆さんが飲んでいるような液体コーヒー)を飲んで話し合い、さらにはバナナ酒ルビシ(便り25)を飲み交わしたりといったことでより親しくなっていくという順序だとか。
とにかくこのゆでコーヒーを初めに勧めることがブコバの人間関係の基本なのだそうです。
タニカ社の最古参、勤続30年を超すバギラ氏が、コーヒーの実の意味をこう教えてくれました。
「コーヒーの実というのは、薄皮の中に、固い白い実が向き合って2つ、必ず対になって入っています。
その様子を人間関係にあてはめて、2粒で1つの実を形成しているコーヒーの実のように、これからは、私とあなたも常に一心同体でいましょう
という意味があるのですよ」
この言葉を聞くまでは、ゆでコーヒーの実を交換し合って食べる光景を見ても、ブコバの人って、ところ構わずやたらぼりぼり食べているなあとしか感じなかったのですが、コーヒーの実の意味を知ってからは、急にこの光景が感動的なものに見えてきました。
そして、ぼりぼりコーヒーの実をかじりながらあれこれ説明してくれるイシャンシャさんの顔を見て、昔々から続いている習慣には、奥深いものがあるものだなあと、しみじみ思ったことでした。
アフリカフェの故郷ブコバは、コーヒーとバナナの町。人々の生活もコーヒーとバナナなしでは語れません。
ブコバ独特の珈琲文化とバナナ文化を、これからも皆さんと一緒に探求していきたいと思っています。
それでは、今日はこのへんで。
次回のお便りまでお元気で GOOD LUCK!!
ムナワルより


NO.1「ジャンボ!」(2000.4.15)
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NO.6「リズム感のルーツは子守唄にあり」(2000.6.28)
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