TANZANIA便り2002.5+6
*この便りはトロワ・タンザニアスタッフのMUNAWARさんより隔週(3日と17日)で送られてきます。
MUNAWARさんはザンジバルに住む30代の女性です。MUNAWARさんへのメールは
こちらまで
便り47「サファリに行こう!」(2002.5.17)
便り48「コーヒーの脱穀風景」(2002.6.3)
ジャンボ! アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?
日本は風薫る5月、気持ちのいい日々が続いているでしょうね。
さて、私は、10日ほどケニアに行っていました。2年ぶりに訪れたナイロビは、すごく涼しくて、特に夜は、パジャマの上にトレーナーを着て、毛布を2枚重ねにしないと寒くて眠れないほどでした。
ケニアでは、これまた2年ぶりにサファリ(マサイ・マラ国立公園)も行ってきました。ケニアも大雨期の真っ最中、お天気だけが心配でしたが、行き帰りは大雨だったものの、サファリ当日は晴天に恵まれ、とてもラッキーでした。
今年はケニアも雨が多かったので、草がよく茂っていて、文字どおり見渡す限りグリーンのじゅうたんのような大草原の中、動物たちも太っていて元気そうでしたよ。ソーセージツリーも、その名のとおり巨大ソーセージのような実をたくさんぶら下げながら、サバンナにそびえ立って私たちを迎えてくれました。
早朝サファリでは、チーターのハンティングを見ることができたのですが、残念ながら、結果は失敗。インパラは見事逃げ切り、あきらめたチーター2頭が座り込んだので、そばによって見ると、全力疾走したばかりのチーターは、すっかり息が上がって、横になってゼイゼイ状態。私たちを乗せた車が、ほんの3mほどの距離に近寄っているのに、全然気にしていない様子で、息を整えるのに精いっぱいの感じでした。チーターって、きりっとした顔だから、狩りもすごくうまいのかなと思っていたのですが、結構失敗が多いと聞いて、チーターに対するイメージが変わりました。
今回のサファリの間に、キリン、象、かばの赤ちゃんを見ましたが、特に象の赤ちゃんは、まだ生まれて間がないらしく、色が薄くてお母さんの足のそばから離れませんでした。その赤ちゃん象を守るように、お兄ちゃんなのかお姉ちゃんなのか、子象がそばにいて、鼻で赤ちゃん象をなぜている姿がとってもかわいらしかったです。
2年前にも象の赤ちゃんを見たので、ひょっとして、今この赤ちゃん象をなぜているのが、あの時の赤ちゃんかな?なんて想像しながら見ていたら、飽きることを知らず、いつまでも眺めていたい気持ちになりました。
イボイノシシも、あいかわらず家族全員で一列に並んで、尻尾をピンと立て、トットットットッと走っては、全員でピタリと止まって一斉にこっちを振り向くという姿で笑わせてくれました。イボイノシシは、私にとって思わずイボちゃんと呼びたくなる存在です。
でも、このイボちゃん一家は、ライオンの大好物なんですって。だから、イボイノシシたちは、ライオンが隠れやすい、背の高い草の地帯には絶対近寄らないんだそうです。規律正しい集団行動と、たえず見張りを怠らないイボイノシシたちの姿を、たんに面白がって笑っている人間のこと、イボイノシシたちは何にもわかってないんだなあ、とあきれているかもしれないですね。
ライオンといえば、今回は、最後の最後にやっと見ることができました。雌ライオンが狩りをした獲物をたんまり食べ終わって、みんな満足といった様子のライオンファミリーに遭遇。雄ライオン1頭、メスライオン2頭、子供ライオン5頭でくつろいでいました。
仰向けにごろーんと寝転んで、一番くつろいでいたのは、雄ライオン。5頭の子供たちは、お父さんライオンのお腹の上によじ登っていたかと思えば、草むらでごろごろと取っ組み合っていたり、お母さんライオンの方にじゃれついたり・・・そんなライオンファミリーの様子を見ていたら、「日曜日の茶の間」という言葉が浮かんできました。
レイヨウ類は、インパラ、アンテロープ、トピ、トムソンガゼルにグラントガゼル・・・等々たくさん種類がいるので、毎回誰かに教えてもらうまでわかりません。シカ類で一番小さいのはディクディクで、一番大きいのがエランドということだけは今回のサファリで覚えました。
レイヨウ類は、強い雄に複数の雌というハーレムの形態をとって生息していますが、一番小さな種類のディクディクだけは、生涯雌雄一対で暮らすのだそうです。その上、どちらか一方が死んでしまうと、残された一方もすぐに死んでしまうのだそうです。ずっと前にその話を聞いて以来、シカ類ではディクディクが一番好きです。見た目も小鹿のバンビみたいでかわいいし・・・。
でも、このディクディク、肉が柔らかくておいしいことから、各地で食用にもされているので、ザンジバルでも時々皮を剥がれた哀れな姿で肉屋にぶら下がっています。皮をはがれたバンビになっていては、私の感傷も一気に吹っ飛んでしまうというもの。弱肉強食の世界だからしかたないとディクディクにはあきらめてもらうしかなさそうです。
大雨期の真っ最中のサファリということで、心配だった泥ぬか道、サファリの途中で、泥にはまってしまったサファリカーも数台見ましたが、運良く私たちが乗った車は、泥にはまることなく最終日を迎え、意気揚々と国立公園のゲートを出て、さあナイロビに帰ろうと走り出した10分後、ついに泥にはまってしまいました。
いくらエンジンをふかしてもタイヤはむなしく泥を跳ね上げるばかり。あたりはもちろん私たちのほかに誰もいないサバンナ、どうなることかと思っていたら、ずーっと遠くの方から一人二人と、歩いてきたマサイの人々があれこれと知恵を出してくれ、最後には、トラックを呼んで来て、ロープで泥から引っ張り上げてくれました。
無事車が引き上げられ、アサンテ・サーナ(どうもありがとうございました)を連発する私たちに、みんなこんなことなんでもないよという顔で、またそれぞれサバンナの向うに歩いていってしまいました。
マサイ・マラは、マサイの人々のホームランド。広い広いサバンナを縦横無尽に歩き、誰もいないと途方にくれていた私たちの元に集まってくれ、泥にはまった車を引っ張り出してくれたマサイの人々。俺たちの土地で困っている者を助けるのは当たり前さというマサイの人々の態度が忘れられません。
今回のサファリで、たくさんの動物と大自然を満喫しましたが、マサイの人々のお蔭で、最後の最後に車が泥にはまってしまった時のことが一番のよき思い出となりました。
ということで、今日は、マサイ・マラでのサファリのことを綴ってみました。
それでは、次のお便りまでお元気で GOOD LUCK!!
BYムナワル
便り48「コーヒーの脱穀風景」
ジャンボ! アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?
梅雨と共に夏に向かう日本とは逆に、ザンジバルは雨期が終り、少しずつ暑さが和らぎ、一年で一番過ごしやすいシーズンに入りかけたところです。
さて、この季節、アフリカフェの故郷ブコバでは、コーヒーの摘み取りが始まっています。コーヒーは、花が終わると、緑色の小さな固い実が現れ、半年以上かけてゆっくり緑から黄色、黄色から赤、さらに深い赤色に熟していきます。この真っ赤に熟した直径1cmほどの丸い実(コーヒーチェリー)を注意深く手で摘んで収穫し、天日干しにした後、外皮を剥ぐと、やっとコーヒー生豆となります。
コーヒー栽培や摘み取りの様子などは、前(No.10、No16、No35)にお伝えしたので、今日は精製過程の一つ、コーヒーの外皮を剥く、脱穀風景をお伝えしましょう。
私が行ったのは、岡の途中にある脱穀所、とはいっても、脱穀機が1台外に出ているだけのところ。数人の脱穀係がいたのはいいのですが、その日はまだ誰もコーヒー豆を持ってきていなから「ちょっと待ってくれ」とのこと。
脱穀所の周りもやっぱりコーヒー農園で、コーヒー、キャッサバ芋、バナナ、とうがらしなど、いろんな作物が植わっている様子をあれこれ見ながら過ごしているうちに、曲がりくねった道の向うから自転車に乗った男の人が見えてきたので、コーヒーを運んできたのかなとわくわくしていたら、そのまま通り過ぎてしまってがっかり。
結局脱穀所についてから、待つこと1時間半。やっと道の向こうの方から、コーヒー袋を頭に乗せたカンガ姿のおばさんが、やってきました。
このおばさんは、ステリアさん52歳。なんと脱穀場から12kmほどある自分の家から、運んできたとのこと。まずは、そのまま脱穀する前に計量すると、1袋34kg。この重たい袋を50歳すぎの女性が頭に乗せて12km・・・思わずびっくりしてしまいましたが、当のステリアさんにとっては、もう何十年も続けてきたことですから、涼しい顔。
そして、いよいよ脱穀が始まりました。脱穀機が回りだし、大きな音を立てる中、上から脱穀前の乾燥した実を入れると、出口から勢いよく生成り色の生豆が出てきました。
そして、再び計量。脱穀後の計量結果は19.5kg。脱穀係のアハメッドさんによると、新しく元気のいい木から収穫した実は、脱穀前10kgで、脱穀後は約6kg。老木から収穫した実は、殻が固くて大きく中身が小さくなるので、脱穀前10kg、脱穀後は約4kgになってしまうそうです。
34kgが脱穀後に19.5kgなら、ステリアさんのコーヒー園は、元気のいい木がたくさんあるということだそうです。でもステリアさんにとっては、もちろん0.5kgだって重いほうがいいに決まっています。計量係の男たちに向かって、「もっとちゃんと計りなよ。私のコーヒーはもっともっと重いはずなんだから」と大きな声でまくしたてていました。
脱穀場はもちろん、村人によって運営されているので、全員が顔なじみ。脱穀係の人たちも皆それぞれ自分のコーヒー園を持っています。だから、コーヒーを育てる大変さも苦労も全部わかっている人同士。計りの針を見つめる人々は皆真剣です。
ステリアさんは数年前に夫を亡くした未亡人。子供はおらず、夫が残したコーヒー園を守って細々と暮らしているとのこと。今年になって、コーヒーを運んできたのは、今日で4回目とのこと。
「コーヒーの木は100本ぐらいかな。でも数えたことなんてないからわからないよ。まあとにかく、私はこれからも、こうやってコーヒーを作って暮らしていくよ。それが神様が用意してくれた私の人生だからね」
計量を終えたステリアさんは、さっき怒鳴っていた時とはうってかわって穏やかな声で、脱穀係の人々に「まだ干してある実が残っているから、数日したらまた持ってくるよ」と言って、12kmの道のりを帰っていきました。
この脱穀所の場面を見るまでは、農家の人々が、農園でコーヒーを育てることばかりに目がいっていましたが、コーヒーを育てるだけじゃなく、摘み取り、天日に干し、そして長い道のりを運んで脱穀し・・・コーヒーって本当に手間がかかるんだなあと、ステリアさんの後姿を見て、しみじみ思いました。日本に渡ったアフリカフェも、ステリアおばさんの頭に乗って、脱穀所までの長い道のりを揺られていったことを、懐かしく思い出しているかもしれないですね。
ということで、今回はアフリカフェの故郷ブコバから、コーヒーの精製過程の一つ、脱穀の様子をお伝えしました。
それでは今日はこの辺で。次回の便りまでお元気で。
GOOD LUCK!!
ムナワルより
NO.1「ジャンボ!」(2000.4.15)
NO.2「タンザニアのゴールデンウィークは大雨期の真っ最中」(2000.5.10)
NO.3 「ジャンボ、ベイビー! (こんにちは、赤ちゃん)」(2000.5.18)
NO.4「カンガ(布)は語る」(2000.5.25)
NO.5 「日本はぼた餅、タンザニアはタコとサメ!」(2000.6.12)
NO.6「リズム感のルーツは子守唄にあり」(2000.6.28)
NO.7「日本は七夕、タンザニアはサバサバ!」(2000.7.11)
NO.8「アフリカフェの故郷ブコバ」(2000.7.16)
NO.9「アフリカフェの生みの親、TANICA社」(2000.7.16)
NO.10「コーヒーに最適な土地、ブコバ」(2000.7.18)
NO.11「ブコバでは、無農薬が当たり前」(2000.7.18)
NO.12「恐怖のこうもり男」(2000.7.18)
NO.13「小規模だからこそできる有機農業」(2000.9.11)
NO.14「オリンピックって何?」(2000.9.27)
NO.15「タンザニア式炭焼きケーキ」(2000.10.8)
NO.16「自然と人間のハーモニー」(2000.10.19)
NO.17 アロマティックライフの勧め (2000.11.1)
No.18 アフリカフェ・アロマの秘密(2000.11.11)
NO.19「続アロマティックライフの勧め」(2000.11.21)
No.20 「ラマダーン風景」(2000.12.11)
No.21「ラマダーン、明けましておめでとう」(2001.1.11)
No.22「バブが語る昔のコーヒー事情」(2001.2.4)
No.23「コーヒー愛飲歴70年、ビビが語る」(2001.2.4)
No.24「セネネ(バッタ)は愛の証」(2001.2.17)
No.25「バナナ酒ルビシ」(2001.3.11)
No.26「びっくりバナナ大賞」(2001.3.18)
No.27「FOODEX JAPAN 2001報告」(2001.4.5)
No.28「JETROブースにて」(2001.4.17)
N0.29「ミスター 2ボトルを偲んで」(2001.5.4)
No.30「平山領事に贈る言葉」(2001.5.17)
No.31「人気テレビ番組は『おしん』」(2001.6.5)
No.32「動物スプーンは、カンバ族伝統の木彫り工芸」(2001.6.17)
No.33「自警団、その名はスングスング」(2001.7.3)
No.34「幻のサバサバ柔道杯2001」(2001.7.17)
No.35 「ブコバのコーヒー農園2001」(2001.8.4)
No.36「バナナ・ア・ラ・カルト」(2001.9.3)
No.37「ブコバ特産、干草製床用カーペット」(2001.9.17)
No.38「ブコバ特製オーガニックスプレーの作り方」(2001.10.3)
No.39「ザンジバルの建設現場風景」(2001.11.3)
No.40「ブコバの珈琲文化 1.ゆでコーヒーの実」(2001.12.3)
No.41「ブコバの珈琲文化2.生活篇」(2002.1.9)
No.42 「タンザニアの薬木代表、ムアルバイネ」(2002.2.3)
No.43「マンゴーを食べよう!」(2002.3.3)
No.44「マンゴーの木に登ろう!」(2002.3.28)
No.45「ザンジバル武道館完成」(2002.4.17)
No.46「ザンジバル武道館落成式」(2002.5.3)
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